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 背中に視線を感じた。
 自分を取り巻くうつろな目をした兵士達のものとは明らかに異なる、それよりもっと感情の動きがある、視線。

 残れと言ったのに追って来たのか。

 振り返ったりはしないまま、アシェス・リチカートは小さくため息をつく。

 緑の竜なら当然の行動だろうな。

 真面目一辺倒で融通のきかない善竜人間族(バハムート)
 その頑固さはときに彼らの身を生命の危機にさえ晒す。
 敵対する種族のことなど放って置けばよいものを。
 四囲に居並ぶ兵士達はアシェスを始末したら次にあの善竜人間族に襲いかかるだろう。
 あのままどこかへ逃げてしまえばよかったものを。

 焦茶色の瞳をゆっくりと巡らせる。
 手に手に武器を構えた兵士達−その数は二十人前後といったところか−は、ぼんやりとした表情をしているくせに寸分の隙も見せずにアシェスを取り囲んでいた。

 人の姿のままこの状況を脱するのは難しそうだ。
 今いる部屋は洞窟の内部とは思えないくらいに広くて天井も高いから、竜の姿をとろうと思えば容易ではあるが…。

 ───そうしてオレはまた、同族を殺すのか?

 バルデシオン城で借り受けた戦斧の柄に手をかける、ことさえせずに。
 アシェスは立ちすくんだ。
 つい先刻の光景が眼前にあざやかによみがえってきた。

 自分が放った闇色のブレスが黒い竜達を呑み込み、痕跡も残さず彼らを消し飛ばしたその瞬間を、思い出す。
 自分の身を守るためとは言え───いや、自分一人の生命惜しさに同族を、仲間を殺すなど───たとえそこにどのような理由があったとしても───。

「お久しぶりです、皇子」

 不意に声が響いた。
 見つめる先、真正面に陣取っていた兵士二人が少しだけ左右にずれて道をつくる。

 現れたのは、身の丈ほども長い杖を右手に握り深紅の髪を背中に垂らした邪竜人間族の魔道士だった。
 髪と同じ色をしているはずのその瞳は固く閉じられている。
 盲目だからだ。

 アシェスはこの男を知っていた。
 ウィプリズ・ユオ。
 エルスロンム城で何度か顔を合わせた記憶がある。

 ウィプリズはゆっくりと兵士達の前まで進み出ると、アシェスが手を伸ばせば触れられそうな近距離で立ち止まり、優雅な動作で一礼した。

「ここで何をしている?」

 ウィプリズが顔を上げるのを待たず、アシェスは問うた。

「城にお戻りになるつもりはありませんか」

 問いに答えずウィプリズが訊いてくる。
 皇子の問いかけを無視したそれは許し難く無礼な行為だったが、アシェスは何とも感じなかった。
 閉じられた瞳を見据えて、口を開く。

「お前は竜でないものに従うのだな」

 滑り出た台詞に非難する調子がまったくこもっていないと気づき、アシェスは自分の口調に困惑した。
 責めてやろう、問い詰めてやろうと思って投げつけた言葉だったのに、それはただどこまでも静かで隠しようのない悲しみに満ちていて…まるで遠い昔に既に起きてしまったもう変えられない出来事を回想して悔やんでいるような、そんな弱気な台詞にしかならなかった。

「皇子は『闇』に背かれるのですか」

 同じだけの悲しさと静けさに彩られた言葉をウィプリズが投げ返す。

 それはアシェスの心の深いどこかに的確に無遠慮に突き刺さり、彼は思わず盲目の魔道士から目を逸らす。

「あれが…あれが、『闇』か?」

 塵一つ落ちていない洞窟の床を睨みながら、吐き捨てる。

「我らの城を奇襲し王を操り…竜にはなれぬ者を従えていた。あれが『闇』だとお前は信じているのか? そう信じられるのか?」

 かなり意識して抑え込んでおかなければ爆発してしまいそうなくらいに昂ぶる感情を反映してアシェスの声が震える。
 何かを激しく叩き壊したいと一瞬思ったが、手近に適当なものを見つけられなかったのでその考えは頭の片隅に押し込める。

「あれが我らの従うべき『闇』か? 我らを護り包み込む大いなる『闇』なのか?」

 白髪赤衣の魔道士。
 確かに普通の人間とは完璧に異なる、独特の雰囲気を漂わせていた。

 アシェスはあの魔道士が具体的にどのような力を持っているのか、知らない。
 彼とガールディー・マクガイルとがやって来てからすぐに地下牢に監禁され、ラーカ・エティフリック達が助けに来るまでずっとそこにいたからだ。

 それでも、わかることはある。
 今自分の身の回りで起きているあらゆる悪いことの原因はあの魔道士なのだ。
 アイツが現れてから何もかもおかしくなった。
 何もかもが狂い始めた。

 城を逃げ出し『光』の竜の助けを求めるような無様な事態に陥った。
 同族殺しの罪を犯し…今またこうして赤い髪と赤い瞳を持つ者達から敵意と刃とを向けられている。
 全部あの魔道士のせいで。

 父王を心を持たぬ操り人形にして、城を占拠したような奴が、───『闇』でなどあるものか。

「オレにはそうは思えない。あれは何か別のものだ。『闇』とは違う存在だ」

 ゆるく首を左右に振る。

 もし白髪赤衣のあの魔道士が、本当に『闇』が人の姿をとったものだとしても、アシェスにはそれを信じるつもりはまったくなかった。

 平穏な日々の暮らしを、生まれ育った場所を、唯一の肉親を…それらを一度に自分から奪い去った相手を、どうして『闇』だなどと信じられるだろう。
 ひどく感情的でくだらない考え方だったが…そう自覚していてもなお、アシェスにはあの白髪赤衣の魔道士の存在をどのようなかたちであれ受け容れることは、出来なかった。

「皇子───」

 ウィプリズがアシェスに向かって一歩、踏み出す。
 反射的に間隔を保とうとすり足で後退した『闇』の竜の皇子の頭上に、それは、いきなり落ちて来た。


 突如頭の上に降りかかってきたものの下敷きにならずに済んだのは、日頃鍛えた反射神経のおかげと言うよりは、落下物がそれほど大きなものではなかったからである。

 さらに退いて完全にそれを避けることも出来たのに、アシェスは何故だか咄嗟に両腕を差し出して落ちて来たものをしっかりと抱き止めていた。
 それほど軽くはないがさして重くもない。

 受け止めたものの正体を確かめようと視線を動かす一瞬の間に、さらに二つ、何か大きくて重いものが落ちて来て、これらはアシェスの左右の床にそのまま激突した。

「…?」

 いきなりの出来事に思考が止まりかけたアシェスの、その腕の中で。

「きゃああああああッ!?」

 すさまじく甲高い悲鳴が弾けた。
 ウィプリズが危うく杖を取り落としそうになりながら両手で耳を塞ぐ。
 腕が塞がっているアシェスはウィプリズのように自分の耳を押さえられない。
 仕方がないので悲鳴を張り上げるものを床に振り落とそうとした。
 するとそれは、投げ捨てられまいとよりしっかりとアシェスにしがみついて来た。

「きゃあー! 落ちるッ! 落ちますッ! 怖いッ! 怖いぃーッ!」

 すぐ耳元で声の限り絶叫されてますますひどいことに。

 たまらず顔を背けたアシェスの脇で、後から落ちて来たもの二つがむくりと起き上がりよろよろと立ち上がる気配。

「痛たた…、…なっ、何なんだ? 上がって下がってまた落ちたぞ? 一体何がどうなってんだよ、まったく…」
「あれだけここにあるって教えてやったのに! 指さし確認までしたのに! どこをどうやったらあんなあからさまに目につくトラップをこうまで見事に動かせるんだ! これじゃ生命がいくつあっても足りんぞ!」

「ごっ、ごめんなさいッ、ごめんなさいーッ!」

 大声で謝罪しながらアシェスの首筋にすがって泣き出したのは、ジェン・ユースとかいう名の善竜人間族の騎士だった。
 愚痴をこぼしながら立ち上がったラルファグ・レキサスとカディス・カーディナルが、ジェンを横抱きにして突っ立っているアシェスを見て数秒動きを止めた。

「………」
「………」
「………」

「ごめんなさいッ! 次からはちゃんと気をつけますッ! 気をつけますからッ!」

「お、皇子…!」

「…ここで何をしている?」

「えッ?! 皇子ッ?!」

 ジェンがぱっと顔を上げた。
 アシェスと目が合う。

 ジェンは少なめに見積もっても十五秒ほどかけて自分が邪竜人間族の皇子に抱かれていることを認識すると、一番最初に発したものよりも三倍以上は強烈な絶叫をあげて───結局それに驚いたジル・ユースが兵士達をかき分けて思わず駆けつけて来るまで、その騒ぎはおさまらなかった。

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