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 文字通り降ってわいたその騒動がおさまるまで、ウィプリズ・ユオは何も言わずそのままの場所でアシェス達を観察していた。
 完全に光を失った彼の瞳はもはや何も映さないが、魔法の力で補われた視力が目の前で起きている一部始終をウィプリズに見せていることをアシェスは知っている。

「あッ! リズ?!」

 アシェスに平謝りに謝り続けるジェン・ユースの背中を、呆れた表情を隠そうともせず眺めていたカディス・カーディナルが不意に声をあげた。

「その呼び方はよせ」

 わずかに顔をしかめてウィプリズが応じる。

「女みたいだろう」

 聞こえるか聞こえないかの小声で付け足した。

「何だッ!? 囲まれてるッ!?」

 その事実に今初めて気づいたらしいラルファグ・レキサスが仰天して周囲を見回し、善竜人間族(バハムート)の双子も遅ればせながら自分達が窮地に陥っているのを認識してさっと青ざめた。

「まさか、お前…!」

 カディスはアシェスを庇うようにウィプリズのそばまで歩み出た。

「ガールディー・マクガイルに協力してるのか…?」
人間族(ヒューマン)の魔道士になど従う義理はない」
「だったらこれはどういうことだよ!」

 カディスは腕を大きく振って三百六十度を包囲する無言の兵士達を示し、ウィプリズは右手に握った長い杖の先をぴたりとカディスの胸に向けた。

「『闇』に背くつもりか、カディス・カーディナル」

 杖の先端から逃れて後退しかけた足を止めて、カディスがウィプリズを正面から見返す。

「『闇』だと?」
「『闇』だ。ガールディー・マクガイルを従えた白髪赤衣の魔道士。彼こそが我らの偉大なる『闇』の化身」

 盲目の魔道士は一息に言い切った。
 それは違う。
 咄嗟に口から出かけた台詞をアシェスはかろうじて飲み込んだ。
 カディスの答えを聞いてみたかった。エルスロンム城から自分を助け出したあの盗賊がどのような反応を見せるのか。

「だから手を貸すのか、リズ」
邪竜人間族(ドラッケン)はそのために存在している」

「そのために? ───笑わせるな!」

 鋭く叫ぶように言葉を叩きつけて、カディスは素早く上げた左手でウィプリズの杖を掴む。

「オレ達の王を意思のない操り人形にして皇子を地下の独房に閉じ込めたような奴に協力など出来るものか!」

 先程のウィプリズよりもさらに迷いのない口調でカディスは言った。

「オレはそんなことのために存在してるんじゃないッ!!」

 怒鳴りつけ、掴んでいた杖を激しく払いのける。

「見損なったぜ、リズ。お前は皇子に恩があるんじゃねえのかよ」
「…だから、城内に戻っていただこうと考えた」
「今のエルスロンム城に戻ってどうなるって言うんだ!」
「皇子を裏切り者として始末しようという動きがある」

 ウィプリズの冷静な答えに、カディスはすぐさま言葉を返すことが出来なかった。
 フェデリニで多数の同族から襲撃を受けたばかりなのだ。
 奴らは明らかにアシェスを目標としてあの港町へやって来た。

 その証拠に、自分が姿を見せたら一斉に殺到してきたではないか、非力な人間族が暮らす家並みを焼くのをやめて。
 アシェスは回想する。
 そして一人残らず『闇』のブレスに呑まれて消え去ったのだ。

「…オレは城には戻らない」

 口を開くと、ウィプリズとカディスが同時にアシェスに注目した。

「たとえ裏切り者の汚名を着せられようとも、この先幾人の同胞に襲われようとも…このまま何もせぬまま、城へ戻ることだけは出来ん」

「何をなさるおつもりです?」

 盲目の魔道士が静かに問うてくる。

 考えを巡らせるまでもない。
 それは、アシェスにはわからない───おそらく、まだ、わからない。

 『闇』を払う八つの宝石を探し出すと言うチャーリー・ファイン達に力を貸すことにしたのは、それ以外に何をすればいいのかわからなかったからだ。
 実に情けない理由ではあるが、そうでもない限り『闇』の竜の皇子たる自分が『闇』を破る宝石を探すのに協力することなど有り得ない。

 ほとんど成り行きに流されるまま世界最強のあの魔道士の指示を受け入れ、そうしてここまで来たものの…アシェス・リチカートには未だにわからない、自分が本当は何をするべきなのか、何が出来るのか。

 もし他に自分がすべきだと思う事柄を見つけられたなら───。
 そう思うなら思っているだけではなくその何かを見つける努力をしなければならないのに───。

 アシェスは小さく首を振った。
 ウィプリズの問いかけに満足に答えられない自分がたまらなく嫌だったが、もっともらしい理屈をこねてその場しのぎのごまかしを口にすれば自分自身を殺してやりたくなりそうな気がして、だから何も言わず、ただゆっくりと首を振る。

「…力ずくでも戻っていただくつもりでいましたが…」

 ウィプリズは小さくため息をつく。

「それは間違っていたようですね」

 閉じた瞳で部屋を見渡す。
 身じろぎもせず立ち尽くす兵士達を眺めやり、すぐにアシェスとカディスに視線を戻した。

「…であれば、私達はたった今から敵同士ということになります」

 穏やかな口調は変えないまま、けれどもそこに聞き落としようもなく冷えた空気を織り込んで、ウィプリズは悲しげに表情を曇らせた。

「待てよリズ、どうしてお前が…」

 盲目の魔道士の肩にでも触れるつもりだったのか、カディスが右手を上げながら一歩踏み出した。

 ウィプリズはすっと退がってアシェス達から距離を置くと、おもむろに長い杖を振り下ろす。
 ゆったりと優雅ささえ漂うその動作を目にして、それまで魂を持たぬ単なる木の人形のように突っ立っているだけだった兵士達が一斉に動き出した。
 剣の刃先を、槍の穂先をアシェス達に向けて、取り巻く輪の直径をじりっと狭めてくる。

 ウィプリズはそのまま後退して兵士達の輪の外へ出た。
 ホールの壁際まで退いて、長い杖を両手で握る。

「行け!」

 短く力強く指示を飛ばした。
 その命令を待ちかねていたかのように、二十人前後の邪竜人間族がアシェス達に猛然と襲いかかってくる。

「リズ!!」

 カディス・カーディナルが叫ぶ。

 もしかしたら自分もそのように叫びたいと思っているのかもしれないと、この期に及んでも武器を手に取ることさえしないまま、アシェスは考えた。

 何故、どうして───。

 ぼんやりと立ち尽くしてしまう。

 カディスが一瞬不安げに振り向いた。
 アシェスに視線を止めたが、駆け寄って来るようなことはしなかった。

 カディスにはわかっているのだろう。
 もちろん自分も、知っている。
 認めたくはないのだが……。

 眼前に刃が迫った。
 ほとんど無意識の動きでそれをかわす。
 回避に続いて身体を沈め、空を切った剣に引きずられてほんのわずかに体勢を崩した兵士の腹部、軽装の鎧の隙間に的確に拳をぶち込んだ。
 一撃で十分だった。
 アシェスの腕を支点に身体を折り曲げた兵士は一言も発さないままずるりと床に倒れ込み、アシェスは次の『敵』を迎えるために姿勢を整える。

 アシェス・リチカートはまだ死ぬわけにはいかない。
 大人しく殺されてやることなど出来ない。
 自分がすべき何かを見つけるまでは───白髪赤衣のあの魔道士の正体を自分の手で突き止めるまでは───城を、父を元に戻すまでは。
 あきらめることなど許されない。
 それまでは立ち向かってゆかなければならないのだ。

 たとえそれが、仲間同士で殺し合うようなことだとしても。

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