(10)
「そう次から次へと急かされても困る」
毅然とした声が響いた。
チャーリー・ファインがゆっくりと歩み出て、シェルとアークの前に立つ。
彼女の黒い瞳はまだほんの少しだけ、不安定な心情を表すように揺れて、ともすれば伏せがちにもなるが、背筋を伸ばして立つ姿はほとんどいつもの彼女と変わりなく見える。
フレデリックが無言でチャーリーの斜め後ろに控えるように歩み寄った。
コートがアークと話している間に、この二人も何事か会話を交わしていたのだろうか。
「それは失礼しました」
シェルが優雅に一礼して、謝罪する。
「なんか宝石も貰えたみたいだし。私達全員が不幸になっても世界を存続させることの方が大事だなんて言い切るような奴とはこれ以上顔を合わせていたくない。地上へ戻る」
「ごもっともな御意見で」
辛辣な物言いをあっさりと受け流し、シェルは穏やかに微笑した。
「『名無し』から情報を得ようと考えておられるのでしたら、無駄なことだと忠告させていただきますが」
「世界がなけりゃそもそも幸福も不幸も有り得ないんだろうけど。…それが全てに優先するなんて考え方は、出来ないし、したくない。だからアンタと話を続けるのは───不愉快だ」
「嫌われましたねえ」
「あの発言で好かれたら異常だと思うぞ」
アークが口を挟む。
シェルが苦笑する。
チャーリーは小さくタメ息をついた。
「一応私からも一つだけ訊かせてもらう。シルヴェーナは何処にいる?」
「会いに行きますか。次にとる行動としては妥当なところでしょうね。シルヴェーナはあなた方がファムランと呼んでいる街で暮らしています。バイトレア・エメラルディアという名の魔道士が保護者となっています」
「戻ろう。宝石を渡しに行く」
チャーリーはカーマッケンに視線を据えた。
おろおろとシェルの表情をうかがうカーマッケン。
『白』は青い小魚に小さくうなずいてみせる。
「そういうことです。皆さんを地上へお連れしなさい、カーマッケン」
『は。了解しました、御主人』
「地上においてはこの方達の監視役を務めなさい。何かあったらすぐ私に報告に来るように」
『はいッ! ───って、ええッ?!』
一旦は元気良く承諾したカーマッケンだったが、指示の内容を把握するなり悲鳴じみた声をあげる。
『あッ、あのッ、そっ、そういうコトは、もっと内密になさった方が…ッ!!』
今にも泣き出しそうなくらいのカーマッケンのうろたえぶりを見て、アークとヴァシルが同時に吹き出した。
「…あなた方は本当に…」
場所柄もわきまえずに笑い転げる二人を見て、シェルが右手で額を押さえる。
カーマッケンが失礼ではないかとか状況がわかっているのかとか、身体を折って大笑いしている二人に訴えているが、まるっきり無駄なようだ。
「私達を見張っても何にもならないと思うけどね」
呆れた表情でヴァシル達を眺めながら、チャーリーが口を開く。
「いざというときに助けて差し上げることが出来るかもしれませんよ」
「世界に介入出来ないアンタ達がどうやって私達を助けるワケ?」
「どうやりましょうかね。誠心誠意応援する、というのはどうですか」
「私に意見を求めないでくれる?」
「これでも真面目なハナシなんですよ」
チャーリーとシェルは言葉を切って三秒ほど見つめ合った。
「…アンタと話すのは不愉快だってさっき言ったけど、訂正する。馬鹿にされてる感じがして我慢ならない、って」
低い声に見合った不穏な内容だが、その声に怒りや憎しみの色はもはやない。
「『青』が何かするようでしたらお知らせしますよ。少なくともその一点においては、私達は良好な協力関係を築けそうです」
「───カーマッケン。行こう」
再度呼びかけると、それを待ちかねていたようにカーマッケンはすぐに飛んで来た。
コート・ベルもそちらへ移動する。
ずっとチャーリーに寄り添うように立っているフレデリックはこれでいいとして、アークと一緒になって楽しそうに笑い転げているヴァシルはどうしたものか。
これまで緊張していた反動で一度笑い出すと今度は止まらなくなってしまったらしく、何だかやけに苦しそうだ。
『あの方ここに残して行っても良いですか御主人』
「騒がしいのは一人で十分です。持って帰って下さい」
「宝石にさわれるのアイツだけだから我慢して連れて行ってくれると助かる」
さんざん笑いものにされて憮然としているカーマッケンを無感動になだめるシェルとチャーリー。
二人の言い草にコートは引きつった苦笑を浮かべた。
☆
いい加減にしなさいとシェルに叱声を浴びせられてやっと我に返ったアークに促されヴァシルが自分達のところへ戻って来るまでの短い間、チャーリーはふと思いついてフレデリックを見上げた。
黒髪の青年はすぐさま彼女の視線に気づいて、問いかけるような仕草で見下ろしてくる。
優しく穏やかな瞳に見つめられ、何を言おうか瞬間迷った。
何も言わずにおこうかと思ったけれど、視線が合った以上、それはひどく不自然な気がする。
「…名前、変える?」
とりあえず滑り出て来たのは自分でも何故こんな発言をせねばならないのかと悩んでしまいそうになるぐらい意味のわからない台詞で。
「いいえ」
自分で自分の質問の意味不明さ加減にうんざりしているチャーリーに、フレデリックは思いがけないくらい真面目な表情で、即答する。
「私には、新しい名前は覚えられませんから」
「───そうか」
うなずくように視線を前方に戻したところへ、笑いの余韻を引きずりながらヴァシルがやって来た。
無意識に彼の長い髪を一筋掴んで、強く引っ張っていた。
「痛てッ! 何すんだよッ!」
大して痛くもないクセにヴァシルが大げさな身振りで抗議する。
「こんなトコまで来て呑気に笑い転げてる場合じゃないでしょ? 私達がこうしてる間にもトーザやサイト達は頑張ってるんだからね!」
「そりゃそうだけどよ…笑ってたのは『赤』のアイツも一緒じゃねえか」
何でオレだけ怒られるんだよと不満顔のヴァシルを無視するように、カーマッケンがふわりとチャーリー達の頭の上まで浮き上がった。
空中で静止する。
尾びれを揺らしてくるりと向き直り、もったいぶった咳払いなどして見せる。
『それでは、皆様を地上へお送りいたしますでございますですよ。ラゼット大陸、港町ファムラン。行き先はそこでよろしゅうございますね?』
チャーリーがうなずくのを見届けて。
『それでは、我が御主人、シェル様。「赤」の御方。深青のカーマッケン、行って参りますです』
カーマッケンが言い終わると、同時。
チャーリー達四人の姿は、『海底神殿』から消え去った。
第19章 了
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