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「そりゃあ…、なんつーか…すげえハナシだなぁ…」

 呆れているとも感心しているともとれる感想を漏らして、ヴァシルは何となくそばに立つ皆の顔を見回した。

 コート・ベルは表情を消して立ち尽くしていた。
 シェルかアークか、どちらにかは判然としないがその辺りにひたと視線を落ち着けて、それでいながら水色の瞳は何も見えていないように虚ろだった。

 チャーリー・ファインは唇を固く引き結んで険しい表情で自分の足元を睨んでいた。
 腕組みして堂々と立っているその姿は普段と変わらぬ風だが、時折唇を小さく動かして声を出さずに何事かを呟いている様子は明らかにいつもとは違う。
 平常心を装ってはいるがたいへんな衝撃を受けているらしかった。
 一体何がそんなに彼女を打ちのめしたのか、ヴァシルにはわからない。

 フレデリックは…見るまでもないか?
 聞いた先から話の内容を忘れてしまう筋金入りの健忘症の彼だから、シェルの長い話にはついて来られなかったに違いない。
 きょとんとした表情でぼんやり皆の様子を見守っているのだろうと予想しつつ振り向く。

 何気なく走らせた視線は胸をつかれるほどの悲しみに満ちた瞳に引きつけられて止まった。

 フレデリックはシェルやアークよりも辛そうな表情をしていた。
 ただ、その顔でじっと見つめている先がチャーリーの背中というのがどうにも解せない。
 ひょっとするとチャーリーが自分を構ってくれないから悲しげにしているのであって、シェル達の話の内容はフレデリックの頭の中をやはり右から左へ通り抜けていたりするのだろうか。
 それはない、とは言い切れない辺りがちょっと情けない。
 しかしそうでもなければ、あのフレデリックがここまで悲しそうな様子を見せる理由がわからない。

「でもよ。世界が創られる前まで戻るって…その可能性って、ほとんどゼロに近いんじゃねえの?」

 誰も何も発言しようとしなかったので、ヴァシルはもう一度口を開いた。
 延々と長い話を聞かされ続けてそろそろ退屈し始めていた。
 非常に重大な話をしていると頭ではわかるのだが、一つ所でじっとして誰かが話すのをひたすら聞いているのはつまらない。
 自分も喋る側に回りたい。
 たとえ中身のあることは言えないとしても。

「非常に低いだろうとは、私も思います。ですが、それを実行に移そうとしている以上、無きに等しい可能性に大幅な修正をかけられる手段を『青』が考えついたのだとみるべきでしょう。『世界』を壊そうなどという大それた考えは正気で浮かぶものではないかもしれませんが、しかしまるきり無策でそれだけのことを成し遂げようとする程に『青』が切羽詰った状況にいるとは未だ思えません。自分の目的を達成するためこの『世界』を壊すことに踏み切れるだけの何かが『青』にはあるのでしょうね。ましてや、『漆黒』が『青』に賛同して力を貸している様子でもありますし」

「『漆黒』…『闇』が?」

 チャーリーがすかさず馴染んだ言葉に言い換える。

「そうです。『漆黒』までもがこの『世界』を壊したがっているというのか…そこまでは私達にもわかりませんが、二人が手を組んでいるのは確かなようです」

「あの…でも、それじゃあ…おかしく、ありませんか」

 コートが会話に加わった。

「あなた達の目的はこの世界を存続させること。ところが『青』はその役目を放棄して世界を破壊しようとしている。今の話をまとめるとそういうことになります…よね?」

 色白な青年の頬は青ざめて引きつっていた。
 大きな感情を必死で抑えつけているのだとわかる。
 身体の両脇で握り締めた拳が細かく細かく、震え出している。

「だったら、『青』は、あなた達の───敵、じゃ、ないですか。その『青』に…何故あなたは…あなたは、どうして…」

 コートが微笑(わら)った。
 見間違いかと一瞬ぎょっとしたが、まばたきして見つめなおしてもコートはやっぱり微笑っている。

 薄い水色の瞳はしんと澄んで奇妙に静まり返っていた。
 敵意も悲哀も憎悪もない、ぽっかりと空いた深い穴のようなその瞳。

 胸が冷えるような笑顔のまま、かすれかけた細い声でコートは言った。

「どうして、メールさんを、『青』に引き合わせたり、したんですか」

「───お話ししますとも。はじめに言った通り」

 コートの尋常でない雰囲気に気づいていないワケはないのに、シェルはそれまでと全く変わるところのない、落ち着き払った声と態度で応じた。

「メール・シードさんをこの『海底神殿』にお招きした理由は三つあります」

 そう言ってシェルはまたヴァシル達にくるりと背を向ける。
 長い話をするときの癖なのだろうか。

「一つ目は、メールさんにご説明してコートさんに伝えていただいた通り。メールさんは『闇』、コートさんは『光』…お二人は対立する二つの要素に選ばれた人間であるから、一緒に生きてゆくことは出来ない。この先愛しい人と殺し合う悲劇を回避したければ、私達の指示に従ってあなたの身体を提供していただきたい。断っておきますが、これは本当の話ですよ」

「疑ってはいません」

 感情の欠落した口調。
 シェルがメールに説明したことの真偽などコートにとってはもうどうでもよくなっているのかもしれない。
 それがもしもシェルのでっち上げだったとしても、コートはメールが自分に語った理由を唯一の真実として信じ続けるしかないのだ。
 そうでなければ自分のためにと何もかもを捨てたメールの全てが無駄になる。
 シェルはメールに嘘をついていないようだったが、だからと言って今さら何が変わるわけでもない。

「二つ目は『青』がそう望んだからです。『世界』に干渉するために人間の身体を用いるときが来た。様々な条件を考え合わせて自分は『闇』に選ばれた人間の一人であるメール・シードを使うと決めたから、『海底神殿』へ呼び出してはくれないか。『青』は私にそう言いました。…邪竜人間族を抱き込んで世界を巻き込む大戦を起こそうと画策している人間族の魔道士がいましたからね。彼の計画が実現してしまえば大勢の死人が出ます。『世界』を存続させる使命を持つ私としては、『世界』の危機を救うため『世界』に干渉しようという『青』への協力は拒否出来ません」

 ふとチャーリーの声が聞こえた気がして、ヴァシルはそちらへ顔を向ける。

 床に目を落として身じろぎもせずに立ち尽くしている黒髪の少女。
 先程見たときよりも一層精神的に相当の打撃を受けているようで、コートほどではないにしても明らかに顔色が悪かったが、何とか自分を律して平静を装おうとしている。

 さっき聞こえたと思った声は空耳だったのだろうか。
 何を言ったのかも聞き取れなかった。
 やはり錯覚だろうか。

「三つ目の、最後の理由をお話しします」

 シェルがくるりと向き直る。
 長い話をするときは相手に背を向けるが、最も重要な話題に入ると相手の顔を見る…これも癖なのだろうか。
 滑稽ともとれるほど芝居がかった仕草だが、シェルには相応しい動作に見えた。

「『青』を。『世界』を壊そうとする『青』を、メール・シードさんの身体の中に閉じ込めるためです」

「…閉じ、込める?」

 コートが呆けたようにシェルの言葉をなぞる。
 意味がなかなか頭の中に入ってこないらしくて、シェルを見返した状態のまま次の台詞が出てこない。
 構わずシェルが話を続ける。

「私達は精神だけの存在です。老いもせず終わりもしない生命を得られたのは、時の流れと共に朽ちゆく宿命を持った肉体を捨てたからです。何千年も『世界』を維持するには非常識なまでに膨大なエネルギーとおよそ考えられる限りのありとあらゆる問題に即座に対処出来るだけの多彩な能力を必要とします。有限のものである身体を失うことにより私達はそれまでになかった強大な力やたくさんの能力を身に着けました。ほとんどは精神だけの存在となって初めて得られるもの、初めて使えるものです。つまり、人間の身体の中に入ることで私達は特別な力の大半を失います。その肉体の持ち主の限界を超えるような行為は一切不可能になりますから。…肉体という枷をはめることで私は『青』の動きを封じようとしました。もともと『世界』に干渉するには…『世界』を壊すために必要な準備を整え終わるまでは、能力の制限を受けるとしても『青』は人間の身体を借りる他なかったワケですが…私は『青』が、予定していた全ての作業を終えても人の身体を捨てられないように、『青』が有限の肉体から抜け出して来ることのないように、敢えてメール・シードさんに最初の理由を説明したのです」

「最初の───」

「あなたの大事な人、コート・ベルさんを守るために、彼が暮らしこれから先も生きてゆく世界を守るために。『青』が入った身体の中に、私はメールさんを故意に残しておきました。最愛の人のためにこの『世界』を守りたいと願うメールさんの真摯な想いを利用させていただきました。身体を共有したことで、彼女は『青』が何を考えているのか、大体のところを知ったでしょうね。『青』が『世界』を壊すために肉体を離れようとしたとき…メールさんは『青』を自分の身体の中に引き留めておいてくれることでしょう」

 コート・ベルの上体が揺れた。

 次に何が起こるのか、予測するよりも早くヴァシルは動いていた。

 ヴァシルに唐突に背中から組みつかれ、シェルにつかみかかろうとしていたコートが激しい抗議の叫びをあげる。
 悲痛な声を無視して、コートの身体を床に叩きつけるようにして引き倒した。
 怪我をさせないように、ちゃんと受け身がとれるようにとそれなりに配慮したつもりだったが、固く冷たい床に転がったコートは全身をしたたかに打ってしまったらしく、苦しげな呻きを漏らすと倒された状態のまま動かなくなった。

「彼女はとても落ち着いておられましたよ」

 目の前で起きた騒ぎに全く気づかなかったような口ぶりでシェルが話し続ける。
 一部始終を間近で見ていたというのに平然とし過ぎているその口調。
 睨みつけてやろうと顔を向けて…シェルの周囲を薄い水の膜が包んでいるのに気づき、ヴァシルは息を呑んだ。

 コートを止めたのは、人間の常識を超えた存在に殴りかかったところで何の意味もないと思ったからだ。
 精神だけの存在だと言うから振るった拳は突き抜けたりするかもしれない。
 たとえ命中してもコートの力では所詮大したダメージは与えられない。
 悲しいことだがまるで無意味である。
 コートに殴られてもシェルは何も感じないだろう。

 そう考えてコートを制止したヴァシルにとっては、シェルがこうまであからさまな反応を見せたのは意外な出来事だった。

 透明な水の膜は一本の円柱のようにシェルの身体を取り巻いている。
 どこからともなく流れ出てどこへともなく流れ落ちてゆく滝の向こうでシェルがこちらを見返している。
 あの水に触れたらどんなことが起こるのか…見当もつかないが、ろくな目に遭わないのは間違いないだろう。

「ひどく悲しんでいましたが…取り乱した様子はありませんでした。強い方ですね、彼女は。メールさんなら…『青』をその身体に閉じ込めておいてくれるはずです」

 水の膜がすうっと消えた。

「あなた方には…申し訳ないと、思っているのですよ。信じてはいただけないでしょうし、許していただこうとも考えてはいませんが…本当に。心から。それだけは言わせていただきたい」

 シェルの言葉には真剣な響きがあった。
 ヴァシルにもそれは感じられた。

「───ですが。私達の役目は『世界』の存続であって、あなた方を幸福にすることでは、ないのです。非常に残念で心苦しいのですが」

 心の底から申し訳なさそうに、けれど寸瞬の淀みも迷いもなく、続ける。

「私達はこの『世界』を存在させ続けなければならないのです。…たとえ、この『世界』に住まうあなた方が一人残らず不幸になってしまったとしても」

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