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 コートがのろのろと起き上がり、ゆっくりと立ち上がった。

「…失礼、しました」

 衣服や髪の乱れを整えてから、ヴァシルとシェルに静かに深く頭を下げる。

 自分を取り戻したというよりは完全に虚脱してしまった状態に見えた。
 味方だと思っていたヴァシルに投げ飛ばされたのがショックだったのか、それとも激昂のあまりかなうハズのない相手に無謀にも攻撃しようとしてしまった自分を責めているのか。

 オレを悪く思ってくれてるんだったらいいけどな、とヴァシルは思う。
 この状況でもなおコートが自分自身を責めているのだとしたら…それはあまりに悲し過ぎて、やりきれない。

「…まだ、色々、訊きたいことがある」

 不意にチャーリーが口を開いた。

「…この『海底神殿』にある宝石も受け取らないと」

 コートががっくりとうなだれた。
 感情にまかせて騒いでいる場合ではなかったのにとひどく恥じ入っている様子だ。

「…でも。もう、いいか。───もういいや」

 思いがけない台詞が聞こえた。
 チャーリーは自分に言い聞かせるように呟き、二、三度うなずくと、ふっと穏やかな笑顔を浮かべた。

 ───コートと同じ表情。

 次の瞬間。
 チャーリーは右腕に生じさせた雷撃を、誰が制止する間もない速さでシェルに叩きつけていた。

 『白』を瞬時に水の膜が覆う。
 チャーリーの魔法は薄い壁に阻まれあっけなくも四散した。

『チャーリー様ッ!!』

 これまで何も言えずに事態をただ見守っていたカーマッケンが、ほとんど悲鳴をあげるような勢いでその名を呼ぶ。
 自分の身の危険も省みずにチャーリーとシェルとの間に割って入る。

「カーマッケン。そこ、どいて」

 冷ややかに言われて瞬間怯みかけるが、青い小魚は彼なりの勇気を目一杯振り絞って、そこから動かなかった。

『どきませんッ! わっ、我が御主人に対するかような狼藉、みっ、見過ごしには、出来ませんでございますよッ!!』

 台詞は立派だがカーマッケンは気の毒なくらいがたがたと震えている。

『どっ、どうかッ、冷静にッ! 落ち着いて下さいませ、チャーリー様!! まだっ、まだあなた方の御用件は全てお済みになってはいないのでございますですよ! それをお忘れなきようッ!!』

「済んでないけど、もういい。知りたいことがあったけど、訊くのはやめた。宝石ももういらない」

『な…ッ?! そっ、それでは、それでは世界はッ…』

「そっちはまた後で考える。───今はそいつを許せないッ!!」

 叫ぶなりチャーリーはまた攻撃魔法を放った。
 二発目は火炎の魔法だ。
 火球がカーマッケンのすぐ横を掠めて、一直線にシェルに向かってゆく。

 炎の球は雷撃と同じく水の壁に遮られて消し飛んでしまったが、火球は『白』を取り巻いた透明な膜を道連れにした。
 シェルが無防備な姿をさらけ出す。

 間髪入れず再びの炎が飛ぶ。
 カーマッケンはすくみ上がってしまい動けない。
 魔法の炎がシェルの身体を目指す。

 …薄く笑って、『白』は消えた。

「!」

 炎の球は遥か彼方の壁に激突して消滅した。

 直後、先刻と同じ場所に何事もなかったかのようにシェルが現れる。
 険しい表情で自分を睨み据えるチャーリーを、哀しげに見返した。

「お忘れですか。私達は本来精神だけの存在である、そうお話ししましたのに。魔法も剣も、いかなる攻撃手段であれ私達にダメージを与えることは出来ませんよ」

「攻撃したいわけじゃない。許せないだけだ」

「私達と争うことは無駄です」

「勝ちたくて争うんじゃない!」

 普段あまり感情を乱さないチャーリーがシェルに怒鳴り返す様を、ヴァシルは呆気にとられて眺めていた。
 彼女がここまで真剣に怒り狂うのは実に珍しい。

「筋の通らない話ですね、何とも」

 シェルが不意に───フレデリックを見た。

「あなたの『姫』はずいぶんと気性が荒いのですね。『名無し』」

 『名無し』?

 訳がわからないまま、シェルと同じくヴァシルはフレデリックに顔を向ける。

 黒髪黒衣の魔道士は先程様子をうかがったときと同様に何とも悲しげな表情で、寂しそうにその場に立ち尽くしていた。

「『名無し』って…?」

 出された名詞と話題を振られた相手の意外さとに、『白』への敵意を束の間忘れたようにチャーリーもフレデリックに向き直る。

「アンタは…」

「優しい方ですよ。あなたが怒らせているだけです」

 今にも泣き出してしまいそうなくらいに弱々しい声が響く。
 いつもにこにこと笑っているか意味もなくぼんやりとしている彼しか知らないヴァシル達には、そのような話し方をするフレデリックはいつの間にか別人と入れ替わってしまったようにさえ見えた。

「私は私の役目について正しく説明をしたまでです」

「『名無し』って? 何者なの、アンタ?」

 シェルとフレデリックの会話にチャーリーが割り込んだ。
 警戒心に満ちた瞳で二人を見比べる。

「私達を───だましてた、とか、そういうハナシ?」

「違います」

 穏やかな口調ではあるが即座に否定をして、フレデリックはチャーリーをまっすぐに見つめ返した。

「…アンタは何なの? シェル達の仲間だったの?」
「それも違います」
「そうすっぱりと断言出来る程私達が異なる存在だとは思えませんが」
「私はこの『世界』がどうなろうと興味はありません」

 チャーリーを正面から見つめて。フレデリックは静かに続ける。

「この人を幸福にするために、私は存在しているのですから」

「───…はァ…?」

 数秒絶句したチャーリーがこの上もなく胡散臭そうにフレデリックを見上げたとき。

 大きく事態が動いた。

 それも誰もが予想もしていなかった方向へ。

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