(9)
尋ねたいことならたくさんあったはずなのに、急に話を振られると咄嗟には質問が出て来ない。
それでもせっかく提供された機会なのだからと、考えがまとまらないままとりあえず口を開く。
そうして声になって出て来たのは、数ある疑問の中でも最も新しく思い浮かんだものの一つだった。
「さっきの宝石の持ち主って、誰なんだ?」
それがその場に山積みになったその他の疑問点よりも優先して問われるべきことだとは口にしたヴァシル本人にも思えなかったのだが、何故だかそう尋ねかけていた。
ヴァシルの問いを受けて、シェルが涼やかに笑む。
すっかり落ち着き冷静さを取り戻した様子だ。
「八つの宝石の一つ、『海の真珠』。正当な持ち主は…」
続く言葉との間にふっと空白を置く。
これを教えて良いものかと逡巡しているとも、芝居的な効果を生むために故意に挟んだともとれる、微妙な沈黙。
「もう一人のチャーリー・ファイン。シルヴェーナ・アンリ・ジファールです」
涼しい微笑を唇に浮かべたまま、『白』は一息に言い放つ。
取り出された名詞の意外さに、ヴァシルは少し慌てて問いを重ねた。
「もう一人って何だよ? チャーリーと同じくらいすげえ魔道士ってコトか? けど、そんな奴の名前なんか全然…」
「それが、『光』?」
ヴァシルの台詞を遮って、チャーリーが叫ぶように言った。
フレデリックの陰から半身を乗り出すようにして、チャーリー・ファインは必死の表情で−一体何事かと戸惑ってしまうぐらいに懸命な表情で、シェルを見つめていた。
「…『光』?」
怪訝そうに眉を寄せ、シェルが小声で反復する。
チャーリーのその反応は、『白』にとっては予想外のものであったらしい。
チャーリーはさらに続ける。
「私よりも、先に生まれた…シルヴェーナ・アンリ・ジファール…そのコが、『光』? もう一人の私…、…そのコが…」
問う声はすぐに次第に小さくなり細くなり、あっと言う間に自分一人にさえも聞き取れないだろうと思えるぐらいにかすかな呟きに変わった。
蒼い瞳を少し細めてそんな彼女の様子を眺めていたシェルは、やがて口を閉ざして再びうなだれてしまったチャーリーを見ながら、何かを納得したように短く一つうなずいた。
「なるほど。そういう流れになっているのですか」
またヴァシル達には理解出来ないことを言う。
ワケのわからない仄めかしを繰り返されて、いい加減イライラしてきた。
一から十までちゃんとわかるように説明しろと要求したくなったが、その要求が通ったときに始まる話がどれだけの長さになるのかと思うと聞く前からうんざりとなってしまう。
全てを理解したい欲求はあるが、長いハナシはさっき聞いたばかりだ。
「ま、そっちは実際本人に会えばわかるんじゃねえの?」
重くなりかけた空気を、アークの明るい声があっさりと吹き飛ばす。
「オレ達から聞かされるよりもその方がわかりやすいかも知れんし。何も出会ってない奴のコトでまで今から悩む必要ねえだろ」
アークはチャーリーに話しかけていたようだったが、黒髪の少女は視線を床に落としたまま、まったく聞いている様子がない。
「そっか。それもそうだよな」
『赤』に同調し、ヴァシルが話を進める。
非常に大雑把な進行になっているような気もしたが、自分が仕切っているのだからある程度は仕方がないだろうと悪びれもなく胸の中で思いつつ。
「じゃあさ、そうだな…」
シェルではなくアークを見ながら、次に問うべき事柄を考えた。
『赤』には『白』に対してよりもずっと強く親しみのようなものを感じる。
アークは自分によく似ている、とさえ思う。
相手は人とは異なる永遠に生き続ける存在、それを知っていてもなお、気のおけない友人を前にしたときのような親愛の情を抱いてしまう。
「何かないか、コート?」
「…えっ?」
「オレはすぐ思いつかねえんだけどさ。あるだろ、訊きたいコト。向こうが答えてやるって言ってるうちにちゃんと尋ねとけよ」
ヴァシルに話しかけられ、コートは明らかに困惑した表情を見せた。
一体どうしたのかとその顔を見返して、ヴァシルは自分が普段と全く同じような口調でコートに声をかけていたことに、ふと気づいた。
いつの間にか緊張感が完全に抜け落ちてしまっていた先程の自分の声を、他人のもののように思い出す。
もともとが緊張とはほとんど無縁の生活を送っているヴァシルだったが、さすがに『海底神殿』に来てからは普段通りの自分を保てず、それが何なのかはわからない何かに対して無意識の内に身構えてしまっているのを自覚していた。
ここに来てからそれほど多くの発言をしたワケではないが、それでも心中の緊張感を反映したかのように自分の声が少々強張って固くなっていることに、ヴァシルはちゃんと気づいていた。
それがアークと言葉を交わした途端、綺麗に元に戻っている。
肩の力が抜けた気楽なものへ。
ヴァシルの本来の口調へと。
『赤』の気負わない喋り方が、いつも通りの自分を取り戻してくれたのだろうか。
ヴァシルは驚いたような眼差しを、コートからアークへと振り向ける。
☆
「あの…」
ヴァシルからアークへ、そしてシェルへと目線を滑らせて。
コートはきッと表情を引き締める。
「メールさんを、助ける方法は───あるんですよね?」
尋ねる、のではなく、確かめる。
強い語調でコートは言う。
虚ろに立ち尽くしているチャーリーの様子を少し気にしながらも、コートが知りたいと思うのは、声に出して問うのはやはりメール・シードのことだ。
彼にとってはそれが何よりも大切だから。
コートを見返したシェルの表情が、曇る。
蒼い瞳に悲しげな色が一瞬過ぎる。
それでも言い淀んだりはせずに、『白』は冷静に口を開く。
「残念ながら」
シェルの台詞の最初の部分を聞いただけで、コートの顔色がさっと変わる。
瞳を見開き顔を上げた途端。
「いいや。助けられる。手段はある」
『白』と正反対のことを『赤』が言い出した。
ひとかけらの迷いもない声。
妙に自信ありげに堂々と言い放ち、不遜ともとれる態度で腕を組み、コートを見下ろしてくる。
「聞け、コート・ベル。俺達がお前らの『世界』に干渉するとき、使うのは生命を失くした人間の身体だ。俺達は生きている人間の身体には入れない。メール・シードは死んだ。そうでなければ『青』はあのお嬢ちゃんの身体を使えないからな。一度失われた生命はもう元には戻らない。それが、俺達が維持するこの『世界』の決まりだ。だがな…」
自分を見据える強い瞳を魅入られたように見返したまま、コートは『赤』の言葉に聞き入った。
「メール・シードは確かに一度死んだが、その生命が完全に失われてしまったワケじゃあない。あのお嬢ちゃんの魂は、まだ自分の身体の中にある。メール・シードは生きてはいないが、死んでもいないんだ。わかるか、コート・ベル」
あの雨の夜、『青』がその存在を明らかにして、コートを傷つけて消えたあの夜、チャーリーが説明してくれたのとほとんど同じことを『赤』は言った。
あのときのチャーリーよりも遥かに力強く確信に満ちた語調で。
「いいか、あきらめるな。コート・ベル。身体を持たない俺には、具体的にお前らに何かをしてやることは出来ない。そもそも俺もシェルも『青』とは争えない。でもな、絶対にあきらめるなよ。手段はある。あのお嬢ちゃんを助ける方法はある。それが何かは、正直なハナシ俺にはわからん。どうすればいいとか知ってて色々教えてやれたらいいんだがな、知らないモノは教えられない。俺が今、ただ一つだけ確かな事実としてお前に教えられるのは、可能性がゼロではないってコトだけだ。あきらめるな、コート。世界中の誰がメール・シードは助からないと言おうとも思おうとも、お前だけは取り戻せると信じ続けるんだ。手段はある。それを信じろ」
どうするのかは知らないが、手段はある。
そんなにもきっぱりと言い切ってしまっていいものかどうか戸惑ってしまうぐらいの矛盾に満ちた台詞だったが、アークの言葉には不思議な説得力があった。
信用出来る要素なんてどこにも何も見当たらないのに、その言葉を胸に刻んで深くうなずいてしまいたくなるような何かが、『赤』の声には込められていた。
「…はい!」
意識せぬまま、声をあげて答えていた。
心の底からアークの言う通りにしようと思えた。
アークの言う通り。
世界中の誰もが無理だとあきらめても、ただ一人、自分だけは彼女の無事を−彼女がいつか元気な姿で自分の前に戻って来てくれることを、信じ続ける。
ふと先刻耳にしたフレデリックの言葉を思い出した。
───全てのものに背いてもあなたを守る存在が一つくらいはあってもいいでしょう?
そう、同じことだ。
コートはまっすぐに顔を上げる。
「あの方の問いに対する回答にはなっていなかったようですが」
「そうか? でも嘘は言ってねえぞ」
「嘘だとまでは言いませんよ。…そうですね、前例のないことですから…あるいは、あなたの意見は正しいのかもしれませんが…」
「その前例のないコトをしたのはお前じゃねえか」
「…まあ、そうでしたね」
どこかとぼけたやりとりを打ち切って、シェルが向き直る。
「で。その他にご質問は?」
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