第2章−2
        
(2)

 二人は武器屋を出て、村の中央にある広場まで歩いて来た。
 広場には井戸があって、そのまわりでは数人のおばさん連中が賑やかに喋っている。
 いわゆる井戸端会議だ。
 そこから少し離れた所、広場に面した雑貨屋の店先では、男性が三人楽しげに談笑している。

「トーザ?」
 ヴァシルはトーザの顔を見た。
 トーザは左右に首を振る。
「逃がすのには間に合わんでござる」
 言いながら、背負った片刃剣−カタナの柄に手をかける。
「そうか」
 ヴァシルは軽く呟くと、トーザから少し離れる。

 直後。
 広場を凄まじい大気のうねりが襲った。

 ヴァシルとトーザはそれぞれ別方向に飛び出す。
 透明なハズの風が視界を塞いで吹き荒れた。
 しかし、二人は一向に怯む様子も見せず、それぞれの目指した場所へ人間離れしたスピードで到達する。

 ヴァシルの目の前で、店先で会話していた男達に巨大な黒い影が覆い被さろうとしていた。
 襲われている当人達は風から目を守るので精一杯で、自分達の状況には気づいていない。

 何だッ、コイツ!?

 ヴァシルは思いっ切り大地を蹴った。
 黒い影が一体何なんだかわからないが、トーザが刀に手をやったのだ。
 『敵』であることに間違いはない。
 ならば、先手必勝!

 相手が起こした大気の動きがヴァシルに味方する。
 風の勢いを借りたヴァシルの回し蹴りが黒い影にヒットした。
 それがたまたま急所に当たったのだろう、巨大な物体がぐらりと揺れる。
 と、それはヴァシルのすぐ前で煙のように消え去った。

「なにッ?」

 とりあえず着地する。
 同時に暴風が止んだ。
 立ち上がって辺りを見回す。
 あの黒い影らしき物はどこにも見当たらない。

 井戸のそばのおばさん達の方に向かったトーザも、刀を片手に持ったまま周囲を見ている。
 彼の方も斬りつけた途端相手が消えてしまったものとみえる。

「い…一体、何なの?」
 トーザの近くにいた女性が脅え切った声で問う。
 トーザはその女性の方に顔を向けると、にこっと微笑んだ。
「心配することはござらん、拙者とヴァシルがここにいる以上、村の人達に手出しはさせんでござるよ」
「…そ、そうね…」
 突然の出来事に、恐怖のあまり蒼白になっていた彼女の顔に、少しだけ安堵の色が戻ってくる。

 ヴァシルもトーザも、世界中にその名を知られた冒険者だった。
 世界屈指の格闘家に、『カタナ』を扱う剣術の達人。
 この二人が協力して立ち向かってなお歯が立たない相手というのも少ないだろう。
 物理攻撃がまったく効かない実体のないモンスターもいないワケではないが、ついさっき二人とも一撃を加えてきたばかりなのだ。
 『相手が邪竜人間族ででもない限り』大丈夫だろう。

「さすがだ、あの風をついて攻撃に転じてくるとは」
「! 誰だ!?」
 辺りに視線を走らせる。
 不意に、二人の前方三メートルの空間が陽炎のように歪んだ。
 ヴァシル、トーザ、それぞれに身構える。

 歪んだ空間からわき出るように、二人の人物が現れた。
 真っ赤な瞳に真っ赤な髪。
 ヴァシルとトーザの間に緊張が走る。
 ドラッケンだ。
 さっきの黒く巨大な影はこの二人が竜に化身した姿だったらしい。

 くそッ、こんなときに限って…。

「ヴァシル・レドア、トーザ・ノヴァ…世界有数の冒険者…ガールディーの選び出した、『力ある者』…か」
「ガールディー…お前ら、ガールディーのこと」
「お前達には今ここで死んでもらわねばならん」
 ヴァシルの言葉を遮って、右側のドラッケンが言い放った。
 今日はよく台詞を邪魔される日だ。

 ドラッケン二人の体を風が包む。
 左側の奴が片手を上げた直後に、風は生じた。

 アイツ、風使いか…。
 大気の力を操る呪文を得意とする魔道士は、特に風使いと呼ばれることがある。
 ドラッケン達を守るように巻き起こった風は普通のそれとは別のものだ。
 目を凝らせば見える風…相手の視力を奪う風だ。

 ヴァシルとトーザは早くも攻撃に移っていた。
 あの二人は竜に姿を変える気だ。
 自分達を本当に殺そうとしているのなら、そうするだろう。
 いかに邪竜人間族とは言え、人間の姿のままこの二人に対抗出来る者は数えるぐらいしかいない。
 だが一度ドラゴンになれば、一番下っ端の兵士でさえヴァシルやトーザに匹敵する力を得ることが出来る。
 竜人間族は竜に変身することによって通常の十倍以上に自らの能力を跳ね上げられるのだ。
 それに、竜に化身すると、ドラゴン退治専用に作られた一部の武器以外では決して傷を負わせることの出来ない強靭なウロコが全身を覆う。
 こうなると、攻撃魔法の使えない二人にはどうすることも出来なくなってしまう。

 しかし、竜人間族にもそれなりに弱点はあった。
 人間から竜に変化する直前の一瞬だ。
 このほんの僅かの間、彼らの防御力はほぼゼロになる。
 この一瞬に、自分達の攻撃を食らわせることが出来れば、あるいは…。

「!」

 やはり、遅かった。
 二人があと少しで邪竜人間族を攻撃出来る距離に迫ろうとしたまさにその瞬間、二人の兵士は巨大な竜へと姿を変えた。

 トーザが慌てて体をひねる。
 人間からドラゴンへと変わった直後、モノすごい衝撃波が八方へ飛ぶのを知っていたからだ。
 マトモに食らえば、吹っ飛ばされてしまう。
 しかし、ヴァシルはついついこのことを忘れてしまっていた。
 よって、そのショックをモロに全身で受け止めてしまうことになる。
 ちょっとした体の向きの違いではあったが…。
 トーザはかろうじて体勢を立て直して着地することが出来た。
 一方のヴァシルは、そのまま広場の端まで弾き飛ばされて民家のレンガ壁に激突した。

「ぐッ…」

 打撃にはやたらに強い体質のヴァシルも、さすがにこれには苦痛の呻きと共に動けなくなってしまった。
 気絶したワケではなかったが、全身を一度に襲った激痛が一時的に身体機能を麻痺させてしまったのだ。
 これはヴァシルに生まれつき備わっている自己防衛本能のようなもので、放って置けばどんな怪我を負っていても倒れるまで戦い続ける性格の彼にとってのブレーキ役を果たしている。
 治療が必要な傷を負ったら、身体の方が動くことを拒否してしまうのだ。
 便利と言おうか何と言おうか、不思議な体ではある。

 ヴァシルが動けなくなったのに気づいて、トーザは正直焦り始めた。
 二人がかりでも一体倒せるかどうか分からない邪竜人間族を、たった一人で二体倒さなければならなくなってしまったからだ。
 いくらおっとりのんびり型のトーザでも、この状況に焦らずにいられるワケがなかった。
 黒いウロコで全身を固めた竜…赤いぎらぎらとした目を持った竜が二頭。

「…絶体絶命でござるなぁ…」

 場にそぐわぬ間の抜けた声で呟く。
 竜はブレス攻撃が出来るのだと聞いたことがある。
 もしこの二体が一斉に炎を吐いたりしたら?
 …このシェリイン村なんか、跡も残らないに違いない。
 とにかく、相手が大きすぎる…。

 さっき自分が斬りつけたのは左右どちらだったのか…竜は二体とも無傷のように見える。
 つまり、カタナは全く通用していないというコトだ。
 かと言って、逃げたりするワケにもいかない。
 どのみち逃げられる相手ではないのだが。

 左側の竜が甲高い声をあげる。それが合図だったように、ドラゴン達がトーザに飛びかかって来る。

 …いや、来ようとした、まさにその瞬間。
 ドラッケンの咆哮を消してしまわんばかりに鋭い『鳴き声』が、遥か頭上から響き渡った。

「!?」

 広場を影が過る。
 全員の視線が上空の一点に集まる。

 そこにいたのは、一頭のドラゴン…全身を聖なる白いウロコで固めた竜だった。

 その姿を見るなり、二頭の黒竜が後退る。
 白い竜は太陽の光を全身で乱反射させ、眩い銀色の光を振り撒きながら、背中についた大きな翼を羽ばたかせてゆっくりと、本当にゆっくりと広場の上を旋回した。
 トーザは何も言えずにそれをただ見上げている。
 ───一周終えたところで、白い竜はまた鋭い声を発した。
 ドラッケンへの威嚇の声ではない。
 明らかに響きが違う。
 これは…『警告』の声だ。

 それを聞いた途端、二頭のドラゴンはひどく慌てた様子で人間の姿に戻った。
 二人がかりでも、あの白竜と戦って自分達が勝利出来る可能性が万に一つもないと知っていたからだ。
 白竜はドラッケンの動きを見張るように、シェリイン村の上をゆったりと回り続けている。

「と、とんだ邪魔が入った…だが、覚えておけ。近いうちに必ずお前達の命を貰い受ける」

 一人がありがちな捨て台詞を残す間も惜しく、二人のドラッケンは大慌てで出て来たときと同じように歪んだ空間の中へ姿を消した。

 トーザは刃を下ろして、大きく息を吐き肩の力を抜いた……。

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