第2章−5
        
(5)

 チャーリーはハッと目を開けた。

 首が痛い。
 机の上なんかにうつ伏せて、無理な姿勢で寝たからだ。

 右の肩に左の手を当て、肩と首をほぐすように動かしながら、体を起こす。
 もうすっかり暗くなっていた。

 床の上で金貨と酒瓶が、窓からわずかに差し込む月光に鈍く光っている。

 そっか、夜まで寝ちゃったのか…。

 ボンヤリそんなことを考えながら、右手の人差し指の先でテーブルをコンと叩く。
 部屋の中がパッと真昼のように明るくなった。
 目を細めながら、チャーリーは辺りを見回そうとした。

「お目覚めでっか、チャーリーはん」

 見ると、チャーリーの左側の壁にもたれかかって、コランドがふてくされた顔で座っている。

「コランド…」

「お疲れなんはわかりますけどな、ちょっとばかし寝過ぎとちゃいまっか? 五分でええ言うてはったから、ワイはちゃんと五分後に声かけたんでっせ。見事に無視されましたけどな」

「…何、してんの?」

「何してんのてアンタ、立てまへんのやがな! ここまで来てこうやって座んのにもえらい苦労しましたんやで! 辺りは段々暗くなってくるわ、腹は減ってくるわ、チャーリーはんは呑気に寝てはるわで人が心細い思いしとったってーのに、何してんのとは何でっか!」

 少しだけキツい口調でコランドが抗議する。
 チャーリーは椅子から立つと、彼の文句などまったく聞こえなかったかのような素振りで思いっきり伸びをした。

「ん〜、よく寝た…。でもコランド、まだ立てないの?」

 質問に答える代わりに、コランドは立ち上がってみせた。
 一応立てることは立てるのだが、五秒もしないうちにペタッと座り込んでしまう。
 コランドは恨みがましい目でチャーリーを見上げた。

「おっかしいなァ…そろそろ元に戻るハズなんだけど」

 粉の効力が予想以上に強くて、十分に送り込んだと思った精神力が実は不十分だったのだろうか?
 それで、コランドの精神力まで消費されてしまっていたのか…。
 その分も回復しなければならないから、こんなに脱力状態が長引いているのか…。

「まァ、立たれへんのは別に構わへんのですけど、もう腹が減ってフラフラなんですわ。何か食べさせてもらわんとやっとられまへん」

 道理で不機嫌なワケだ。

「わかった、今見て来るからちょっと待ってて」
「ホンマにちょっとしか待てまへんで」

 チャーリーは苦笑しながら台所の方へ行ってみた。
 調理台の上に、これ見よがしに両手ナベが一つ置いてある。
 近づいてフタを取ってみると、ナベの八分目くらいまでビーフシチューが入っている。

「!」

 ビーフシチューはガールディーの得意料理だった。
 夕飯に何を作るか少しでも迷ったら、ガールディーはこれにした。
 おかげで、チャーリーは一月に二十日も夕飯にビーフシチューを食べさせられることになったりしたものだったが…。

 シチューには食物の腐敗を防ぐ魔法がかけてあり、ガールディーがいつ作ったのかはわからないが、今でも十分食べられる。
 嫌というほど食べさせられたシチュー。
 材料の分量から作り方まで、すっかり覚え込んでしまっていた。
 チャーリーの得意料理でもあった。

 ナベの取っ手を両手で掴み、目を閉じて深呼吸する。
 三十秒ほどゆっくりと息を吸ったり吐いたりしているうちに、彼女の魔法の力でシチューはちょうど食べ頃に温まった。
 懐かしい匂いがした。

 ナベを調理台に置いたまま、食器棚に歩み寄る。
 さほど数のない食器の中から、シチュー用の皿を取り出そうとしたとき、まったく唐突に激しい動揺が襲った。
 手が滑る。
 皿が一枚床に落ち、大きな音をたてて粉々に砕けた。
 チャーリーはその場にしゃがみ込んで動けなくなってしまった。

「チャーリーはん? 何でっか、今の音? 何やってはるんです?」

 コランドの声。
 チャーリーは慌てて何でもないような声で返事をする。

「何でもない、ちょっと手を滑らせただけだから!」

 盗賊はそれ以上何も言わなかった。
 チャーリーは激しく頭を振り、棚にすがるようにしてやっと立ち上がる。
 そして、初めて自分が涙を流していることに気づいた。

 ガールディーが失踪した───そのことが、今初めて、どうしようもない現実感を伴ってチャーリーの頭の中に叩き込まれたのだ。
 それまでは、まだ何となくわかっていなかった。
 しかし、あのシチューの香りを嗅いだ途端、心の中を何かが通り抜けたのだ。
 それはすぐに戻って来て、食器棚に向かったチャーリーに言葉では言い表せないような衝撃を与えた。

 慌てて涙を拭いながら、チャーリーはどうにも否定のしようのない残酷な事実について考えていた。

 つまり、彼女はガールディーを失ったのだ。
 親のない自分を育ててくれた、自分の能力を発見しそれを伸ばしてくれた、『親』であり『先生』であるガールディーを、失ってしまったのだ。

 チャーリーには分かっていた。
 ガールディーが二度と自分の元には戻って来ないこと、自分が彼を殺すだろうこと、そして世界一の大魔道士であった彼の予知能力が九十九%以上の的中率を持っている…自分がまだ幼かった頃のガールディーの予言が、本当になろうとしていること…。

 認めなければならない。
 信じたくなくても、この苛酷な出来事の全てを。
 聖域の洞窟の奥になんてガールディーはいないのだと、チャーリーはトーザに言われるずうっと前から分かっていたのだ。
 でも、それを認めたくなかった。
 だから、ここまでやって来て…。

 最悪の事態になってしまったのだという事実を直視しなければならない。
 ガールディーが気まぐれに行方をくらましているのだろうと、心のどこかで思っていた自分の甘さ…そんなに楽観出来る問題ではないのだ、これは。

 具体的にそう思わせる理由などない。
 しかし、ガールディーの中で決定的に『何か』が違ってしまった…そのせいで、彼がいなくなってしまった。

 彼女には分かるのだ。
 同じ力を、持っているのだから。

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