第2章−4
        
(4)

 息を潜めて、じッと隠れていた。

 聖域の洞窟の最下層、最高位の魔道士が入って行ける限界の場所。
 何本かの円柱が天井を支える円形のだだっ広いホールで、中央にはここが聖域の洞窟の『底』であることを記した石碑がある。
 世界中の魔道士達が目指す場所。

 しかし、わずか九つのチャーリー・ファインには、ここに到達しただけで与えられるステータスなどまったく価値のないものだった。
 彼女にとって、ここまで来るのはさほど難しいことではなかった。
 去年、ガールディーが自分の為に洞窟のトラップを無力化するマジック・アイテムを作ってくれたので、ここまで降りて来たことは何度かあった。
 今回は初めてそれを持たずに聖域の洞窟に挑んだのだが、他の魔道士達がどうしてあんなにてこずるのか、彼女には理解出来なかった。

 今、チャーリーは一本の円柱にピッタリと身を寄せて、『敵』の気配を探っている。
 ここに入るや否や、彼女に襲いかかってきた双頭の巨大オオカミ、幻獣オルトロス。
 この前来たときには、こんな奴の姿はなかった。
 最初の一撃を瞬時に張ったバリアで防ぎ、素早く円柱の陰に空移(ワープ)して体勢を立て直した。
 オルトロスの視界からしばし姿を消していなければならない。
 強力な魔法には、それ相応の長い呪文の詠唱が必要なのだから。
 しかし、オルトロスの鋭い嗅覚はどこに身を隠そうともあっという間にチャーリーを見つけ、彼女に呪文を唱えさせまいと襲いかかって来るのだ。

 何度か空移で攻撃をかわしているうちに、チャーリーは不思議なことに気づいた。
 円柱の陰に隠れていても、呪文の詠唱さえしなければオルトロスは向かってこないのだ。
 呪文さえ唱えなければ大丈夫なのかとも思ったが、チャーリーが姿を見せると猛然と飛びかかってくる。

 彼女はようやく、この二首狼がガールディーの仕掛けた試練なのだということに思い至った。
 ガールディーは魔法書に書いてあることよりも、実際の戦闘の中で自ら得た知識の方を重視する人間だ。
 家の中に閉じこもって古文書を読み耽るのではなく、外に出て自然と会話し調和を乱そうとするモノを打ち倒す者こそが魔道士と呼ばれるのに相応しいのだと常々言っていた。
 要するに実戦第一主義なのである。
 しかし、そうは言いながらも、ガールディーはチャーリーに『戦い方』を教えることはしなかった。
 戦闘という極度の緊張状態の中では、他人から教えられたことなどそううまく出て来るものではないのだと知っていたからだ。
 己の知る全ての呪文をチャーリーに伝えたガールディーだったが、戦場での振る舞い方については一切話さなかった。

 …今、ガールディーはチャーリーに『戦い方』を教えようとしているのだ。
 自分の持つ魔法の全てをマスターしたこの小さな後継者に、実戦とはどんなものなのかを知らせようとしている。
 言葉ではなく、彼の力で作り出した魔物と戦わせることによって。

 実際の戦闘において、援護してくれる仲間のない状態では呪文の詠唱に時間をかけることは出来ない。
 見た目が派手で強力な魔法ばかりを使いたがるチャーリーに、それを分からせるため、呪文の詠唱を始めると同時に牙を剥くモンスターを、ガールディーは作り出したのだ。

 チャーリーは考えた。
 呪文を唱えるのに時間をかけられない以上、とるべき方法は二つ。
 短縮した呪文で強力な魔法を使って一撃で仕留めるか、それとも短い呪文で使える弱い魔法を連発して敵を倒すか。
 前者の方法では普通にその魔法を使ったときよりも遥かに精神力に負担がかかる。
 後者の方法では、オルトロスの攻撃をかわすこともしなければならないので、体力に不安がある。
 彼女は運動が得意な方ではなかった。

 どちらにするべきか…少しだけ迷ったが、チャーリーはそのどちらでもないある一つの考えにはたと気がついた。
 ───弱い魔法を使いながら、強力な魔法の呪文詠唱をすればいい。
 そうすれば、オルトロスに詠唱の邪魔は出来ないはずだ。
 なんだ、そんな簡単なコトだったのか…。

 もちろん、普通の魔道士にそんな真似は出来ない。
 世界一の大魔道士ガールディー・マクガイルに見込まれ、直接その教えを受けた魔道の天才、チャーリーだからこそやろうと思いつき、また実際にそうすることが出来るのだ。
 それに、ガールディーがそんな風な呪文の使い方をしていたのを、チャーリーはいつか見た記憶があった。
 口でこそ説明しないけれど、ガールディーは多種多様な魔法の使い方をチャーリーに示していた。

 円柱の陰から姿を現す。
 オルトロスが気づいてこちらを向く───。


 五分も経っていなかっただろう。
 中レベル程度の呪文の詠唱は三分半くらいで十分終わるものなのだ。
 いかにオルトロスと言えども、反撃する隙もないほど初級攻撃魔法を浴びせられた後にまったく予想すらしていなかった中級攻撃魔法をマトモに食らってはひとたまりもない。
 双頭のオオカミの瞳からは命の証しである赤い光が消え、その身体は床の上に横たわったままピクリとも動かなくなっていた。

 と、その姿が不意にボウッと霞み、幻のように消え去る。
 同時に、誰かがチャーリーの背中に拍手を贈った。
 振り向くと、ホール中央の石碑の上にいつの間にやらガールディーが座っている。

 手を叩くのをやめて、石碑の上から立ち上がったガールディーは、チャーリーのそばまでゆっくりと歩いて来た。

「よくやったな、お前はこれで名実ともに世界最高最強の魔道士だ。今で俺と大体同じくらい…だがな、お前はまだ子供だし、俺でさえ恐ろしくなるぐらいの才能を持っている。これからもっと伸びるだろう…お前は俺を、超えなければならないんだ」

 チャーリーは無言のままガールディーを見上げている。
 ガールディーはその頭を軽く撫でてやった。
 その手が離れたとき、チャーリーは初めて、自分が子供らしい笑顔をガールディーに向けていることに気づいた。

「お前…」

 ガールディーは一瞬、とてもビックリしたような顔をしたが、すぐに自分も笑顔になってチャーリーの小さな身体を抱き上げる。

「初めて俺に笑いかけてくれたな…」

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