第2章−8
        
(8)

 夜は更けてしまっていた。
 何をするのにも、遅すぎる時間だ。
 今夜はこのまま明日に備えて休むことにする。

 …と言っても、この家に人数分の寝具はない。
 ベッドは当然二つしかないし、他には寒い時期に使う毛布が二枚…。
 チャーリーはかつて自分の部屋だった場所の物入れの中から、その毛布を取り出してきた。

 テーブルのある部屋に戻ってみると、ヴァシル達が床に散らばる瓶やら金貨やらをちょうど片づけ終わったところだった。
 瓶はひとまとめにして部屋の隅に並べ、金貨は全部布袋に詰める。
 ずっしり重い袋に五つ分。
 床の上に広がっているときはそんなにあるとは思えなかったのだが…。

「しかしまァすげえ大金だな、コイツは」

 テーブルの上に置いた袋に目をやりながら、ヴァシルが言う。

「これを置いて行っちまうんだもんな、お前のお師匠さんもわからんよなァ」

「本当にどうしてだろう…いつもはそーいうコト絶対しない人なんだけど」
 毛布を椅子の上に置く。

「…で、誰がどこに寝る? あ、サイトはベッドで休んだ方がいい。あちこち飛んで疲れてるでしょう」
 チャーリーの断定的な言い方に、サイトは遠慮するタイミングを逃し、黙ってうなずいた。
 実際とても疲れていてそうしたいと思っていたところだったのだ。

「コランドはもう十分休んだから毛布だけでいいでしょ? ヴァシルとトーザでジャンケンでもして」

「チャーリーさんはどうするんですか?」

「私は…もう十分すぎるほど寝ちゃったからいいよ。レフィデッドの墓を作ってやらないといけないし…」

「オレ達が入って来たときに倒れてた奴か。そーいや、お前達の方の話まだ聞いてなかったな」

 サイトの話の後でチャーリーの方の経過を報告するつもりだったのに、コランドが突然話し始めたのでそのまま忘れてしまっていた。

 チャーリーは手短に今までのいきさつを説明する。
 五分もかからない。

「人間でありながら邪竜人間族…」

 サイトが難しい顔で呟き、視線を床に落とす。
 ドラッケンのやり方にひきつけられる者がいるということが信じられない様子だった。
 まったく理解出来ない…押し黙ってしまった彼の瞳がそう語っている。
 チャーリーはあえて何も言葉をかけなかった。

「その前に、トーザとサイトに何か食べる物探して来ないと。誰かさんが一人でシチュー食べちゃったからね」
「そー言うけどなァ、オレはまだ足りないのを我慢してるんだぞ」
「おかしいんじゃないの!?」
「おかしかったら笑えばいいだろー!」
「ふ、二人ともよすでござる」

 この二人、寄ると触るとケンカをしているように見えるが、本当はそれほど仲が悪いワケではない。
 ケンカするほど仲が良い…というのとも少し違っている。
 チャーリーもヴァシルも、いつもはこんなにお互いに突っかかってはいかない。
 ひとえに、ヴァシルが空腹で気が立っているのが悪いのだ。
 いつもならチャーリーに何か言われても気づかないか、そうでなければうまくはぐらかしたりしているヴァシルなのに、腹が減っているとマトモに相手をしてしまうのだ。

 …こう書くと、ヴァシルの方がチャーリーよりも精神年齢が上のように感じられてしまうが、決してそういうコトはない。もちろんむしろ逆なのだ。

「でも、この島に食べ物なんかあるんでっか? 昼間ちらっと見た限りでは、果物のなってるような木も、畑みたいな所も…」

「食べるモンないところでどーやって生きてきたと思ってんのよ…」

「これから釣りでも?」

 真面目な顔で言ったサイトに、チャーリーはこの日何度目かの脱力感を覚えた。
 私のまわり、こんな奴ばっかり…。

「あのねェ、アンタも空飛べるんだからわかるでしょ。ちょっと海を渡れば、すぐ食べ物の豊富な大陸に…」

 ガタン。

 唐突にドアの向こうから聞こえてきた物音に、チャーリーはハッと口を閉ざしてそちらを見る。
 他の四人も同じように視線を向ける。
 なんだかとても気まずい沈黙───。

「幽霊やったりして」

 ふざけようとしているらしいがふざけきれていない声でコランドが言う。

「アンタ本気で言ってんの…?」

 トーザが物も言わずにドアに歩み寄り、一同注視の中、バン! とドアを開け放った。

「くぇ〜」

 …気の抜けるような鳴き声。
 トーザ、一歩後退る。
 何事かと身を乗り出したチャーリー達の目の前に、トーザの体の横からひょいと姿を見せたのは、グリフだった。

「あっ! 忘れてた!」

 チャーリーは慌てて戸口に駆け寄る。
 頭をすりつけてくるグリフを撫でてやる。

「ゴメンよ、長い間放っといて…私のこと待ってたのか…グリフも、お腹空いたんじゃないの?」

 彼女の言葉に、グリフはチャーリーから体を離し、前半身の鷲のツメで外の暗がりを指す。
 さっきまでの月明かりは空を横切る真っ黒い雲に隠されて地上に届かなくなっていた。

「何でござるか?」

 トーザが表に出て、そちらへ歩いて行った。
 暗闇の中で少しの間屈み込んでゴソゴソやっていたが、やがて手に何かを持って室内の明かりの届く所に戻って来た。

「何?」

「グリフが拙者達の夜食を調達してきてくれたようでござるな」
 片手を上げる。
 その手にはパンが…チャーリーはグリフの顔を思わず見つめた。

「ど…どっから取って来たの?」

 パンのなる木なんてあるワケがない。
 グリフは答える代わりに首をひねって、体の横の羽根を手入れするようにクチバシでつついた。
 チャーリーが黙って見ていると、クチバシに何かをくわえた状態で首を元に戻す。

「…何?」

 チャーリーが差し出した片手の上に、グリフは羽根の中からつまみ出した物を落とす。
 金貨だ。
 このグリフォン、買い物してきたらしい。

 トーザがパンやら果物やら出来合いのおかずやらが入った箱を明るい所まで引きずって来る。
 結構な量だった。

「おッ、いーねぇ。これでやっと腹一杯になりそうだ」

 素直に喜びを表に出しているヴァシル。
 サイトもコランドも、いつの間にやらチャーリーの後ろから外の様子をうかがっていた。

「領収書が入ってるでござるよ」

 トーザが一枚の紙切れを振っている。

「名前は『上様』でござるが」

 合計金額を確認して、チャーリーは少しばかり驚いた。食物の量に見合った結構な額。
 グリフの羽根に、十枚ほどならともかく、これだけの金貨を隠せるもんだろうか…?
 自分が乗ったときには、全然そんな感じはなかった。

「コランド、コイツ家の中から金貨持ってった?」

「そーゆーコトは絶対ありまへんわ。そりゃ、ワイかてちょっとは寝ましたけど、こんなん入って来たらいくらなんでもわかりますもん」

「それじゃ…」

 戸惑っているチャーリーに、グリフはもう一度鷲のツメである方向を指し示した。
 …レフィデッドが倒れている。

「…私達が来たときには、家の前に箱なんかありませんでしたよねぇ」
「サイトとコランドの長〜い話の間に買い物して来たってワケだな、グリフ」
 グリフォンは自分の意思がうまく相手に伝わったらしいコトに満足して首を大きく縦に振った。

「それはやっちゃいかんことでござるよ…」

「いい! もういい! グリフの好意だ、ありがたくごちそうになろう!」

「それにしても、えらい羽振りのええ人やったんですなぁ」
 自分が盗っときゃ良かった…うらめしそうにレフィデッドの遺体とグリフを交互に見るコランドであった。

 やっと思う存分食事が出来そうなのに喜んで、ヴァシルが一人で軽々とその箱を持ち上げ家の中へ運んだ。
 今度はグリフも家の中に入れて、テーブルを囲む。
 金貨の袋をテーブルの下にとりあえず押しやって、箱の中の食料品を全部並べてみる。
 普通の人間四、五人が食べる二、三日分はあった。
 人並みはずれた大食漢のヴァシルがいることを考えてもなお、二日は十分もつだろう。
 …ちょっと買い過ぎなんでないだろうか。

 色々な種類の食べ物や飲み物があったが、アルコール類だけはなかった。
 酒が入ると必ずチャーリーとヴァシルが大ゲンカしてお互いに怪我をさせ、さらに翌朝両者とも二日酔いで起きてこられなくなるということをグリフはちゃんと知っていた。
 酒が入った状態でのケンカは必要以上にエスカレートしがちになるもので、過去三回ほどトーザが峰打ちで二人を気絶させなければどうにもおさまりがつかないような事態に陥ったこともある。
 そんなことにならないように、グリフもきちんと考えて品物を選んで来たのだ。
 相当に優秀なグリフォンだと言わねばなるまい。

 五人と一頭は楽しく談笑しながら−もちろん、グリフは喋れないのだが−食事を済ませた。
 グリフはちゃんと自分の分の果物を買って来ていた。

 チャーリーは、グリフが買って来た物には少し手をつけただけで、トーザが今朝くれた弁当を取り出す。

「おっ」

 ヴァシルが注目する。
 トーザも目をやって、あからさまに動揺した表情になった。

「まっ、まだ食べてなかったんでござるか?」

「色々あってね、その暇がなかったんだ」

「? チャーリーはん、弁当なんか旅に持って出るんでっか?」

「いつもはそうじゃないんだけど」

「トーザが作ったんだぜ、それ」

「トーザさんて器用なんですね」

「普通は逆とちゃいますのん?」

「も、もうこの話題はよしてほしいでござるよ…」
 耳まで真っ赤にしてうつむいてしまう。
 チャーリーとヴァシルは顔を見合わせて首を傾げた。
 コランドとサイトはぽかんとした表情でトーザを眺めている。

「…まァいいや。そんなことより、明日の話しとこう」

「明日って、オレ達は海辺の洞窟に行って、お前とサイトはバルデシオン城に行くんだろ?」

「それはそうなんだけど、じゃあアンタ達、船もないこの島からどうやってそこまで行くつもりでいるのよ」

「途中まではサイトに乗せてもらって…」

「バルデシオン城からそこまで行こうと思ったら山脈を一つ越えなきゃなんないんだよ? アンタらの足で山登ってるうちに私が追い抜いちゃうよ。それじゃ別行動とるイミがないでしょ」

 チャーリーが突っかかるが、今度はヴァシルは言い返さなかった。
 お腹が一杯になって心も穏やかになったのだろう。

「そりゃそうだよなァ…うん、もっともだ。それじゃどうするんだ?」

「明日の朝アンタら三人を転送魔法で洞窟の前に運んであげるから」

 と、その言葉に、ヴァシルとトーザは椅子に腰かけたまま露骨に後退った。

「え? え? 何ですのん?」
 コランドも不安を感じてワケがわからぬままとりあえず同じように後退る。

「ちょっと、何なんだよ、その反応はッ!」

「だ…だって、転送魔法だろ?」

「チャーリー、一回それで拙者達をヒドイ目に…」

「───…つまらんコトばっかり覚えてるんだから」

「つまらんコトとはなんだ! 人を海の真ん中になんか飛ばしやがって! 危うく死にかけたんだぞ!」

「ちゃんと助けに行ったじゃないかぁ」

「えッ? そんなんなんですか、チャーリーはんの魔法って」

「いや、失敗はまずせんのでござるが」

「ヴァシルが入るとな〜んか失敗しちゃうんだよなァ」

「お、お前なァ」

「冗談だって。あん時はホラ、寝不足だったから」

「寝不足で仲間を殺すような人なんでっか?」

「いや、別に殺してはござらんよ」

「チャーリーさんはそんな人じゃないと思います」

「じゃ、今すぐ寝ろよ! 失敗せんように!」

「昼間寝ちゃったから眠くないんだよぉ」

「ダメだ! 人間、食いだめは出来ても寝だめってのは出来んようになっとるんだ。今すぐ寝ろッ!」

「眠くないのに寝られるワケないでしょ」

「反省のないヤツだな…その昼寝と夜更かし癖のおかげでオレ達がどんだけ迷惑しとると思ってるんだ!」

「別にいいでしょ、どんなに危ない目に遭わせても殺してないんだから」

「オレは少しは反省しろと言っとるんだ!」

「無理でござるよ、ヴァシル」

「う〜…それじゃトーザ、お前、相手を眠らせる魔法使えただろ、あれ使ってくれ」

「拙者程度の呪文では到底チャーリーには効かないでござる」

「そーゆーコト。ヴァシル達こそ早く寝たら?」

 言いながら、席を立つ。

「どちらへ?」

 サイトが声をかける。

「レフィデッドの墓を作ってやらないと…なんか申し訳なくなってきたし」

「あはは、そーですなぁ」

「グリフもおいで、レフィデッド運ぶの手伝って」

 グリフォンはうなずいてすぐにチャーリーに従った。
 一人と一頭はドアを開けて外に出て行く。
 が、五分と経たないうちに戻って来た。

「? なんか異常に早いでござるな」

 チャーリーは戸口に立ったまま、えらく真剣な表情で前方三十センチくらいの所の床をジッと見つめている。

「どうか、したんですか」

 サイトが椅子から立ち上がってチャーリーに向き直る。
 彼女は瞳を上げて、マジメな顔で善竜人間族の皇子を見た。
 そして、口を開く。

「サイト、ドラッケンに死体操者はいる?」

「したいそうしゃ…何ですか?」

「ネクロマンサー」

「ネクロ…」

 途中まで反復しかけたサイトの表情がサッと強張る。
 同じくらい真剣な目がチャーリーを見返した。

「います。腕のいいのが何人も。最初のネクロマンサーは、ドラッケンの中から出ましたから」

「そうか…」

「レフィデッドの死体が消えたんでござるな」

 チャーリーは小さくうなずいた。

 いずれ、レフィデッドとはもう一度戦うことになるだろう。
 痛みも死に対する恐怖も感じない、厄介なことこのうえない敵として、あの赤髪の魔道士はチャーリーの前に現れるハズだ。
 死因はどうあれ、魂の離れた身体が大人しく土に還ることは調和であり、それに背くことは混沌。
 ドラッケンの仕業に間違いない。
 他種族にネクロマンサーがいないワケではなかったが、今頃こんな島までやって来てレフィデッドの死体を持ち去らねばならない理由は彼らにはない。

 自分達の行動が全て見透かされているような嫌な感じだ。
 すぐそばまでドラッケンが忍び寄っていたにも関わらず、まったく気づかなかった。
 レフィデッドの死体がネクロマンサーに持ち去られたそのことについて、チャーリーは暗い顔を見せたのではない。
 ネクロマンサーがこの小屋のすぐそばまで近づいたこと、そして自分達の誰もがそれに気づかなかったことについて、言葉では表すことの出来ない気分を味わっているのだ。

 少し、気を緩め過ぎているようだ。
 油断は不必要な災難を引き寄せる。
 気分を切り替えなければならない。
 ともすれば忘れそうになってしまうが、この戦いの勝ち負けが世界の明暗を分けることになるのは確かなのだから。

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