第17章−10
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 髭の大男が持参したバスケットの中にあったピクニックシートを道の真ん中に広げて、ピクニックシートの中央にクリームシチューの入った両手鍋やサンドイッチの詰まったバスケットを並べて。
 マーナ・シェルファードとイブ・バーム、フォスタート・スラトやエルフ達は思い思いの場所に腰を落ち着けた。
 さすがに十人で一枚のシートを使うのは無理があったため、男性陣は木の根元や茂みのそばなど地面に直接座り込んでいる。

 濃い紫色の髪を持つエルフの女性−改めて見ると同性であるイブやマーナさえ息を飲んでしまうほどの美女だ−は、何故だかぴったり人数分あったスープ皿に手際良くシチューを取り分けながら、まだ幾分戸惑い気味の客人達に向かって自分達のことを気さくな口調で説明した。

 彼女の名前はエスレーフィア。
 髭の男はエスレーフィアの夫でノールドール。
 ミリルの兄の名はエイル。
 見た目では全く判別出来ないくらいにそっくりな三つ子は、バーンローヴィッツ、バーンルトリック、バーンルジール。

 もちろん全員が隠れ里で暮らすエルフ。
 高位エルフのまとめ役であるディルシア・フーシェが、森にやって来た一行のうちサイト・クレイバーしか里には入れられないとの決断を下したことを知って、深い森の中に取り残される他種族の者達に同情しこうして駆けつけて来た次第である。

「じゃあ、あたし達が里に連れてってもらえないのって、エイルさんが決めたことってワケじゃないんだ?」

 エスレーフィアが差し出す皿を両手で受け取りながらマーナが言う。

「当然です。私自身はそのような判断を下せる立場にはありません」
「だって、ミリルちゃんがすっごく申し訳なさそうだったから…それじゃあミリルちゃん、あんなに平謝りすることなかったんじゃない?」
「そッ…それは、あの、そうだったんですけど。…でも! でもッ、お兄ちゃん、あの、この通り無愛想で怖いカオだからッ! 皆さんを不必要に怖がらせたんじゃないかって思って!」

「…ミリル…お前はこの兄のことをどう思って…」

「まあまあまあ。エイル、まさか自分が愛想いい方だなんて思ってるワケじゃないんだろ?」

 三つ子の一人−マーナ達には紹介された後でも誰が誰だかさっぱり見分けられない−が、なだめると言うよりは茶化すように口を挟む。
 少年のからかうような口調に明らかに不満を感じている表情ながらも、エイルはそれ以上反論することなく口を閉ざした。

「そもそもどうしてエイルさんが皇子様のお迎えに来たの? 何て言うか、エイルさんって、あんまり…いや全然そういう役目には向いてなさそうなんだけど」

「マーナ…!」

 本人が目の前にいるというのにそういうことを平然と。
 イブが慌てて黙らせようと袖を引くが、本人には何故そうされるのか全くわかっていない様子。
 毎度のこととは言え彼女の言動には神経を容赦なく擦り減らされる思いがする。

「そうだよなあ、そう思って当たり前だよ」

 先程エイルをからかった少年の隣でサンドイッチをかじっていた兄だか弟だかが、おかしそうに口を開く。

「でもさ、しょっぱなからオレ達みたいなのが出て来てたら、アンタ達今よりもっと面食らってたんじゃないの?」

 愉快そうに続けて、左右にいるきょうだいに同意を求めている。

「まあ…、それは、そうかもしれない…けど…」

 即座にうなずいてしまいそうなマーナを押さえて、慎重に言葉を選びつつイブはその場にいるエルフ達の表情をうかがった。

「エイルが案内役に選ばれたのはさ、アンタ達の感覚から見て一番『エルフらしい』性格だったからだと思うな」

 サンドイッチの最後のひとかけらを口の中に押し込んでいる二番目の少年のさらに隣り、三つ子の最後の一人が発言する。

「ほら、気難しくて、もったいぶってて、とっつきにくそうでおっかなそうで」

 本人がすぐそばにいると言うのに全く遠慮せずに並べ立てる。
 エイルは苦々しげに表情を歪めたが会話に割り込んで来る様子はない。
 いつもこのような扱いを受けていて、こういう手合いには言い返せば言い返すほど事態が泥沼にはまり込んでゆくのだと骨身に染みてでもいるのだろうか。
 沈黙している兄に代わって反論を試みようと言うのかミリルが口を開きかける、が。

「サイト皇子の案内役をするように言われたのは、エイルが一番礼儀ってモンをわかってるからじゃアないか」

 エスレーフィアの言葉がそれを遮る。

「アンタ達みたいな頼んないのに任せるよりはよっぽどいいってディルシアが判断したから、それだけよ。ヒトの性格をどうこう言う前に、三人揃ってもっとオトナになりなさいな、おちびさん達」

 あっけらかんといともたやすく切り捨てられて、三つ子は思わずと言った感じで互いの顔を見合わせている。
 少年達の反応に愉快そうな笑顔を見せてから、エスレーフィアはイブ、マーナ、フォスタートを順に見渡した。

「どうしたんだい? 冷めないうちに早くお食べなさいな」

 すすめられてスプーンを取り上げる。
 野菜ときのこがたっぷりと入ったクリームシチューは文句無しに美味しかった。
 ミリルのサンドイッチもエイルの紅茶も。

 皆はしばらく会話を中断して食べることに専念する。
 マーナのビースト達も主人が携帯していた干し肉やひまわりの種をかじったりつついたりしている。

 食事も終盤に差しかかり、ほとんどの容器が底を見せ始めた頃。
 残り少なくなった鍋の中身をノールドールの皿に移していたエスレーフィアがふと思いついたと言った感じで口を開いた。

「そう言えばさあ、今話題になってる、ガールディー・マクガイルって人間族の魔道士」

 手を止め顔を上げて、マーナ達は彼女に注目する。

「ちょっと前にここに来たのよね」

「ええッ!?」

 マーナとイブが同時に驚きの声をあげ、フォスタートがいっぺんに表情を厳しくする。
 ひまわりの種をほおぶくろに詰め込んでいたちゅちゅを両手で握りしめてしまいながら、マーナがすかさず身を乗り出し詰め寄った。

「ちょっと前って、いつのことですかッ?!」

「えっと…二、三年前だったかしらねえ」

「な、なぁんだ…」

 もしやエルフの隠れ里でサイトとガールディーが鉢合わせするようなことにでもなっているのでは、と緊張しかけた三人は、その答えにひとまず肩の力を抜いた。
 千年の長命を誇るエルフから見れば二、三年前が『ちょっと前』の出来事になってしまう。
 人間族であるマーナやイブには理解しかねる感覚ではあった。
 そんなワケで一旦安堵して、けれどもすぐに当然次の疑問が浮かび上がる。

「ガールディーさん、何をしにここへ?」

 マーナの質問にエスレーフィアは少し首を傾げて答えた。

「それが、アタシもよく知らないんだけど…誰かわかるかい?」

 同族の顔を見回したが皆首を左右に振った。

「そうよねえ…あのヒト、ディルシア以外とは口をきかなかったみたいだから、無理もないわね」

「ディルシアさんって、エルフの偉い方なんですか? さっきも名前が出たようですけど」

 イブの言葉にエスレーフィアは短くうなずきを返す。

「そう。あたし達エルフって種族としては十一人の高位エルフが話し合って決めることに従って行動するんだけど、ディルシアはその高位エルフの中でも中心的な存在なのよ。立場はあくまで他の十人と同じなんだけどね」

「そのヒトはガールディーさんの知り合いだったんですか?」

 イブの横からマーナが問う。

 するとエルフ達は何とも言えない表情になって、少しの間全員がマーナ達から視線を外した。
 一種異様な反応にもめげずにマーナは同様の台詞で再度尋ねかける。
 ミリルもエイルも三つ子もエスレーフィアもどこか気まずげに黙り込む中、答えてくれたのは意外なことにそれまで一言も喋らなかったノールドールだった。

「ディルシアは、シルフィアの兄だ」

 低く重く渋い声がぼそりと紡いだ言葉。
 聞き取れはしたがその意味がわからない。
 マーナは即座に問い質す。

「シルフィアッて、誰なんですか?」

 顔中を覆う髭の隙間から、暗い色の瞳がひたとマーナを見据える。
 ノールドールは続けた。

「ガールディーを好いていた」

「すいて…好きだった、ってコト?」

 うなずく。
 ノールドールだけではなく、他のエルフ達も同時に。
 その場に満ちる、何故だか息苦しい沈黙。
 振り払うようにマーナは口を開く。

「どうして…それじゃ、シルフィアさんには会わなかったの?」

 エスレーフィアはガールディーがディルシア以外とは口をきかなかったと言った。

「シルフィアはねえ」

 エスレーフィアがマーナを見つめる。
 髪と同じ深みのある紫色をした瞳で。

「選ばれたのさ。アンタ達が生まれるうんと昔のハナシだけどね」

 エスレーフィアの眼差しは哀しくてけれど同時に優しく、笑っているようでもあり泣いているようでもあった。

「『光』にね。だからシルフィアはもういないんだ」

 話が見えない。

 マーナはイブと顔を見合わせ、断片的に与えられる情報を一つに繋ぐ明快な説明を求めるようにフォスタートを振り返り、誰も何も解説してくれないので仕方なくエスレーフィアに視線を戻した。

 森の空気がいつしかしんと静まり返っていた。
 最初から静かな場所ではあったが、これほどではなかった。
 全てのものが息を潜めているような。
 ちゅちゅがマーナのウエストポーチにもぐり込んだ。

「『光の具現者』」

 不意に声を発したのは、フォスタートだった。

 はっと振り返ったマーナとイブの視線を平然と受け止めて、善竜人間族の魔道士は感情が読めない平板な口調で解説する。

 善竜人間族が邪竜人間族と戦うように、エルフは『闇』そのものに立ち向かう。
 普段は見張り続けているだけ…しかし、何百年単位の周期で訪れる、『闇』がその濃さを増すとき。
 エルフの中に闇色をまとう者−エルフには通常ない黒い髪と黒い瞳を持つ者が現れる。
 その者こそが『光の具現者』。
 自らの生命を『光』の力として解放することによって、勢力を強めた『闇』を退け、世界のバランスを保つ者。

 吟遊詩人(バード)である職業柄古代の伝承などにはそれなりに詳しいマーナだったが『光の具現者』という単語を耳にしたのは初めてのことだった。
 イブも同様。

「よくご存知でしたね」

 エイルが呟く。

「そのことについて書かれたものを偶然読んだことがありまして」

 言って、フォスタートは強張っていた表情を和らげた。

「どこか間違っている部分がありましたら」
「いいえ、完璧でわかりやすい説明だったわ」

 エスレーフィアに小さく一礼し、フォスタートはそれきり口を閉ざす。

「シルフィアは『光の具現者』になった。生まれつきそうだったんじゃアない、あるとき急にそうなったのさ。『光の具現者』はそういうものだからね。ある日突然、髪と瞳の色が変わって」

 紫色の瞳がほんの少しの間だけ、ひどく遠いところを眺めるように細められる。

「エルフにとってはこのうえもなく喜ばしいこと、望んだって得られない無上の名誉さ。『光』の種族の代表となり『闇』そのものを封じられるなんて、素晴らしいことだよ」

「でっ…でも! 選ばれたら…つまり、死んじゃう…ん、ですよね…?」

 たまらなくなって大声で割り込んだものの、すぐにそれを悔いて語尾を弱々しく濁らせて、それでも納得出来ない感情だけは隠せないまま、マーナはエルフ達を見回す。

「選ばれずとも皆いつか死にます」

 何でもない、当たり前のことのように−そしてそれは実際どうしようもなくその通りなのだが−エイルが返す。

「そうであればより意味のある生命の使い方をしたいと願うのは当然のこと」

 緑の瞳がマーナを捕らえる。
 『光の具現者』として世界のために『光』のために命を投げ出すことは意味のあること。
 違いますか?

 エイルはそう言いたいのだろう。
 反論したくて、反論しなくてはならないような気がして、だけど適切な台詞を探し当てられなくて、うつむき加減に顔を逸らしてしまう。

「お兄ちゃんッ!! ごめんなさいッ、マーナさん…でも、私達…」
「アタシ達と人間族じゃ生命に対する考え方が根本から違うのさ。どっちも間違っちゃアいないとアタシは思うよ」
「それは…もちろん、合ってるとか間違ってるとかじゃなくって…」

「マーナ」

 イブが友人の袖を引っ張り、

「ガールディー・マクガイルはどうしてディルシアさんに会いに…?」

 話をもとの方向へ戻す。

「それがねえ…やっぱり、よくわからないのよねえ」

 空になった両手鍋の底をしつこくおたまで引っかきながら、エスレーフィアは大袈裟な身振りで首を捻った。

「シルフィアがもういない以上、あのヒトがアタシ達のところまでわざわざやって来る理由なんかないハズなんだけどね。あのヒトとディルシアはあのとき初めてカオを合わせたワケなんだし」
「あの…シルフィアさんとガールディーさんって、付き合ってたんですか?」

「まさか」

 鍋の中におたまを放り投げて、エスレーフィアはまたも大袈裟に肩をすくめて見せる。

「シルフィアはガールディーとろくに口もきいたことなかったんだよ。付き合うなんてそんな。お互いのコトだってちっともわかっちゃなかったハズさ」

「でも、シルフィアさんはガールディーさんのことが好きで…ガールディーさんは、ここまでシルフィアさんのお兄さんに会いに来たんですよね?」

 イブが事実を確認する。
 エスレーフィアはうなずいてからまた首を傾げた。

「ホントに、どうして今頃んなってあのヒトがこの里に来たのかしらねえ」

「シルフィアさんが…亡くなったのって、何年前のことなんですか?」

 マーナが質すと、エスレーフィアはさらりと答える。

「ざっと二百年ぐらい前のことね」
「二百年…」

 マーナとイブは顔を見合わせた。

 そんなに時間が経ってから…わざわざシルフィアの兄に会いに、ガールディーがここに来る理由、なんて…?

「ひょっとして!」

 はっと思いついてマーナが声をあげる。
 隠れているところをわざわざウエストポーチから引っ張り出したちゅちゅを両手で握りしめて。

「ガールディーさん、もしかしてその頃から『闇』のせいとかでおかしくなってたりしたんじゃ? それで、ここへは、なんか…何かはよくわかんないけど、あんまり良くない、そういう工作とか企みとか…うまく言えないんだけどそういうコトをしに…?」

 両手の中でハムスターがむぎゅうとつぶれかけている。
 イブはとりあえずマーナの手からちゅちゅを救出してやった。
 それから、彼女が言ったことについてその可能性を検討しようとしたが…。

「それは違います」

 エイルの冷静で無表情な声が考える隙も与えてくれなかった。

「ガールディー・マクガイルがそのような働きかけを行ったのであれば、ディルシアは彼をここから生きて帰さなかったでしょうから」

 容赦のない言い回しだった。
 エスレーフィアも同調する。

「高位エルフは特にね、そういうコトに対しては厳しいよ。あのときガールディーがおかしな言動を見せていれば、エイルがいま言った通りにしてたハズさ」

「実際にはディルシアは話が済み次第ガールディーを森の外へ送り出しました。彼はやはりシルフィアのことでこの里に来たのでしょう。具体的にどのような会話が交わされたのかはわかりませんが、ガールディーは高位エルフとしてではなくシルフィアの兄としてのディルシアに会いに来たのだと思われます」

「ガールディーさん…ホントに何の為に、ここまで来たのかなァ…」

 マーナの問いかけに答えられる者はいない。
 宙に浮いた質問はその場の空気を妙に重たくしんみりさせて、会話は彼女のその台詞を最後に不自然に途切れてしまった。

第17章 了


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