(10)
顔を覆った両手を降ろしてみたら、ローゼは見たこともないような暗い場所にいた。
上下左右前方後方の感覚さえ喪失してしまいそうな暗い場所に座っていた。
「あ。目を覚ましたみたい」
それなのに、ローゼの動きを正確に察知したタイミングで一つの声が響いた。幼いこどもの声だ。
「大丈夫か? アンタひどい目に遭ったみたいだな」
こどもの声に続き、快活な男性の声が陽気に話しかけて来る。こどもも男も、声の主の姿は闇に阻まれてまったく見えない。
「会話が可能なようであれば質問にお答え願いたいのですが。あなたの名前は? 『何色』ですか?」
第三の声が意味のわからない問いを投げて来る。ひどく落ち着いた声。若い男だろう。
「あのね、キリノはね、名前はキリノ。色はね、『黄金』なんだよ」
「俺はアーク。『赤』のアークだ」
手本を示したつもりなのか、先の二つの声が問われてもいないのに先に返答してくれた。
「私は…『白』です」
落ち着いた声がそう続ける。この声は何故か名乗らなかった。
名前はともかく『何色』とはどういうことなのだろう?
全然見当もつかない。
そのことを問い返す気力も今はないし、もはや何事も問い返す必要があるとはローゼには思えなかった。
だから答えを返さずにおこうと思ったのに、不意に目の前に閃いた色を、ローゼは自分の名と共に三つの声に教えてしまっていた。まるで何か有無を言わせぬ強い力にそうせよと命ぜられたかのように。
「…イクス。…『青』…」
青。
花嫁衣裳の色。
暁待ちの花の汁で自分が染めた、高い青、霞む水色、…シフが一番好きな季節の空の色。
「よろしくな、イクス」
「イクスおねえちゃん。えへへ、よろしくね」
アークとキリノの声が聞こえる。
ローゼはもう返事をしない。
再び両手で顔を覆って泣き崩れている。
血に染まってわからなかった。
月の光があんまり白くてわからなかった。
夜明けまでずっと眺めていたのに気づいたのは今。
シフが着ていたのは婚礼の衣装、自分が心を込めて染め上げた生地で仕立てられた晴れの日の衣装。
それが何を意味するのか、シフが何を考えていたのか、今となってはもう推測することさえ出来ないけれど。
「泣いてるの? イクスおねえちゃん?」
…かえりたい。
シフが、みんながいる場所に。
私が一番、一番しあわせだったときに、しあわせだった場所に。
そしてそこにずっといたい。
ずっとずっとそこにいたい。
イクスは願う。
強く強く願う。
「あのね、でも、もう泣かなくたって、だいじょぶなんだよ?」
キリノの声が優しくあやすように聞こえてくる。
「イクスおねえちゃん、キリノ達でね、『せかい』をつくるんだって。だからね、泣かなくても、だいじょぶなの」
優しく優しく…響いてくる。
「ねっ、いっぱいいっぱい、笑える『せかい』をつくるの。そしたら泣かなくてね、だいじょぶなの。もう泣かなくていいの」
───まだ生まれてもいない世界は欲した。
五つの色の、五つの心。
ローゼ・イクス・シード・フォア、語り手の少女が選んだ色は『青』。
留まり続ける『青』の心。
不変を担う『青』の心。
───声はよろこんだ、ヒトの内から仲間が生まれたことを、声はよろこび、そして迎えた───。