第9章−8
       
(8)

 ものの五分としないうちに子供達とすっかり打ち解けてしまったマーナとイブは、シルヴァリオンの前でガブリエルやスバルも混じえて輪になって座り、楽しく笑い合いながら他愛のないお喋りをしていた。

「おねえちゃん、私もガブくんみたいなお利口なペットほしいなァ」

 美しい金髪を赤いリボンでポニーテールにした小さな女の子がガブリエルの太い首を抱きながら言う。
 ビーストは決してペットではないのだが。

「じゃあ、まずサーベルタイガーの赤ちゃんを見つけないとね」

「マーナ…せめて犬や猫にしといた方がいいとか言えないの、アンタは!」
「でも夢って大事だと思うの」
「夢と無責任は違うのよ」

「ねえ、皇太子殿下はどうしてお城に来たの?」
「違うよ、今は国王陛下だよ」

 巻き毛の女の子の言葉をすかさず兄らしい男の子が訂正する。
 年の差は一つか二つといったところだろうか、ほとんど外見年齢には変わりがない。
 お揃いの赤と黒のタータンチェックのブラウスを着ていて、並んで芝生の上に腰を下ろしているさまはとても可愛らしい。

「チャーリーさんにお話があるんだって」

 イブが答えると、シルヴァリオンの一番近くに座っていた茶色い髪の男の子がぱっと顔を上げた。

「チャーリーッて、あのチャーリー・ファイン?」
「そうだよ」

 マーナがうなずく。
 タータンチェックの兄妹が緑色の瞳を丸くして顔を見合わせ、ポニーテールの女の子は髪を揺らして身を乗り出し口を開いた。

「皇子様を助けてくれた人だわ!」
「皇子様だけじゃないよ、王様もだよ」

 兄妹の兄の方がまた訂正する。
 今度はマーナとイブが顔を見合わせた。
 チャーリーがサイトとサースルーンを助けたなんて、二人にとっては初めて聞く話だ。
 そんな様子を見て、茶色の髪の男の子が得意げに説明する。

「前に、王様がご病気になられたことがあったんだ。その病気を治すにはラフニー山脈のエクイティ山にしか生えない特別な薬草が必要だったんだけど───」
「その薬草をおっきなヘビの魔物が独り占めにして見張ってたのよ!」

 急にポニーテールの女の子が話に割り込んだ。

「皇子様はもちろんとってもお強いし、そこらのモンスターになんか負けたりしないんだけど、竜って昔からなぜか蛇には弱いのよね」

 女の子は自分で言いながらいかにも不満そうに唇を尖らせる。
 その隙に説明の邪魔をされた男の子がまた口を開く。

「そんで、危ないところを飛び込んで来たチャーリー・ファインが助けたんだって!」

「へえー、よくそんなトコに居合わせたね」

 マーナが感心したように言う。
 イブも同意してうなずいた。

「それから皇子様はチャーリーさんに憧れてるのよね」
「そうそう、みんな知ってるよ」

 タータンチェックの兄妹がにこにこと言う。
 他の二人もこくこくと首を縦に振っている。

 そのおませな様子を微笑ましい思いで眺めながら、イブはふと考えた。
 サースルーンが三百歳以上、サイトが百二十一歳…自分達と同い年くらいのサイトがその年齢だとすると、単純な比率で考えれば人間族の年でいうとせいぜい十歳くらいのこの子達も、実はもう六十年くらいは生きてるのかもしれない、自分達よりもずっと年上なのかもしれない…そう思うと、あまり微笑ましい気分になってもいられないような…。

「でも会ってみたいなぁ。有名人だもんなァ」

 茶色の髪の男の子が膝を抱くようにして体を揺する。
 どうやら彼はチャーリー・ファインのファンのようだ。
 将来なりたい職業は魔道士だったりするのだろう、多分。

「会わない方がいいよぉ。あんまり愛想のいい人じゃないから」
「…結構好き放題言うのね…」

「簡単な魔法とか教えてもらえるかな?」

 ポニーテールの女の子が言う。

「あ。だったら、このおねーちゃんに教わればいいじゃない。このヒトも魔道士なんだから」

「えッ、ホント?」

 子ども達の尊敬の眼差しがイブに集中する。
 普通の生活をしている子ども達にとって本物の魔道士を見かける機会はなかなかないらしい。

「ちょ、ちょっとマーナ、私の魔法は人に教えられるほどには…」

「ねえ、一番カンタンなのでいいから教えてよ!」
「ここで使ってみせて!」
「呪文ってどんなの?」

 好奇心旺盛な子ども達に一斉に詰め寄られてイブが閉口しかけたとき。

 それまで比較的落ち着いた様子で座っていたタータンチェックの兄妹の兄の方が、急に何かに脅えたように立ち上がって背後を振り向いた。

 彼の後ろには門があり、その向こうには平和な町並みが広がっている。
 妹が不思議そうに見上げる。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「今、なんか変な声が…」

「声?」

 マーナとイブも男の子の振り返った方を注目する。

 …いきなり、門の前に巨大な黒い影が出現した。

 それがあんまり唐突だったので、その場にいた誰もが視界に飛び込んで来たものが何なのか認識も出来ないうちに、巨大なその影が『腕』を振り上げた。

 一瞬後に振り下ろされるに違いない太い腕の落ちる先には、自分の身の上に降りかかって来た事態がさっぱり把握出来なくて痺れたように立ちすくんでいるタータンチェックの男の子がいた。

 誰も声をあげる間すらない。
 このままでは叩き潰されるッ…そう思考にするのが精一杯だった。

 が、男の子は黒い腕が命中する直前のところで飛び出したガブリエルに助けられた。
 ガブリエルは素早く少年の襟首をくわえると、そのまま横っ跳びに避ける。

 黒い影の攻撃は目標を外れはしたものの恐ろしいほどの力で地面をえぐり取った。

 女の子が恐怖に駆られて四つん這いの格好で逃げ出そうとする。
 影−それは石で出来たゴーレムのようだった−はもう一方の手を女の子に向けて振り下ろす。

「ヴァユ・ラ・アルシア!」

 両手の平をゴーレムに向け突き出したイブが叫ぶ。
 強烈な勢いの風が巻き起こってゴーレムの腕を少しだけ押し戻した。
 その間にマーナがすっかり脅えてしまっている女の子に駆け寄り、抱き上げて城の方へ逃げる。
 イブもゴーレムを睨みつけたまま後ろへ退がった。
 ガブリエルに助けられた男の子が泣きそうになりながら慌てふためいたように駆けて来る。

「どーしてストーン・ゴーレムがイキナリ出て来るのッ?」

 マーナが半泣きになって問うと、イブは激しくぶんぶんと左右に首を振り、

「知るワケないでしょ、私がッ! ほら、シルヴァリオンの後ろに隠れて!」

 大声で言って子ども達の背中を押す。

 ガブリエルが姿勢を低くしてゴーレムを睨みつけ、上空に舞い上がったスバルが頭上を旋回して攻撃のチャンスをうかかがう−と言ってもスバルのクチバシや爪がストーン・ゴーレムの身体に通用するワケがないから、単に威嚇しているだけのようだが−中、両腕を地面から放したゴーレムはいかにも不敵な態度で空色の飛竜に向き直った。

 ゴーレムの身長はざっと見上げて三メートル強、シルヴァリオンはそれよりも少し大きいぐらいである。
 シルヴァリオンはマーナ達全員が自分の後ろに退避したのを見計らってから、翼を大きく広げ鋭い鳴き声を発した。
 ストーン・ゴーレムは臆する様子もなくじりじりと迫って来る。
 それにつれて、石で出来たゴーレムの身体に食らいつくわけにもいかないガブリエルも少しずつ後ろに下がって来る。

「シルヴァリオンッてストーン・ゴーレムよりも強いのかな…」

 イブが不安げに呟く。

「あたし、誰か呼んで来る!」

 女の子を下ろしてマーナが城に向かって走り出そうとしたとき、

「どうした…うわッ、何だこれは?!」

 騒々しい足音とともに数人の兵士が駆けつけて来た。
 マーナ達がそっちを見る…兵士達は巡回の途中だったらしく軽装で、到底ストーン・ゴーレムには対抗出来そうにない。

 それは誰の目から見ても明らかだったが、中の一人の兵士がまったく怯むことなしに決然とした足どりで前に出て来たので、一体何をするつもりなのかと思わず見守ってしまう。

 優しい目つきをしたやや小柄な兵士は歩み出て行きながらも口の中で何やら呪文を唱えているようだった。
 しかし、ストーン・ゴーレムはそっちにはまるで注意を払わない。
 自分には生半可な魔法は通用しないと知っているのだろう。
 それでも彼は慎重にゴーレムのそばまで寄ると、

「アバス・ジ・グライド!」

 左手の人差し指で相手の足元を指す。
 途端、大地から湧き出るようにゴーレムの足を這い登った分厚い氷が敵の歩みを止めてしまった。

 しかし、そんなことにはまるで無頓着にゴーレムは前進しようとする。
 見るからに頑丈そうな氷ではあったが、このままではストーン・ゴーレムの脚力に負けて砕かれてしまうだろう。
 だが、兵士は落ち着きを崩さぬ表情で次の呪文の詠唱に入る。

「ヴァユ・ラ…」

 ゴーレムの足元を指さしたまま呟くと、ストーン・ゴーレムの周囲をぐるりと囲むように青白い光の線が地面に円を描いた。

「レイシオン…」

 光の線から薄青く輝く膜が立ち上がり、ゴーレムを取り巻く。

「ハーシェス」

 膜が目も眩むような閃光を放つ。
 …眩しい光が消えたときには、ストーン・ゴーレムの姿もなくなっていた。

「転送魔法…そうか!」

 イブが小さく呟く。
 マーナ達は恐る恐るシルヴァリオンの陰から出て行った。

「君達、大丈夫だった? ケガはない?」

 兵士達がぞろぞろと近寄って来る。

「はい…どうもありがとうございました」

 イブが頭を下げる。
 マーナや子ども達も慌ててそれにならった。
 ガブリエルとスバルがマーナの所へ戻って来る。
 シルヴァリオンもゆっくりと翼を畳んだ。

「それにしても、どうしてこんな所にストーン・ゴーレムが?」
「全然わかりません。ただ…」
「ただ?」
「この子が、ゴーレムが現れる直前に変な声を聞いたって」

 イブが目をやると、タータンチェックの男の子はこくんとうなずいた。
 突然の魔物の出現がよっぽどショックだったのか、それ以上言葉を足そうとはしなかった。
 それに第一、付け足さなければならない事柄は他にはない。

「これもやはり転送魔法で送られて来たものなのか…」
「前に皇子が襲われたときと同じように?」
「これからも同じようなことが起こるとしたら厄介だな…」

 他の兵士達が話し合っている間でも、マーナ達を助けてくれた優しい目の兵士は仲間達のそばに立っているだけで会話に加わろうとしない。

「あのー…さっきの魔法、スゴかったですね」

 人一倍人懐こい性質のマーナが声をかけると、彼ははっとしたように振り向いた。

「お城の兵士さんが魔法使えるなんて意外でした」

「ああ…僕は兵士というワケじゃないんです」
「え?」
「僕は魔道士なんですよ。こんなカッコしてますけど」

 穏やかな声で言って、はにかみながら自分の服装を見下ろす。
 他の兵士達と同じ革の鎧を着て腰に短剣を提げている。
 どう見ても魔道士には見えない。

「あたし、マーナ・シェルファードッて言います。こっちはイブ・バームで、あなたと同じ魔道士です」

 気さくに自己紹介すると、兵士の格好をした魔道士も愛想よく微笑して、

「フォスタート・スラトです。よろしく」

「フォスタートさんはどうして兵士の格好なんかしてるんですか?」

 マーナの斜め後ろからイブが問う。
 フォスタートは頭の後ろにちょっと手をやって、照れたように言う。

「実は、ジャンケンに負けまして」

「ジャンケン?」

「ちょっと遊びでやってたんです。でも僕がここに居合わせて良かったですよ、こんな武器じゃストーン・ゴーレムとなんて戦えませんもんね」

 同僚に聞こえないように声を潜めて言う彼の後ろで、他の兵士達が子ども達を門から送り出していた。
 中の一人が四人の子どもをそれぞれの家に送り届けるために一緒に門を出て行った。

「フォスタート、王に報告に行くぞ。…君達は…」

「あ。あたし達のことはお構いなく。このお城のお客さんですから」

「はあ……」

 なんだか釈然としない表情のまま、兵士達は城の中へ入って行った。

「バルデシオン城でジャンケンッて流行ってるのかなァ」

 マーナが小さく首を傾ける。

「何にしてもバハムートに似合わずいい加減な城よね…」

 イブが軽くタメ息をついた。

第9章 了


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