第9章−5
       
(5)

 食堂を出て階段を降りたところでターフィーにばったり出くわしたヴァシルは、そのまま彼について騎士の詰め所にやって来ていた。
 詰め所は玄関ホールから左右に伸びた廊下を礼拝堂とは反対の方向に進んだ突き当たりにあって、鮮やかな緑色のペンキで雑に塗られた木製のドアを開けると、中は驚くほど広かった。

 ターフィーに促されるまま中に入る。
 和やかに談笑している騎士達の熱気でたちまち汗ばむくらい部屋の中は暑かったが、もともとそういう雰囲気の好きなヴァシルはちっとも不快に感じなかった。

 大きなテーブルが手前と奥に二つずつ合計四つ並べられていて、そのまわりに背もたれのない木の丸椅子が散乱している。
 テーブルの上にはアルコール類以外の色々な飲み物が入った瓶やグラス、ナッツを盛った皿などが適当に置いてあって、それを囲むように装備を外した兵士達が座って他愛のない話に花を咲かせている。
 気が緩みきっているように見えるが、急な事態が発生したときのために備えて外された鎧等は壁際にきちんと整頓されて並べられていた。
 それぞれの鎧の脇に置かれた剣や槍の柄には色や模様の異なったバンダナのような布が目印として結びつけられていた。

「よう、ターフィー。仕事はすんだのか?」

 手前左側のテーブルの奥の方に座っていた長髪の青年が手にしていたグラスを掲げて呼びかけた。
 ターフィーは軽く片手を挙げて短い言葉でそれに応じると、そのテーブルに空席を二つ見つけてヴァシルと並んで腰を下ろした。

「ヴァシル・レドアだ」
「えッ? オレ、初めて見た」

 向かいに座っていた騎士二人がそんな囁きを交わすのが騒がしい室内でも何となく耳に入って来る。

「オレの方はもうすっかり片付いたよ。…セレイスがまだみたいだな」

「どーせ仕事の途中で女の子に捕まって用事が増えてるんだろ?」
「アイツはやけにモテるからな」

 ターフィーの言葉に長髪の青年の両脇にいた男達が陽気に答える。

「女に頼まれたらアイツは絶対断らないからな」

 青年もそう言って笑ってから、テーブルの上からまだ誰も口をつけていないジュースのグラスを二つ取って二人の方に押しやった。

「まァ飲めよ、酒じゃないのが興ざめだが」

「一応仕事中だからな。それに、今は酔っ払ってられるような情勢でもないし」
「昼間っから飲んでる方がよっぽど異常だぜ」

 ヴァシルはグラスを手に取ると一気に飲み干した。
 果汁一〇〇%のオレンジジュースだ。
 フレッシュで文句なしにおいしいのだが、いい年をした男達が集まってこんなものを飲んでるのかと思うと少し気の毒でもあった。

「なあ、あとでサインくれないか。妹がアンタのファンなんだよ」

 ターフィーとは反対側の隣に座っている若者が小声で言う。
 ヴァシルは曖昧なうなずきを返した。
 王都の武術大会で優勝して以来あちこちで頼まれるのだが、サインなんて貰ってどこがどう嬉しいのかヴァシルにはさっぱり理解出来ないのだ。

「考えてみりゃ、今この城には世界的な有名人が何人もいるんだよな」
「さっき見たけどマーナ・シェルファードもいるんだぜ」
「えッ! あの、王都で大評判だった…」
「あとでみんなでサイン貰いに行かないか?」
「次いつここに来るかわからないもんな…」

 ぼそぼそと相談を始めた四、五人のかたまりを横目に見ながら、ヴァシルはナッツの皿に手を伸ばした。
 一掴みした分を口の中に放り込む。

「食堂じゃ今何やってるんだ?」

 ターフィーの問いに、口の中の物をごくんと飲み込んでから、

「メールとかいうセージがややこしいハナシをしてる。クローンがどうとかいう奴だ。オレは興味ないんで出て来たんだ」

 メールに追い払われたことは気づいていたが口には出さなかった。

「セージか…アイツらの話は難しいうえに長ったらしいからな。出て来て正解だと思うぜ」

「オレ、セージなんて初めて見たぜ」

 テーブルの上から別のグラスを手に取りながらヴァシルが言う。
 長髪の青年が大きくうなずく。
 彼も手にしたグラスからオレンジジュースを一口飲んでから、

「セージ自体がバードと同じくらい珍しい職業だからな」
「あの濃紫色の服着て立ってたのが賢者だったんだろ?」

 ターフィーがヴァシルの方を見る。
 ヴァシルはナッツの皿にまた手を伸ばしながら短く首を縦に振った。
 ついさっき食堂でややこしい名前の菓子を食べてきたばかりのはずなのだが、食べる場所が変わると食べ物が入る場所も変わるようだ。

「どう見たってアンタ達と同い年ぐらいだったよな。ヒューマンなんだろ? あの若さでセージやってるなんてスゴイよ。セージッて他の職業とは違って称号を獲得するには試験をパスしなきゃならないんだよな」

「《自称》セージッてことも有り得るだろ」

 長髪の青年がからかうように言う。
 ターフィーとこの青年とはかなり仲の良い間柄であるらしい。
 年は青年の方が下のように見えるが、平気でタメ口をきいている。

「自称? けど、セージなんて自称しても得するような職種じゃないし…」

 ターフィーが言いかけたとき、

「いやー、まいったまいった。仕事がどんどん増えていくんだもんなァ」

 明るい声に振り返ると、戸口にセレイスが立っていた。
 ヴァシルと目が合うと、軽く頭を下げて笑顔で近づいて来る。

「ヴァシルさん、こんなトコにいたんですか。上の話はもう終わったんですか?」
「ややこしい話になったから逃げて来たんだよ」
「そーですか。…ところでヴァシルさん、邪竜人間族と戦うとなると大変でしょう? トーザさんにしても、奴らが一旦ドラゴンに変身してしまったら打つ手ナシッて感じになるんじゃないですか」

 ヴァシルの斜め後ろに立ったままさらりとした口調で言う。
 ヴァシルはグラスをテーブルの上に置くと、丸椅子の上で体ごとセレイスに向き直って彼を見上げた。

「そうなんだよ。ドラゴン相手じゃ全然なんだ…なんか弱点とかはないのか? 同じ竜人間族ならわかるだろ」

「申し訳ないけど…」
「ないね」

 セレイスとターフィーが即答する。
 ヴァシルは少しだけ顔をしかめた。

「結構ヤな奴だよな、お前ら…」

「おいおい、ないコトはないだろ」

 長髪の青年の声に、ヴァシルは再びテーブルの方を向いて座った。
 向かいの席にいる彼に注目する。

「何かあるのか?」

 心持ち身を乗り出して問う。
 青年は鷹揚にうなずくと、

「ドラゴンスレイヤーを使えばいいんだよ」

 ヴァシルの瞳を見てきっぱりとした口調で言い放った。

「それが手に入るんなら、の話だろ?」

 ターフィーがすかさず切り返す。

 ドラゴンスレイヤーとは、ドラゴン退治専用の特殊な金属から出来ている武器の総称である。
 非常に珍しく貴重なもので、世界に数点しか存在しないと言われているうえに、その所在は今ではわからないとされている。

 しかし青年は落ち着き払った様子で言葉を返す。

「だから、それがどこにあるか、今城にいるセージに聞けばいいじゃないか」

「いくらセージだからって、ドラゴンスレイヤーのありかなんてわからないだろう?」

 今度はセレイスが反論するが、長髪の青年は首を振って動じない。

「それはどうかな。オレは三年ほど前に王都へ行ったとき、ドラゴンスレイヤーの研究をしてるっていう学者の噂を聞いたことがあるんだけどな」

 ヴァシルは黙って青年の方を見つめている。
 得意げに口を動かす彼の瞳はターフィーやセレイスよりも浅い緑色をしていた。
 善竜人間族の瞳の色が年齢につれて深くなっていくものなのかどうかは知らないが、その薄い色が彼の若さを表しているようで少しだけ興味深かった。

「その学者ってのが、いっつも濃紫色の上着を着てて、えらく無口で、まだ十六、七にしかなってない人間族の女の子なんだってよ。直接見たワケじゃないけど、これって今アンタ達の言ってたセージのことなんじゃないかと思うんだが?」

 ヴァシルは思わずターフィーやセレイスと顔を見合わせた。
 濃紫色の服、無口(これは無愛想ということだろう)、三年前に十六、七ぐらいだった人間族の女の子…女の子という表現だけがあのメール・シードにはちょっと当てはまらないような気はするが、賢者そのものが少ないという事実も考え合わせれば今彼の言ったのは彼女のことに間違いないだろう。

「研究してたからって、ある場所なんて…知ってるかなァ?」
「さあ…でも、もしかしたら…」

 頼りなげに呟くターフィーとセレイスの前で、ヴァシルは勢いよく椅子から立ち上がった。

「ダメでもともとだ、聞いといて損するコトはないだろ。行って来る」

 何気ない口ぶりで言い残すと、やや早足で詰め所を出て行ってしまった。
 彼が出て行ったドアを見つめながら、セレイスがふと思いついたように呟く。

「ヴァシルさん、格闘家なのに武器なんか扱えるのかな? 格闘家って、大体素手で戦うもんだろ」
「さあ…でもあの人なら何でも出来そうな気はするよ」

 いつもの彼からすると大分小さな声でターフィーが応じた。

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