第9章−7
       
(7)

 戸口に立っているのはコランドだった。
 その言葉に小さなうなずきを返してからノルラッティが脇に退くと、コランドは片手に持った紙を掲げながら部屋の中に入って来た。

「チャーリーはん、上の紙剥がせましたで。この通り便利な地図が出て来ましたわ」

 足早に近寄り、チャーリーに地図を手渡す。

 ノルラッティと並んで立ったメールがこっちに注目しているのを意識しながら、チャーリーは素早くそれに目を通した。
 八つの印の位置と四本の斜線の意味とを頭の中に入れてから、チャーリーはサースルーンとゴールドウィンの前にその地図を置く。

 サースルーンがそれを無言で手に取り、ゴールドウィンと二人で一応もっともらしく眺めてから、すぐにサイトに回す。
 サイトは恐る恐るといった感じでそれを受け取ると、顔を近づけて細かく観察しだした。

「チャーリーさん、その地図、私も見て構いませんか」

 唐突にメールが口を開いた。
 不意をつかれたように皆が注目している中でチャーリーだけは腕を組んでテーブルの上に視線を落としたまま、間髪入れずに切り返す。

「わざわざ見なくてもいいんじゃない? 君は全部知ってるんでしょう」

 思いがけないキツイ言葉に、コランドは咄嗟に二人の顔を見比べた。
 どちらの表情にも特に不機嫌だったり腹を立てたりしているようなところはない。
 チャーリーは限りなく無表情に近く中空に目線をさまよわせていたが、メールの方はチャーリーの言葉に対して愉快そうな微笑をわずかに浮かべてさえみせた。

「それもそうですね。海の中にあるマークが海底神殿を指していることまで私は知ってるんでした。…ノルラッティさん、それでは行きましょうか」

「あ…は、はい。それでは、失礼します」

 ノルラッティとメールが食堂から出て行くなり、ゴールドウィンが大きく息をついた。

「あのメール・シードとかいうセージ、少しおかしなところがあるな」

 誰にともなく言う。

「けど根はわりといいヒトみたいですよ」

 さらりと放たれた言葉に、一同は今度はチャーリーに注目した。

「…何?」

 きょとんとした顔で皆を見返すチャーリー。
 代表するようにサースルーンが口を開く。

「お前でも他人を褒めることがあるんだな」
「…いっぺん本気で殴りますよ」
「まあまあ、チャーリー…」

 トーザがなだめにかかったとき。

『根はいいヒトかもしれないけど、あのコは絶対おかしいよ』

 不満そうなブレスラウの声が頭の中に戻って来た。
 たとえ声はまだ幼く可愛らしいボーイソプラノでも、精霊である彼は人間の常識を遥かに超えた年数を生きているらしい。
 だからメールのことは『あのコ』と呼ぶ。

「どうしてあんなコトを私達に言ったりしたんだい?」

 サイトが穏やかに問うと、宝石の精は少しの間黙り込み、それから今にも泣き出しそうな声で答えを返した。

『ボクは間違ってなんかいなかったよ。ちゃんと正しいことを言ったんだ』

「しかし、それでは王家の洞窟の宝石の説明がつかんでござろう?」

『…だから…あのコの方がより正しかった。そういうコトだよ』

 弱々しい呟きに、サイトは首を傾げた。

 より正しかった?
 ブレスラウの言ったことも正しかったけれど、正しさの点ではメールの言葉の方が上だったと、そういうことか?
 …でもそんなコトッてあるだろうか。
 正しさというのは比較では表せないものではないのか。
 片方が正しければもう一方は誤っている、そういうもののハズだろう。

『とにかく。あのコの言葉はいちいち正しいし、色んなことを知ってるのも確かだけど、あのコはおかしいよ』

「例えばどんな風に?」

 ゴールドウィンがテーブルの上で頬杖をついて尋ねる。
 表す言葉を探すような沈黙の後で、ブレスラウはぽつりと言った。

『…なんだか、人間じゃないみたい…』

「人間じゃない? それは、ヒューマンではないという意味かね」

 サースルーンが重ねて問う。
 また少しの空白があり、ますます弱気な声が返って来る。

『種族の問題じゃないよ。…よくわかんないけど、あのコはどの種族でも…何でもないような気がする』

「何でもない…それはまた思い切りのいい言葉だな」

 ゴールドウィンが楽しそうに口許をほころばせるが、アクアマリンの精の声はどんどん暗く落ち込んで頼りなくなっていってしまう。

『よくわかんない。ともかくそう言うしかない。でもね、これだけは言っとくよ。あのコは嫌な感じがする。人格的なモノじゃなくて…何か裏に隠してるような…そう、敵になりそうな予感がするよ』

「敵になる? メールが?」

 チャーリーが少し表情を険しくする。
 見えるハズもないのにブレスラウが首を縦に振るのが見えたような気がした。

『油断はしない方がいいよ、とっても嫌な予感がする』

 それだけ言うと、ブレスラウの声は途切れた。
 十数秒の重苦しい沈黙のあとで、思い詰めたような真剣な瞳でサイトがチャーリーを見る。

「チャーリーさん、本人のいない所でこんなことを言うのは卑怯なのはわかっていますが、私もあのメールさんは普通ではないと思います。クローン兵士のことを何とも思っていなかったようですし…」

「何とも思ってないっつったら、私も何とも思ってないよ」

 面倒臭そうにチャーリーは口を開いた。

「でもね、メールがもし裏切ってもものすごく実害がなさそうでしょ」

「…確かに、それはそうなんですけど…」

「だったら彼女を利用出来るうちに利用しといた方が得じゃない。メールがこっちにいる限り調べれば見つけられることなら何でも瞬時にわかるワケだし、今じゃすぐにはわからなくなったコトでもあっさり聞き出せるかもしれない」

 冷静な語調にサイトは反論する余地を見い出せず黙り込んだ。
 チャーリーはメールのことを事典か何かだと考えているらしい。

「深く考えることないよ、何にしろ。まだ誰かに裏切られて困るような段階には来てないしね…」

 呟くようにそう言って、チャーリーはふとサースルーンを見た。

「手袋ありますか?」

 右手を振って見せる。

「ああ、ちゃんと用意させておいたが…手袋が特殊だとか何とか言ってなかったか?」

 サースルーンの言葉に、チャーリーは少しの間何事かを考え込むように口を閉じたが、

「───あれはどうでもいいんです。大したことじゃありませんから」

「それではどうする? ここへ持って来させようか?」
「いいです、自分で取りに行きます。そろそろ部屋へ引き上げますから」
「また寝るのか?」
「そんなに寝てばっかりいられません! 私には考えることがいっぱいあるんですよ、これからのこととか!」

「なんせリーダーだもんな」

 ゴールドウィンがくっくっと笑いながら付け足す。
 チャーリーはじとっとした目でそっちを睨んだ。

 しかし、誰が決めたワケでなくてもチャーリーがリーダーにならざるを得ないメンバーではある。
 責任感の強いトーザやサイトは若干気が弱くて皆をまとめて引っ張って行くのに適任とは言い難いし、ヴァシルやラルファグは行動力だけといった感じだし、ノルラッティやイブでは頼りなさ過ぎる。
 コランドやマーナに至ってはそもそも論外だ。
 メールもまた問題外である。
 彼女をリーダーなんかにしたら事態は全く進展しなくなるだろう。
 そんなワケでチャーリーがリーダーを引き受けるのである。

 サイトにサースルーン王くらいの度量があったらこんな役は任せてしまうのに、サイトは全然父親似じゃないもんなァ…などと心の中でボヤきながら、チャーリーはサースルーンに教えられた部屋へ行くため食堂から出た。

 手袋をしていないと何だか手のひらが寒くてたまらない。
 それに何とも落ち着かない。
 うんと小さい頃に、ガールディーにいつもはめておくように言われてから、水仕事をするときと入浴時の他は寝る時でさえ黒い指抜き手袋は着けたままだった。

 あのとき先生はどうして私に手袋なんてさせたんだろう。
 昔は指抜きじゃなかった気がする。
 あれはどうしてだったかな…。

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