第14章−1
       
《第十四章》
(1)

 ガールディー・マクガイルに剣の扱い方を教えたのは、世界最高の魔道士として名高いカイラス・ノーベルダウンだ。
 カイラスは魔道の力だけでなく剣術や槍術をも常人には及びのつかないレベルまで鍛え上げていた。
 少々気難しく人付き合いを好まない頑固な性格ではあったが正義と友愛を重んじる素晴らしい人格者で、彼に憧れて弟子入りを志願してくる者はそれこそ星の数ほどもいたが、カイラスはその都度自らが出迎えて弟子はとらない方針である旨を若者達に説き、丁重な礼儀をもって屋敷から送り出していた。
 どれだけ熱心に懇願されようと決して自分の後継者となる人間を選び手元に置くようなことはしようとしなかったカイラスが、ガールディーと出会ったのは二年前の蒸し暑い夜のことだった。

 その夜、魔道士ギルドの会合を終えすっかり暗くなった通りを我が家へと急いでいた彼は、酒場の前を通りがかった際になかなか派手な騒動に行き会うことになる。
 開けっ放しだったドアから、酔っ払って気の大きくなった男達が太陽が落ちてもいっこうに涼しくならないのに苛立ちつつもつれ合うように転がり出て来て、たちまち路上で大乱闘となってしまった。
 訳が分からないまま、通りの端に立ち止まってただ何となくケンカの成り行きを眺めていたカイラスは、不意にその騒ぎの中で他の男達と同様酔いにまかせて暴れている一人の青年に注意をひきつけられた。
 連れがいないらしい黒髪のその青年は四、五人の集団に囲まれ奮戦も空しく一方的に叩きのめされて路上にうずくまってしまう。
 動かなくなった相手に興味をなくして、集団は新たな争いの輪の中に移って行った。

 その隙に、カイラスは青年に近寄り肩を貸して立たせると気の荒い男達の目に触れてまた無益な争いに巻き込まれることがないように建物と建物の間の狭くて暗い路地に連れ込み、そこで回復魔法をかけてやった。

「大丈夫かね?」

 カイラスが穏やかに声をかける。
 青年−ガールディー・マクガイル−は手負いの獣じみたすさんだ瞳で疑り深く目の前の男性の顔を睨みつけ、鋭い視線を据えたまま口元に流れた血を手の甲で荒っぽく拭った。

「誰だ?」

 低く固い、少しの親しさもこもってはいない無愛想な口調でガールディーが問う。
 剥き出しの警戒心を感じるまでもなく感じ、カイラスは僅かに苦笑する。

「何がおかしい」

 すかさず噛みつくような青年の声が飛ぶ。
 もう一度苦笑いしてから、カイラスはすっと表情を引き締めた。

「失礼。私はカイラス・ノーベルダウンという者だ」

 その名を聞くなり、ガールディーは驚愕に目を見開いて言葉を失った。
 名前を耳にしたことぐらいはあったようだ。
 一瞬後、彼の表情から純粋な驚きは消え、さっきよりも一層猜疑心に満ち満ちた眼差しをカイラスの顔にマトモに当てた。
 が、カイラスの藍色の瞳に真っすぐに見つめ返されて、彼の方が気後れしたように顔を伏せてしまう。

「君の名前を聞きたいんだが」

「…………」

 ガールディーは俯いたまま何も答えない。
 無防備に垂れ下がった左手の反対側で右の手をぎゅっと握り締めている。
 彼なりの緊張の表現なのだろうか。

「教えたくはないかね?」

「…………」

「私が君に悪意を持っていないということは理解してもらえると思うが…」

「…………」

 ガールディーは頑ななまでに口を閉ざし続けていた。
 口を開けば命までとられてしまうと思ってでもいるのか、真一文字に引き結んだ唇を緩めようとはしなかった。
 すっかり酔いが抜けた漆黒の瞳は鏡を連想させるぐらいに澄み切り、ケンカに負けて泥まみれになった今の格好にはまるで相応しくないぐらいに冴え渡っていた。

「…単刀直入に言おう」

 よく通る毅然とした声でカイラスがそう切り出しても、ガールディーは視線を地面に落としたまま何の反応も見せなかった。
 構わず続ける。

「君を私の後継者にしたい」

 まったく予想外のその台詞に、ガールディーは思わず弾かれたように顔を上げていた。
 黒い瞳が揺れて、カイラスを見つめる。
 今言った台詞をもう一度繰り返してくれとその目が言っていた。
 カイラスは繰り返した。

「君に私の力を継いでもらいたいのだ。私の力のすべてを。君は素晴らしい才能を秘めている。それは私の力を受け継ぐのに相応しい、優れた才能だ。君はこれまで自分の能力をどう活かせばよいのかわからずに無為な日々を過ごしてきたようだね…。とてももったいないことだ。私のもとで自分の本当の力を見つけ出してみたくはないか? 君はもっと大きなことをやる為に生まれてきた人間だ」

 カイラスの力強い言葉を聞き終え…ガールディーは静かに首を横に振るなり、またうなだれてしまった。
 何を言おうともしない。

「…………」

 カイラスは無言で見守り続けた。
 穏やかな表情で───実の息子を眺めているような表情で、目の前の青年が何か行動を起こすのを待っている。
 ガールディーは右手だけでなく左手も握り締めると、また首を振った。

「…アンタ、とんだ見込み違いだぜ」

 不意に呟かれたその台詞に、カイラスは片方の眉を上げて応じる。
 しつこいくらいに俯いているガールディーにはその仕草は見えなかったが、相手が自分の話に耳を傾けている雰囲気は感じとったようだ。
 先を続ける。

「俺に隠された才能なんかあるワケねーだろ。…アンタほどの有名人が俺みたいなチンピラと話してるとこなんか、人に見られたら体裁悪いだろ。もう行ってくれ。俺のことなんか忘れろよ」

「どうして才能などないと言い切れるんだね?」

 ガールディーは一瞬だけ顔を上げてきッとカイラスを真正面から見据えた。
 それから、すぐまた目を伏せて、再々度首を振った。

「俺にはわかるんだ。自分がロクな人間じゃあないってコトが。俺が何かすればきっと誰かが不幸になっちまうだろう。そんな予感がするんだ」

「人間は誰しも誰かを不幸にしながら生きているものなのだよ」

 ガールディーはまた瞳を上げて、探るようにカイラスを見た。

「その逆もまた真理だ。人間は誰しも誰かを幸福にしながら生きている。君の秘めたる才能を目覚めさせれば、もっと多くの人を幸せにすることが出来る」

「…………」

 この青年は何かを恐れている。
 カイラスは思った。

 握り締めた右の手が異様なくらい強張っていた。
 顔色は青ざめ、真っ黒い瞳には今や絶望的な表情さえも見え隠れしている。
 見い出されたことを、彼は極度なまでに恐れている…風の音に脅える子供のように、恐れている。

 ガールディーの様子をそんな風に冷静に観察しながらも、カイラスは心の片隅で自分もまた青年と同じように恐れているのを意識していた。
 この青年を見つけ出してしまったことに脅える自分がいる。
 私は決して彼と出会ってはいけなかったのだと、内なる声が強く低く囁いていた。

 しかし…一体、何を恐れることがあるのだろう?
 …今は酒場で呑んだくれて勢いまかせにケンカするしか能のないだらしのない若者にしか見えないのは事実だが、あの澄み冴え切った瞳、根は真面目で向上心も正義感も人一倍強い人間であることに間違いはないのだ。
 埋もれている能力に見合うだけの人格を彼は備えている。
 強大な力に振り回されることなく自分を見失わないでいる強さを、目の前にいるこの若者は持っている。
 彼の内に眠る、途方もなく強大な力の眠りを破ったところで…その力が暴走するとは、思えない。

「───君が何を恐れているのかはわからないが」

 カイラスは誠意を込めて語りかけた。

「私が君の道しるべになろう。君の才能を私に預けてもらえないだろうか」

「…………」

 ガールディーはカイラスから目線を逸らして随分と長いこと考え込んでいた。
 押し黙ったまま、青ざめた顔に泣き笑いのような−けれど限りなく無表情に近い−表情を貼りつけて、何かに耐え忍んでいるような悲壮な雰囲気を全身から漂わせて、じっと考え込んでいた。
 十数分も二人は凍りついたように立ち尽くし続けた。
 カイラスはガールディーが必ず返答するはずだと信じていたから−実際、ガールディーは長い長い沈黙の末に、ふっとカイラスの方に向き直って口を開いた。

「俺は、…ひょっとすると世界を滅ぼすかも知れんぜ」

 ガールディーの顔はぞっとするほど真剣かつ深刻だった。

「それでも、俺を鍛えたいってのか?」

 挑みかかるような彼の言葉に、カイラスは何の躊躇もなく首を縦に振った。
 そして付け足す。

「私は、君のその同じ力が世界を救うような気がするんだよ」

「…面白れぇ。俺の勘が正しいか、アンタの予想が当たってるか、俺の才能とやらを目覚めさせなきゃ勝負はつけられないワケか…」

「そのようだね」

「…カイラス・ノーベルダウン、か。俺の師匠にするにゃちょっと信じ難いぐらいのエライさんだな」

 そう言って、ガールディーは軽く笑って見せた。
 それから片手を差し出す。

「俺の名はガールディー・マクガイル。ヨロシク頼むぜ、お師匠さん。何しろアンタはとんでもないモノを目覚めさせようとしてるのかも知れんのだからな」

 カイラスは微笑してガールディーの手を握った。

「私の予想の方が正しいことを祈ろう。よろしく、ガールディー」

 二人は固く握手を交わし合った。

 こうして、ガールディー・マクガイルはカイラス・ノーベルダウンの弟子となる。
 彼が十九歳になったばかりの蒸し暑い夜の出来事であった。

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