第14章−3
       
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 十分間にも満たないシルフィア・フーシェとの出会いが、自分にとってこんなにも大きな位置を占めるものになろうとは、ガールディー・マクガイル本人にも予想のつかなかったことだった。

 ともかく、あのたった一度の対面以来、彼の思考の中から彼女の姿が消えたことはなく、彼の鼓膜に灼きついた彼女の声の記憶が薄れることもなかった。

 唐突に目の前に現れて、そしてあっという間に去って行ったエルフの少女…優しい、けれどもどこか寂しい光を宿した、自分と同じ色をした瞳、この腕に触れていた指先のわずかな温かさが忘れられない。

 何だろう、この気持ちは。

 生まれて初めて感じる、それは愛と呼ばれるであろう想いとはあまりにもかけ離れていて、恋だと定義するのでさえ遠慮したくなるくらい弱々しく頼りないものだったが、確かにガールディーの内に存在していた。

 とにかくもう一度会いたい。
 会ってどうなるものでもない…それでも、もう一度。
 せめて自分の中に生まれたこの感情が何なのか、確かめることさえ出来れば。

 しかし所詮叶わぬ願い、だろう。

 頭の片隅で冷静さに研ぎ澄まされたもう一つの声が言う。

 『光』の種族、エルフでありながら、彼女は『闇』の色をまとっている。

 『光の具現者』。

 もう一つの『光』の種族たる善竜人間族が『闇』の種族である邪竜人間族を抑える役目を担ったように、エルフもある一つの役割を与えられていた。

 『闇』そのものを封じておくこと。

 『闇』は常に『光』を呑み込もうとしている。
 『光』が『闇』に呑まれてしまえば、すべての生命は死滅する。

 そうならないよう、『光』は『闇』の番人としてエルフを創造した。

 エルフは『闇』を見張り続ける…そして、『闇』が勢力を増すようなことがあれば『闇』に立ち向かう…善竜人間族には邪竜人間族と戦うことは出来ても『闇』そのものに太刀打ち出来るだけの能力はない。
 エルフはその方法と力とを持つ、唯一の種族であった。

 『闇』がその濃さを増すとき、エルフの中に闇色をまとう者が現れる。
 その者こそが、『光の具現者』。
 最も強大な『光』の力を手にした者。

 彼(彼女)はその生命そのものを『光』のエネルギーとして解放することによって、『闇』を退け、世界のバランスを保つ。

 古い文献の中に書かれてあったことだ。
 読んだときには特に何とも思わなかった。
 それなのに今、それがどうしようもなく重くガールディーの心にのしかかってくる。

 死ななければならない、シルフィアは…。

 『光の具現者』であるのなら。
 きっとそうなのだろう。
 彼女は、それで、どこか影のあるカオをしていたのだ。
 あんなに焦っていたのだ。

 選ばれた者が闇の色を帯び始める時期は、『闇』が力を強め始めた時期と一致する。
 …『光の具現者』は生まれつきその運命を背負って誕生して来るワケではない…。
 とにかく、その時期にはまだ手は出さない。
 『具現者』が『光』の力を用いるのは、『闇』の勢力があと少しで『光』を圧倒してしまうと思われるくらいにまで大きくなってからだ。

 シルフィアは自分の髪と瞳の色が変わってしまったのに気づいて、それで俺に声をかけてきたんだろうか。
 だとしたら、まだ二、三年…場合によったら五、六年くらい彼女は生きているかもしれない。
 しかし、もしそうでないとしたら。
 本当にギリギリになってから、やっと決心して出て来たのだとしたら。

 ───さよなら。
 ガールディー…。

 シルフィアはもう生きてはいないのかもしれない。

 エルフの行動は一般の人々には伝えられない。
 ただ、各種族の統率者にのみ報告される。
 一介のヒューマンにすぎないガールディーにそれを知る術はない。

 自分がこうして生きていられるのは、もしかしたらいつかどこかであの少女が生命を投げ出してくれたおかげであるのかも知れない等と考え出すと、ガールディーは叫び出したくなるような激しい感情の波に襲われる。

 『光』の種族は、それぞれの使命に忠実だ。
 善竜人間族は邪竜人間族と刃を交えることに何の疑問も抱かないし、エルフもまた自分達が『闇』の番をするのは当たり前のことだと考えている。
 そのエルフの一員である、シルフィアが自分に見せた、涙…。

 もう一度会いたい。

 彼女の生が運命づけられた最後のひととき、俺のことを想ってくれた、あの少女に。
 一目、姿を見るだけでも構わない。

 シルフィア……。
 俺には何も出来ないのか?


 ガールディーは悩み苦しむその心を誰にも悟られないように、平静を装って日々を送った。
 魔道の研究も、剣術の稽古も、よき師匠の導きに従いそれまで通りにこなし、着々と力をつけていった。

 魔法が使えなくても、彼はもうやたらに焦ったりはしなかった。
 シルフィアはいつか必ず時期が来て使えるようになると言った…そして、それまでにムリをするのはかえって良くないとも言った。
 彼はその言葉を信じ、その通りにした。

 今となっては残された彼女の言葉を心に抱き続けることだけしか、ガールディーには出来ないのだ。

 シルフィア・フーシェと別れてから、かなりの時間が流れた。

 ガールディーは今になって、ようやく彼女に恋をしていた。

 ガールディー・マクガイルの名は腕の立つ剣士として方々に知れ渡り、カイラス・ノーベルダウンのただ一人の弟子という肩書との相乗効果を生んで魔物退治や護衛の依頼が引きも切らず、旅から旅への慌ただしい日常の中でどうにも出来ない想い−誰にも言えない、言うわけにはいかない−を酒でごまかすようになり、何もかもを諦めてしまったかのような停滞に浸り込みながらも、彼自身もカイラスもガールディーの才能を疑ったりは片時もせずに、奇妙な均衡状態を保ったまま、一年があっという間もなく経過した。

 今、ガールディーは友人のラスキ・アロステリックに急かされるまま、カイラスの屋敷への道を急いでいる。

 金髪碧眼に赤と黄色の組み合わせの派手なバンダナ、旅先で知り合ったこの青年は、ガールディーを通してカイラスとも親交を深めるようになり、しばしば屋敷に寝泊まりすることを許される身分になっていた。
 昨夜もそうして寝床を求めてやって来ていたのだろう。
 酒場で大騒ぎしていた彼には実際のところは尋ねてみなければわからないのだが。

「でもさ、夢のハナシなんかどうでもいいけどよ…」

 不意にラスキが口を開いた。
 正面を向いたまま。
 隣に並んだガールディーも特に相棒の方へ目をやったりはしない。

「お前、何かしたのか?」
「えっ?」
「いや、バハムートの近衛騎士隊長が直々にお前を訪ねて来てんだよ」
「何…近衛騎士…隊長?」
「そう。まさかお前、心当たりでも…」
「あっ、あるワケねーだろうが!」
「アセるところが怪しいな。ガールディー、自分からすすんで白状しといた方が身のためってこともあるんだぜ」
「馬鹿言え。俺はやましいことなんか何にもしちゃいねーよ」
「バハムートに対しては、だろ?」
「…お前ねぇ。俺がお前に何かしたってのか?」
「…でも、ただごとじゃない様子だったけどなァ」
「俺はホントに知らねーぞ」
「オレも知らねぇよ。お前のお師匠さんに何か説明して、そしたら一刻も早くお前を連れ戻して来いって」
「妙なハナシだな…」
「ああ。まったくだ」

 心当たりがまるでないワケでは、なかった。

 近衛騎士隊長と言えば、善竜人間族の中でも相当身分の高い人物だ。
 王からエルフの動向を伝え聞くこともあるかもしれない。
 もしそのことに関連して自分を呼んでいるのであれば…。

 ───シルフィアに、あるいはもう一度会えるかもしれない。

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