第14章−4
       
(4)

 そうして…シルフィア・フーシェは死んだ。

 あの夜以降の一時期の記憶はひどく混乱していて、あれから二百年以上も経過した今でも、ガールディーは一体何が起こり何が起こらなかったのか、本当のところはっきりと区別することが出来ずにいた。

 あの夜、自分を訪ねて来た善竜人間族は、シルフィアが最後の願いとしてガールディーに会いたがっているのだと言い、彼女のいる所へ−『闇』を退けるための儀式が執り行われる場所、最深部に『大聖域』を抱いた聖域の洞窟まで来てもらいたいと礼儀正しく彼に告げた。
 ガールディーは一も二もなくその依頼を受けた。

 カイラスとラスキと一緒に(この二人が何故ついて来たのかガールディーには思い出せない)、移動魔法で聖域の洞窟の島へ渡り、湖の前でシルフィアに再会した。
 二人は互いに駆け寄り手を取り合おうとした−しかし結局そうは出来なかった−そのとき、島をドラッケンの大軍が襲った。
 『闇』を抑える儀式をさせまいとして───よくわからない。
 ガールディーはそう理解していた。

「ガールディー! 来てくれた!」

 シルフィアが叫ぶ。
 ガールディーは大きくうなずき、

「ああ、また会えたな! シルフィア!」

 次第に広まり高まる混乱と緊張の中で、叫び返す。
 本当は彼女に駆け寄り、その手を取りたかった。
 彼女を抱き締めてやりたかった。
 せっかくまた会えたのに…もはや悠長にそんなことをしていられる状況ではなかった。

 言葉を交わすだけで精一杯。
 シルフィアの最後の願いだったのに。
 それすら満足に叶えられないのか。
 でも、彼女は笑ってみせる。

「よかった。もう一度会えて…ありがとう。本当に」

「お前に言いたいことが山ほどあるのに」

 上空を飛び交う黒い竜の群れを見上げつつ、

「ゆっくり話してるヒマなんてなさそうだな…」

「うん。ガールディー…大丈夫、ねぇ、約束しよう」

「何?」

「約束して。もう一度、会える」

「なんだって?」

 シルフィアは真剣な眼差しでまっすぐにガールディーを見つめていた。
 どこまでも透き通り、澄み渡る、哀しい、漆黒…闇色…。
 見つめ返す彼は、右の手を強く握り締める。

「もう一度…必ず、会えるから」

「シルフィア」

「これで最後なんてコトはないから」

「…………」

「どれだけ時間が流れようと、絶対に…」

「…また、会える」

「また、会えるから」

「わかった、約束する。俺達はまた会える。必ず。俺はいつまでもお前を待つ」

 答える代わりに、シルフィアは柔らかく微笑し、小さくうなずいた。
 ガールディーも無理に笑ってうなずき返した。

 もう別れなければならない。
 彼女は死ぬのだ。

 しかし、ここで死んではいけない。
 シルフィアの死に場所は定まっている。

 彼女は三人の同族に守られつつ洞窟の奥へ、ガールディー達は湖のほとりでエルフの魔道士や善竜人間族の騎士達と共に寄せ来る邪竜人間族と戦った。

 しかし多勢に無勢、最初から結果は見えていた。
 カイラス・ノーベルダウンの活躍には目を見張るものがあったのだが、濃さを増した『闇』のもたらすどす黒い狂気に駆り立てられるようにしてかかってくる百を超える数の邪竜人間族が相手では、さすがに分が悪かった。
 ガールディーとラスキも剣を抜いて立ち向かった…『光の具現者』を追って聖域の洞窟に入ろうと、人間の姿で向かって来る者もいたので…。

 流血と怒号。
 炎と爆風。

 彼には何がなんだかわからなかった、すべてが夢のようだった。

 悪夢の中で、ラスキ・アロステリックが目の前で槍の穂先に左胸を貫かれたのを見たように、思った。
 声もなく倒れ込んだ彼の身体から流れ出した真っ赤な血が、自分の靴先を浸した気がした。

 シルフィアと、ラスキ───想い続けていた少女と、いつもそばにいた相棒───二人を一度に失った悲しみ、辛さ、痛さ───激情にまかせて幾十もの敵を斬り伏せた、自分がそうしたような、返り血で深紅に染め抜かれた刃を視界の端に見ていたような…おぼろげな記憶があった…。

 そんな状況がいつ終結したのか、自分はどうやってそこから引きあげて来たのか、やはりガールディーは覚えていなかった。

 彼の師匠は激戦の中で視力を失い、盲目となっていた。
 彼らを迎えに来た近衛騎士隊長は勇敢に戦ったが左腕の肘から先を失い、高熱にうなされながらあれからすぐに死んだ。
 他の者のことはわからない。

 …そうして、世界は今日も続いていた。

 ガールディー・マクガイルはシルフィア・フーシェが何故死ななければならなかったのか、その理由を忘れてしまったわけではない。

 彼女は世界を守るために死んだのだ。
 自分はその世界を滅ぼそうとしている。

 『光』が憎かった。
 よりにもよってシルフィアを選んだ『光』が。

 …しかし、それと同じくらい『闇』をも憎んでいる。
 彼女の死の原因を作ったのは『闇』だ。

 『光』も『闇』も、許すわけにはいかない。

 だから、すべてを無に帰す。

 『破壊者』の生み出す真の混沌の前には、『光』も『闇』も存在出来ない。
 だから…。

 でも。

 チャーリー・ファインのことを心に浮かべる度、彼の心には少なからぬ迷いが生じる。

 この世界にはアイツが生きている。
 アイツが多分大切に思ってる仲間達も生きている。

 そして、もう一人…。

 自分でも忘れていた−忘れようとして、その努力を続けて来た−人物の姿が脳裏をよぎる。

 仇を…シルフィアの仇を討ってやることが、自分に出来る最善にして唯一のことなのだと、ガールディーは考えていたのだが…。

 彼女らのことに思い当たる度、ガールディーは自分が本当はどうしたいのかわからなくなる。

 『光』と『闇』に命を奪われ、俺の前からいなくなったシルフィア・フーシェ…どんな意図があったのか、また必ず会えると言い残した…慌ただしい別れの中、記憶に刻み込まれたその哀しい姿。

 俺はシルフィアのこと、本当に愛していたと言えるほどじゃなかったのかもしれない。
 それでも、アイツともっと同じ時間を共有したかったという想いは嘘じゃない。
 シルフィアだって言ってた、想いは消せない、消すことなんて出来ない。
 許すわけにはいかない…。

 けれども…。

 チャーリー・ファインが、自分に初めて見せた笑顔、いつまでも忘れられないその映像がそんな思考を遮っていた。

 漆黒の髪と、瞳。闇の色に包まれて生まれてきたアイツ。
 シルフィアに似ている。
 俺はずっとそう思っていた。
 でも、でも……。

 俺一人で結論を出してしまうには、まだ早過ぎるのかもしれない。

 すべて破壊して、最初っから何事もなかったのと同じにしてしまうのは簡単だ、終結魔法−ワールド・エンドの力をもってすれば。

 そんなコトじゃ、片付けられない、何かがあるんだ。

 俺はそれを知りたい。
 最後の最後まで見届けたい。
 自分のしたことがどんな事態を引き起こすのか…どんな結果を招くのか…。

 俺のこの力は、俺が考えていたように世界を滅ぼすのか、それとも師匠が言っていたように世界を破滅から救うのか。

 俺はそれを知りたいだけなんだ。

 ただ、それを知りたいだけなんだ。

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