第13章−7
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どことなく暗い雰囲気を漂わせて降りて来たチャーリーを、ヴァシルとフレデリックが迎える。
「どうかしたのか? 顔色悪りィぞ」
「えっ? い、いや、なんでもない」
「そうか? …それで、どうなったんだ?」
チャーリーは黙って首を振る。
「どうにも。相手には逃げられたよ」
「アイツがガールディーの後ろにいる奴なのか?」
続く質問には大きくうなずく。
「それは間違いない。奴も暗黒魔法を使ったんだ…」
「暗黒魔法って、前にガールディーが使ったアレのことだよな…」
「さっきの魔法反射の呪文…アンタが?」
ヴァシルには答えず、チャーリーはフレデリックの方に顔を向けた。
フレデリックは見るからに嬉しそーな笑顔でこくりと首を縦に振る。
「チャーリーさんに万一の事があるといけませんから」
「とりあえず礼を言っとくべきだろうね…どうも最近調子を狂わされっぱなしだ」
投げやりに呟き腕組みする。
「! …雨が止んだな」
思い出したようにヴァシルが夜空を見上げた。
その言葉通り、雨はすっかり上がり頭上に星が見える。
一時はどうしたことかと思うぐらいの勢いで王都を直撃した豪雨も止んでみればあっけないものだ。
この雨が降っている間だけ、私は私でいられる。
ヴァシルは何となく図書館の前に残して来たコートとメールのことを思った。
途端、ぞくりと背筋に寒気が走る。
風邪のひき始め、などではない。
嫌な予感というヤツだ。
思わず図書館に続く道を振り返る。
「どうかした?」
今度はチャーリーが尋ねる。
「…マズイことになったかも知れんぜ」
いつになく険しい表情、深刻な口調で短く言う。
言い終わるや否や、不意にヴァシルは駆け出した。
濡れてずっしりと重くなった長髪を獣の尾のように一振りして、たちまち走り去る。
「あっ、ヴァシル!」
「おや、どこに行かれたんですか?」
「私達も行こう!」
「あの方、どなたです?」
「………」
無言のままフレデリックの手を掴みとっくに姿の見えなくなっているヴァシルを追うチャーリーであった。
☆
都立図書館のすぐそばまでやって来たとき、ヴァシルは大気の中に雨上がりの水の匂いとはまた別の匂いが広がっているのを敏感に感じ取っていた。
錆びた鉄の匂い…要するに血の匂いだ。
「コート!」
ヴァシルは叫んだ。
返答がない。
図書館入り口前の庇の下には星明かりも届かないのかそこだけ真っ暗になっていて様子がわからない。
舌打ちし、油断なく周囲の気配に注意しつつ走り寄る。
闇の中に倒れている人影が見えた。
血の匂いはそこからしている。
「コート!」
再度呼びかける。
そこに倒れている人物は彼でしかあり得ないと、ヴァシルは確信していた。
匂いはびっくりするほど強烈で、まだ新しい。
何があったのかは知らない−大方の予想はつく−が、血が流されてまだほとんど時間は経っていない。
どれほどの傷を負っているのかもわからないが、早急に手当てをすればきっとまだ助けられる。
しかし、だからと言って慌てて駆け寄るような真似はしてはならない。
コート・ベルをこのような目に遭わせた張本人が、まだそこらの暗闇の中に潜んでいないとも限らないからだ。
「…いるのか?」
ヴァシルは闇の向こうに目を凝らした。
暗さに目が慣れ、倒れているのがコート・ベルであるということは確認出来た。
しかしその奥まではまだ見通せない。
「いるんだろ、そこに…」
気配はない。
賢者風情が一流の格闘家である自分から存在を隠せるワケはないが、おかしな呪文でも使ったのかもしれない。
それとも、もういないのか?
庇の下に続く階段に慎重に足をかける。
そのとき、暗闇の中から人影が歩み出て来た。
メール・シードだ。
切れ長の、闇を映した瞳に、掴みどころのない表情。
雨が止んでしまったので『元』に戻ったのだろう。
本物のメールが結局どうなったのかは見ただけではわからない。
「…戻って来られたんですか」
心底どうでもいいことのようにメール・シードは呟いた。
「少なくとも朝までは気づかれないだろうと思っていたんですがね」
「てめぇ…! 自分のしたことわかってんのか?!」
一気に階段を駆け上がり、メール・シードの前に立つ。
にわかに殺気立ったヴァシルに正面から睨み据えられても、彼女は何の反応も示さなかった。
虚ろな瞳をヴァシルに合わせる。
「わかっていますとも…」
「もうコートには関係ねぇハズだろ?!」
「……違います。メール・シードが死んだところで、『光』に選ばれた彼の運命が消えるわけではない。彼はやはり使命を果たさなければならない…つまり、私達の邪魔をするだろうと予測出来るわけです」
「それじゃあ…」
「障害は早目に取り去っておいた方がいいのです。本人さえも自分が障害なのだということにはまだハッキリとは気づいていない段階で。…知らない方が、痛みは少なくてすむ」
「メールを騙したんだな?!」
「心外ですね。彼女が勝手に勘違いしたんです。片方がいなくなればもう一方の使命もなくなると考えた。違います。メール・シードが生きていようがいまいが、コート・ベルは『光』の意志に従って戦わなければならない」
「どうして…それを最初にメールに教えなかったんだ…?」
「───私には必要でしたからね。人間の身体が…」
「なんだと…」
「二人が殺し合いを演じなければならないような事態は避けられたんです。それだけでも良しとしましょうよ」
「…!」
なんだか得体の知れないぐらい強烈な怒りの衝動に駆られて、ヴァシルが今しもメール・シードに殴りかかろうとしかけたとき、ようやくチャーリー達が追いついて来た。
「うわっ、何だこの匂い…?」
チャーリーの声に一瞬気をとられ、攻撃に転じるタイミングを見失ってしまい、ヴァシルは仕方なく構えを解いた。
チャーリーとフレデリックが近づいて来る。
「! …───メール・シード?」
「こんばんわ、チャーリーさん」
「そこに倒れてるのは…」
言い終わる前に、チャーリーはフレデリックのマントを掴んで前へ押しやった。
状況を一目見てさすがに彼も自分が何をするよう求められているのか理解したようだ。
一度は懐にしまった呪文書をまた引っ張り出して自主的にページを繰り始めた。
「アンタは一体何なの?」
チャーリーが挑みかかるように尋ねる。
「難しい質問ですね。にわかに信じてもらえるかどうかはわからない存在です」
「永遠に生き続けることの出来る…精神だけの生命体、らしいぜ」
ヴァシルの付け足した言葉にチャーリーはわずかに眉を上げて興味を示したが、特に何もコメントしなかった。
代わりに質問を重ねる。
「ガールディーの仲間なの?」
「この身体を使っている以上は、そういうコトになります」
「…本当の目的は何なの?」
「世界の破滅。存続。そのどちらかです」
答えになっていない。
その人を食った態度にカッと頭に血の昇ったヴァシル、
「世界の破滅ってどういうコトだよ?!」
今にも飛びかかっていきそうな勢いで怒鳴り散らす。
「お前が人間の身体が要るってのは、世界を救うためじゃなかったのかよ?!」
「もちろん、そのためです。私は私に出来る限りのことをします。しかし、その結果としてこの世界が滅ぶ可能性もないとは言い切れないでしょう?
確実なものなど何一つありませんからね」
「…よーするに…いー加減なコト並べ立ててカンペキにメールを騙したんだな…!」
徹底的にアタマにきて、一歩踏み出しかける。
気づいて、チャーリーはすっと手を伸ばしヴァシルの長い髪を一房つかみ取って引っ張った。
「なんだよ?!」
「メールさんはどうなったの?」
チャーリーの視線は一直線にメール・シードに向けられていた。
チャーリーには大体の事情が飲み込めてきていた。
もし本物のメール・シードが完全に死んでしまっていて、魂がすでに身体から抜け出してしまっているのであれば、髪の毛を握っている手を離してヴァシルをけしかけるまでのこと。
もしメール本人の魂がまだ体内に居残っているのであれば、彼女の肉体を殴る蹴るさせるワケにはいかないだろう。
倫理的に。
「まだ…そこに…」
不意に聞き馴れない声が割り込んで来て、チャーリーは目線を動かした。
それまでピクリとも動かなかったコート・ベルが肘をついて顔を上げた。
苦しげな表情…フレデリックはまだ回復魔法を使っていないのか?
チラリと横を見る。
…呪文書を開いたままボケッとしている。
どうやら何を探していたのか忘れたらしい。
頭を思い切り張り飛ばしてやりたくなる衝動を感じたチャーリーだったが、起き上がったコートの姿を見て改めて自分の成すべきことを知ったらしく、慌ててまたページをめくり出したのでやめておいた。
ここで下手にはたいて今度こそ完全に忘れられでもしたら二度手間になる。
「コート…!」
ヴァシルが驚きに瞳を見開いてわずかに身を引いた。
「メールさんの魂は…残っているんです…」
「───」
「だから…傷つけたり…しないで下さい…」
「お前…まだ…」
「…お願い、します…」
喉の奥からやっとのことで絞り出したような掠れた声でそれだけ言うと、コートはまた石の床の上に顔を伏せてしまった。
「冗談じゃねェぞ…んなに腹立つコトはそーはないぜ」
ぐぐっと体の両側で拳を堅くきつく握り締めつつ、ヴァシルは悔しさと苛立ちと怒りに満ち満ちた眼差しでメール・シードを見据えた。
ぞっとするような気迫を漂わせる彼の蒼い瞳を、しかしメールは何の興味も無さそうに一瞥し、小さな声で呟く。
「そうでしょうね。私もここまでするのは初めてです」
両手をポケットに突っ込む。
そしてチャーリー達三人の顔を見渡し…足元に倒れているコートにもほんの少しだけ視線をくれてから、ゆっくりと正面に向き直る。
「そろそろ終わりにしましょうか…夜も更けましたし、皆さんもお疲れでしょう」
「逃げるのかよッ?」
「そうとも言いますね。あなた方にどう思われようともはや私にはどうでもいいことです。シェルとの約束は果たしました。ここに用はありません」
メールは一旦口を閉ざした。
が、思い出したように言い添えた。
「海底神殿に行ってみてはいかがでしょうか。シェルに訊けば私のこともわかるかもしれませんよ。八つの宝石の内の一つもそこにあることですし、一度は行っておくべき場所だと思いますが」
「海底神殿…? どこにある? どうやって行く?」
ヴァシルの髪を思わず離してしまいつつ、今度はチャーリーが身を乗り出した。
「………、深く考える必要はありませんよ。必ず行き着けるはずです。おそらくシェルがあなた方を呼び寄せるでしょう」
「お前は…自分のしたこと、本当に何とも思っちゃいないのかよ?」
最後の最後にもう一度だけ念を押す、といった感じでヴァシルが問うた。
その問いを受けて−メールはかすかに−どうしようもないくらいかすかに笑みを浮かべ、
「私もここまでするのは初めてなんですよ」
ついさっきの言葉を繰り返した。
彼女の周囲を青白い光の輪が取り巻く。
メール・シードもまた移動魔法を使う気だ。
まったく非力な知識だけのセージかと思っていたが、さすがにその程度の魔法なら使えるらしい。
「またお会いしましょう。そのときを楽しみにしていますよ」
淡々とした声で言い捨て、メールは閃光と共に消え去った。
呆然としている間もなく、チャーリーとヴァシルはコートに駆け寄る。
コートの衣服はべったりと赤黒く染まっていた。
すでにかなりの量の血液が流れ出してしまっている。
「おい、しっかりしろ!」
抱え起こそうとしたヴァシルを、
「動かさないで! 傷口が開く」
素早くチャーリーが制する。
それからじとッと振り返って、
「フレデリック…あんたまさか自分が何の呪文探してるのか…」
「あ! あったあった、やっと見つけました」
呪文書を開けたまま嬉しそうに走り寄って来る。
「ほらほら、ちゃんとここに」
「…コートさん死んだらアンタのせいだからね」
「ところでこの方、どうしてこんなにひどいケガを…」
「いいから早くッ!」
ようやくフレデリックが回復魔法を使い、コートの傷はあっという間に治癒した。
「…ありがとうございました」
ゆっくり身体を起こし、とりあえずといった感じで頭を下げはしたものの、ぼんやりとした顔つきをしている。
彼にしてみれば一度に色々なことの起こり過ぎた一日で、本人や周囲の人間が考えているよりもコートの精神はずっと大きなダメージを受けていた。
それ以上言葉を継ぎ足すこともせず黙り込んでしまった彼の背中を、景気をつけてやろうとでもしたのかヴァシルがばんッと威勢よく平手で叩く。
「しっかりしろ! 何がどうなったんだ?」
背中の痛みに顔をしかめているコートの目にみるみる涙が浮かぶ。
それはヴァシルに突然引っぱたかれたせいなのか、それとも先刻の出来事を思い出したからなのか…断るまでもないような気がするが、当然後者であると推測される。
「泣くなっつってんだろ、気持ち悪りィなァ!」
苛ついた声をあげる。
コートはがっくりと首を垂れた。
「スイマセン…」
「なんでお前が謝るんだよ。悪いのは」
「ヴァシル!」
チャーリーに怒鳴られてヴァシルは言いかけた言葉を飲み込んだ。
少し沈黙してから、
「なあチャーリー…なんとかメール・シードを助けてやれねェかな?」
真面目な口調で切り出した。
「ふむ…本人の魂がまだ身体の中に残っているってんなら、そりゃ理論的には可能だけど」
「出来るか?」
「…難しいね。この問題は私なんかよりノルラッティに…いや、ラーカに訊いた方がいいんじゃないかな」
「なんだよ。お前、世界一の大魔道士なんだろ」
「管轄が違う、管轄が。私が得意とする魔法は生命を奪ったり破壊したりするための魔法。メールを助けようと思ったら、生命を復活させる魔法を使わなきゃ…」
「…メールさんは…助かりますか?」
コートがふと不安げな顔を上げた。
チャーリー、困って無意味に頭に手をやる。
「だから、理論的には出来るんだよ。メールさんは本当に死んじゃってるワケじゃないんだから…それに、あの通り身体も無事だし」
「ノルラッティかラーカを連れて来りゃいいのか?」
短絡的な方向に話を持って行こうとするヴァシル。
チャーリーは複雑な表情で腕組みした。
「そーだと思うけど」
「ヤケにハッキリしねェな…」
「こんなケース初めて見るからね。精神だけで永遠に生き続ける種族か…あっ、何にしてもまず今メールの中にいるヤツを外に引っ張り出してからでないとメールさんは助けられないな」
うつむいて考え込む。
数秒の間。
「…まっ、今ここで考えてても何にもならない。とりあえず…コートさん、研究所に戻りましょう」
「……はい」
チャーリーに促されるまま、コートはふらりと立ち上がった。
「ウェルが心配してるぜ」
ヴァシルの言葉に、コートはただ短くうなずいた。
第13章 了
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