第14章−5
       
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 チャーリー・ファインがシェリイン村を出発してから五日目。

 この日の夜に、メール・シードはコート・ベルを負傷させて姿を消し、チャーリーは影の黒幕的存在たる赤衣白髪の魔道士と一戦交えることになるのだが、そういった事件はまだ起こっていない、清々しい朝のバルデシオン城。

 この城の主サースルーン・クレイバーに神聖魔法のスペルを教わるためチャーリーが食堂から出て行った後で、トーザ・ノヴァ達はそれぞれに出発の準備にとりかかった。
 と言っても、大してしなければならないことはない。
 せいぜいが世界地図で各々の目的地の位置を確認する程度で、それ以上のことははっきり言ってやりたくてもやりようがない。

 もともとが、身体一つであちこちを旅して回る生活は何度も経験済み、今さら新しい旅に出ることになったところですっかり慣れてしまっていて特に何とも感じないという人間の集まりだから、変に浮ついた雰囲気もない。

「カディスはん、盗賊の洞窟に行ったことはありますのん?」

 テーブルの上に広げた地図を眺めるともなく眺めている−のかどうかはその長い前髪のせいで定かではない−カディス・カーディナルに、愛想良くコランド・ミシイズが話しかける。

 昨夜までは邪竜人間族の四人に対してはどこか距離を置いた接し方をしていたコランドだったが、一晩寝て起きるなりすっかり態度を改めている。
 一緒に行動することはもはや避けられない相手なのだから、それならばいっそ内に入り込んで仲良くした方がトクだと考え直したのだろう。
 人懐こい笑顔を向けている。

「行ったことぐらいはな…しかし、入ったことはない」
「へえ。入り口覗いただけで?」
「面倒そうだったから…それに、腕前を試そうなんて気は全然起きない」
「ふ〜ん…そーでっか」
「アンタは?」

 会話は一旦途切れかけたのだが、ふと思いついたようにカディスが緋色の髪の隙間からコランドに目をやった。

「へっ、ワイでっか?」

 カディスの方から話題を振られたのに少なからず驚いた様子で、コランドは自分の顔を指した。
 すぐに愛想良く笑顔を浮かべ、

「ワイもあんまり行ったことはないんですけどな。二、三回ぐらいのもんで」
「だったら、どこにどんなトラップが仕掛けてあったのか、もう覚えてるんじゃないのか?」
「いや、ところがそーゆーワケにもいかんのですわ。と言うのも、盗賊の洞窟を管理しとるんはシーフ・ギルドなんやけど、そこの業者さんが年に三回トラップの総取っ替えをやるんやって」
「全部入れ替えるのか?」
「さすがに最下層のトラップにだけは手ェつけへんみたいやけど…」
「何でまた、そんなにマメに取り替える必要があるんだ?」
「ここんとこ、ギルドマスターが罠マニアばっかりやったからとちゃいますか?」

「ところで、一つ訊きたいんだが…」
「何でっか?」
「アンタの使ってるその妙な訛り、一体どこの地方のモンなんだ?」
「…………」

 不毛に会話が終わってしまったそのすぐそばでは、ラーカとリンドのエティフリック兄妹も地図を眺めていた。
 テーブルの上に広げられているのは、ガールディーの小屋から持って来た赤い印入りのあの地図だ。

 ラーカは右の人差し指を紙の上に滑らせながら、物珍しげに図形に見入っているリンドに地名の解説をしてやっている。
 リンド・エティフリック、百二歳−実はこれまでゲゼルク大陸以外の場所に行ったことは一度しかない。
 その一度というのはもう約二十年も前、王都で開催された魔道大会を見に行ったときのことである。
 要するに筋金入りの世間知らずなのだ。
 なんと世界地図を目にしたことさえ数えられるくらいしかない。

「いいかリンド、これがゲゼルク大陸だ。ここがエルスロンム城と、城下町のある所」

 放浪好きの兄ラーカは当然地図も見慣れているし、主要都市の位置関係など完璧に頭に入っている。
 そんな兄のことを日頃から尊敬し自慢に思っているから、リンドは上機嫌で彼の言葉に耳を傾ける。

「うん」

 わかったよ、とばかりに大きくうなずく。

「で、こっちがソリアヌ大陸…ここが今オレ達のいるバルデシオン城と、その城下町」
「うん」
「オレ達がどこに行くことになったか、覚えてるか?」
「えーと…え〜と、確か、氷の洞窟」
「そうだ。氷の洞窟はここにある」

 ラーカは地図の右上の隅にある小さな島に指を置いた。

「へえ。遠いんだね?」
「いいや。ところがそうでもない」
「なんで? だって、こう行くんでしょ?」

 リンドは、地図のほぼ左下の隅にあるバルデシオン城から氷の洞窟まで斜め一直線に指を動かしてから、自分の後ろに立って地図を見下ろしているラーカを振り仰いだ。

「違う、こう行けるんだ」

 リンドの肩越しに、ラーカはバルデシオン城から左上に指を滑らせる。
 一度紙の外に出てしまった指先を、今度は水平方向に動かし右端に持って行って、そこからまた左上に向けて見えない線を描き氷の洞窟を指した。

「? だって、こっち…?」

 リンドはどうも解せないという表情を隠さずに、中指でテーブルをトントンと叩いた。
 こっちには何にもないじゃないか、と言いたげな仕草で。

「あのな、リンド、こことここはつながってるんだ」

 ラーカ、地図の両端にとん、とんと指を乗せる。
 片腕なので一度には示せない。

「つながってる? それって、要するに」

 リンドはやにわに地図を取り上げると、くるりと筒状にして兄の目の前に差し出した。

「こうなってるってコト?」
「う〜ん…多分そうなんだろーなァ」
「それじゃあ…」

 世界地図をテーブルの上に戻す。
 それから、両手で上と下の端を同時に指さす。

「こっちとこっちは?」

 素朴な疑問である。

「ん〜…やっぱりつながってるな。あのな、ここがチャーリー達の住んでるシェリインッて村なんだが、ここからこっちに飛ぶと…」

 人差し指をすっと下に滑らせる。

「こっちに出て来るからな」

 その指を地図の上端に持って来る。

「それじゃ、こっちも輪っかになってるの? …そんなカタチッてある?」
「ふむ、そう言われてみりゃ…球でもないだろうしなァ」

 もし世界の形が球体なのであれば…咄嗟にはイメージしにくいが、シェリインから南に行ったとして直接ソリアヌ大陸の北側に出て来る…なんてコトはないような気がする。

「あれ? 一体どうなってんだろな、リンド」
「あたし知らないよぉ」

「魔力の壁で囲まれているんですよ」

 不意に飛び込んで来た第三者の声に、兄妹はビックリして顔を上げた。
 テーブルを挟んだ向こう側に賢者メール・シードが立っている。

「魔力の壁?」

 リンドが繰り返す。
 メール・シードは小さくうなずいた。

「桁外れの強制力を持つ転送魔法の壁です。少しでも触れれば、例外なく反対側の端に飛ばされる。全く何の衝撃もなしに。ですから、一見連続しているように思えますし、ほぼそのようなものなのですがね」

「へえ〜…ねえ、その壁、誰が作ったの? どうして作ったの?」

「『光』と『闇』が作ったんでしょうね…私達が世界の外側へさまよい出てしまわないように」

「世界の外側?」

 耳慣れない単語に、ラーカが眉をひそめる。

「もしそこに『何か』があるのだとしたら…この世界が滅びるのだとしても…」
「何?」

 メール・シードの呟きを遮るように、ラーカが険しい声を挟んだ。

「……何でもありません。失礼しました」

 メールはくるりと背中を向けるとテーブルから離れ、そのまま食堂から出て行ってしまった。
 その背中をじっと見送っていたリンド、ドアが後ろ手に閉ざされるのを確認してから、

「…ヘンなひと」

 ぼそりと一言。

「ああ、妙な奴だ」

 ラーカも妹に同調して囁いた。

「どこかおかしいんだよな…」

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