第16章−4
(4)
少女の名はティリア・シャウディン。
先程酒場での話に出た老ワイトマンの孫、というのが彼女のことである。
年はコランドより一月下だからほぼ同い年。
ワイトマンの所で厄介になっていたコランドとは当然旧知の仲である。
酒場の前でラルファグと別れた後、コランドはすぐにワイトマンの家に飛び込み、そこにいたティリアに地図を渡してくれるよう頼んだ。彼女は素直に地図を持って来たが、コランドにそれを渡さなかった。
「私もついて行く」
ティリアはきっぱりとした口調でこう言い出したのである。
「あ…アホなこと言うな、ティリア〜ッ! ワイは遊びに行くんとちゃうんやぞ!」
「私だって遊びで言ってるワケじゃない! 前々から行こうと思ってたの!」
「それが何で今やねん!」
「いいじゃない! 今はここに残ってる方が危険でしょ!」
「とっ…とにかく、あかんあかん! ワイにはお前の面倒みとる余裕なんかあらへんのやから…」
「あっそ。じゃあ、コレ渡さない」
「ティリア〜! 状況考えてモノ言うとるんやろなァ〜?!」
「連れてってくれるぐらいいいじゃない! 減るモンじゃなし!」
「お前を連れてったらワイの神経がすり減…いや…」
コランドは途中まで言いかけた台詞を飲み込んで、わざとらしく咳払いなどしてみせた。
「…よっしゃ。そこまで言うんやったらしゃーない、お前も連れてくことにしたる」
「ホントッ?!」
「ただし、自分の身は自分で守らなあかんぞ。ワイは一切関知せーへんからな」
「わかってるって! やったァ!」
「それじゃワイに地図を…」
「さっ、早く行こ!」
「…さすがに渡せへんか…」
「んっ? 何か言った?」
「いや、別に…そしたら行こか…」
…とまあこういうやりとりがあって、コランドとティリアは一緒に家を出たのだが。
途中でコランドは周囲の騒動に乗じて師匠の孫の前からわざと姿をくらました。
そのときには既に、洞窟の地図をちゃんと少女の道具袋からスリ盗っていた。
コランドにしてやられたことに気づいたティリアが悔しさで一杯になりながらもこれといったアテもなく危険な町中をうろついていた−度胸のある子だ−目の前へ、竜の姿を保てなくなるくらいのダメージを食らったカディスが落ちて来た。
出来過ぎた話に聞こえるが事実である。
ティリアは手近な民家にカディスを引きずり込み持っていた治癒系魔法のスクロールでその傷を手当てしてやった。
そのまま彼にくっついて来たのである。
カディスとしても自分を助けてくれた人間を混乱の最中に置き去りにして来るのは心苦しいので同行を許したのだが…。
「しかしアンタ、よくあの状況の中で怪我したドラッケン助けようなんて思ったよな。カディスがオレ達の仲間だなんて知らなかったんだろ?」
「それはそうなんだけど…でも、その他大勢に向かって行ってる竜が一頭だけいたのは知ってたから。上を見たら竜同士で戦ってる様子なかったし、じゃあこの人は少なくとも私達の敵じゃないだろうと思って」
「ほ〜、あの騒ぎん中でそこまで考えたんかい」
「も…もちろんよ。盗賊たるもの如何なるときも自分の身辺で起きている事柄について観察を怠ってはならないって、おじいちゃんがいつも言ってるし」
本当は前髪の下からのぞいたカディスの顔がちょっと男前だったので後先考えずに助けてしまっただけなのだが。
☆
視界から全ての竜が消えた。
ダーク・ドラゴンは闇色の翼でだるそうにその身体を支えて、未だ夜空にいる。
自分のブレスが影響を及ぼすことを恐れて離れた町の方角を、血の色よりも紅い瞳でぼんやりと眺めやる。
幾筋かの煙が立ち昇っていた。
人々の嘆き悲しむ声を、突然の惨事に怒り憤る叫びを、ゆるい風が頼みもしないのにアシェスの耳元まで運んで来る。
───違う。
『闇』のウロコが溶け、ダーク・ドラゴンが人間の姿に戻る。
───違う、違う。
人の姿になったところで、その髪と瞳の色は彼が何者なのかを語り続けている。
アシェス・リチカートは激しく頭を振った。
たった今目の前で繰り広げられた何もかもが信じられなかった。
信じたくもなかった。
誇り高き『闇』の竜である同胞が、抵抗する術を持ち合わせていない一般市民を無差別に襲撃したこと。
自分が『闇』のブレスで幾人もの同族を情け容赦なく、そして一人残らず、消滅させたこと。
信じることなど出来ない。
信じるわけにはいかない。
しかし、それは事実だった。
動かしようのない事実の記憶だけが、戦い終えたアシェスに残されていた。
「違う!」
『闇』の竜の皇子は一人叫ぶ。
聞く者のない空の上で孤独に絶叫する。
「違う! 違う! これは我らの行いではない!」
竜の咆哮にも劣らぬ声量で怒鳴り散らす。
「誇り高き『闇』の竜がこのような卑劣な真似など! 反撃する術を持たぬ弱者を手にかけることなど!」
誰に対してでもなく、それでいながらあらゆるものに対して、アシェスは言葉を叩きつけてゆく。
邪竜人間族は争乱と混沌を好む『闇』の種族。
秩序と平和を善しとする善竜人間族とは対極をなす存在。
この世界のはじまりのときから幾度も戦い続けてきた二つの竜。
互いの考えを決して理解出来ぬ『光』の竜と『闇』の竜。
だが彼らの間には一つだけ共通点があった。
それが『竜』であることの誇り。
善竜人間族は『光』の竜であるために、邪竜人間族は『闇』の竜であるために生きる。
『闇』は争乱を好むが虐殺は好まない。
『闇』は混沌を好むが奇襲は好まない。
定められた戦場で正々堂々と戦うことこそが我らの誇り。
戦う意思と力を持つ者を倒すことにのみ、『闇』の竜の力は用いられるべきだ。
そうではなかったのか。
空中でふらついたアシェスは、体勢を立て直す一瞬に、自分めがけて突っ込んでくる三頭の竜を見た。
月光にきらめく緑色のウロコ。
バハムートだ。
数瞬迷った。
釈明したいと思った。
たった今起きた出来事は『闇』の竜がとるべき行動とは大きくかけ離れているということ、これには深く複雑な理由があるに違いないということ、『闇』の竜の誇りにかけてその理由を突き止めてみせるということ。
思って、それは不可能だと気づいた。
見る間に接近して繰る三頭の竜の瞳にはいずれも狂おしいほどの怒りの色があった。
アシェスが何をどう言おうと、彼らは耳を貸さないだろう。
そもそも、相手の言い分を聞いてやろうという気持ちが少しでもあるのであれば、いきなり竜の姿ではやって来ないハズだ。
「違う!!」
それでも、アシェスは叫んだ。
叫んですぐさま、身を翻した。
グリーン・ドラゴンに応戦することは出来ない。
出来るわけがない。
決して認めたくはないが、非があるのは明らかにこちら側だ。
反撃する資格などないのだ。
それにしても。
逃げるアシェスは歯噛みする。
先刻の惨劇が『闇』の竜に相応しくない行いだということがわからないのか。
激しく苛立つ。
同時にものすごい悲しみが突き上げて来た。
オレは何を言っている?
たった今、他ならぬこの自分が、怒りに我を忘れて同胞を皆殺しにしたばかりではないか───。
Copyright © 2001
Kuon Ryu All Rights Reserved.