第16章−2
       
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 どんな町でも夜の酒場は賑やかなものだ。
 大勢の旅人が行き交う港町であればなおさら、旅路の疲れを酒で癒そうと考えた人間達が集まって来る。

 陽気な喧噪に満ちた酒場の片隅に、酔っ払い達の大騒ぎからは距離を置いてグラスを傾けている老人の姿を見つけ、コランドとラルファグは人込みをかき分けるようにしてそのテーブルに近づいた。

「師匠!」

 コランドが弾んだ声で呼びかけると、老人はグラスを持つ手を止めて顔を上げた。

 目の前に立っている二人の若者の方にちょっとだけ不審な表情を向けて…次の瞬間、薄い灰色がかった老人の瞳が大きく見開かれる。

「おぉ、コランド! コランド・ミシィズか!」

「ご無沙汰でした、師匠! お元気そうで安心しましたわ」

「お前さんの方こそ、活躍の噂は逐一聞かせてもらっとるよ。あの駆け出しがわずかな年月ですっかり有名になっちまって…まァ、そこに座るといい。お連れさんもご一緒にな」

「おっと、そや。こちら、ワイトマン・シャウディン老───ワイの師匠で、育ての親、でもある大恩あるお人ですわ、ラルファグはん。で、こちらはラルファグ・レキサスはん。狼人間族の長の息子さんで、訳あって今一緒に行動しとるんですわ」

「ふむ。アシェス皇子ともう一人邪竜人間族も連れておるだろう、コランド」

 ワイトマン老、痩せた顎に手をやりながらさらりと呟く。

「なッ…ななな、何でそのコトを…」

「そこまで驚くこともあるまい。老いたりと言えども衰えてはおらん。そもそも、お前はワシを頼ってこの町に来たのだろう? ワシが耄碌しておったら困るのはそっちではないのかな」

「そ…それはそうなんでっけど…いやァ、やっぱ師匠にはかないまへんなァ」

 困ったような口調で言いながらも、コランドは実に嬉しそうな笑顔を老人に向けている。
 普段からへらへらと愛想笑いの絶えない彼だが、こうまで無防備な表情になることはそうない。

 先程コランドはワイトマンのことを『育ての親』だとラルファグに紹介したが、実際に彼のもとで世話になったのは二年足らずの短い間だけである。
 にも関わらず、彼にしては珍しくコランドはこの老人には全幅の信頼と惜しみない親愛の情を見せていた。

「ワシとて無駄に長生きしておるワケではない。お前なんぞよりずっと知識も経験も豊富なんじゃからな」

 老人もコランドの言葉に朗らかな笑いで応じた。
 酒場の隅で一人で飲んでいる姿からは、ともすれば偏屈そうな印象さえ受けるが、老人の実際の性格はそうでもないようだ。

「…こんな自慢をしておる場合ではないな。コランド、罠の洞窟についてじゃが…お前がそのうち訊きに来るだろうと思って最新の配置を地図にして孫に預けてある」

「地図があるんでっか! そりゃ助かりますわ、さっすが師匠!」

「前回の点検で致死性の高いトラップが三点追加されたからな、十分気をつけるんじゃぞ。お前なら心配はいらんと思うが…」

 老人の台詞がハッと途切れた。
 コランドとラルファグが同時に酒場の入り口を振り返る。
 直後───扉の向こう側で騒ぎが起こる。

 悲鳴、罵声、行き交う足音。
 ただごとではない気配が伝わって来る。
 店内にいる酔っ払い達も何事かとドアの方に注目している。

「くそッ、早かったな!」

 ラルファグが舌打ちして椅子から立ち上がり、突っ立っている客達を押しのけるようにして出入り口へ急ぐ。
 平和な港町に相応しくないこの騒ぎ、追っ手の邪竜人間族が町に着いたに違いなかった。

「師匠…」

 反射的に席を立ち、ラルファグの後を追おうとして、コランドは少しためらい老人を見下ろした。

「行け、コランド。孫はワシの家におる。町のことは気にせず洞窟に行くんじゃ」

 ワイトマンは力強い声で言った。

「コランド! 早く来いッ!」

 ラルファグが扉の前から呼んでいる。
 コランドはワイトマン老に短く強くうなずきを返すと、無言のまま身を翻し、ラルファグのもとへと駆け出した。


 酒場を飛び出す。
 咄嗟に上空を振り仰いで、コランドとラルファグは思わずその場で固まった。

 アシェスを捕らえるために派遣されて来るのだから追っ手の数は少なくはないだろうと考えてはいたが。
 夜空を埋める黒い竜の数は多すぎた。
 数えている余裕はなかったがおそらく五十近い。

 他種族の町の上空をこんなに大量の邪竜人間族が飛び回るなぞ、前代未聞の出来事だ。
 おかげで住人達は完全にパニックに陥り、相手はまだ何も仕掛けて来ていないのに冷静な判断力を喪失してしまっていた。

「ラルファグはん。宿へ行ってアシェスはん達を連れて来てくれまっか。ワイは師匠の家へ地図を取りに行きますさかい」

「わかった。合流する場所は?」

「最初に入った門のトコで」

「よし!」

 二人は左右に分かれて走り出した。
 往来を逃げ惑う群衆の間を巧みに擦り抜け、それぞれの目的地を目指す。


 ラルファグがようやく宿の建物が見える所まで辿り着いたとき───上空にいる竜の中の一匹が、高度を下げて宿屋へ接近し始めた。

「!!」

 アシェスとカディスがあそこにいることがバレたのだろうか。
 ラルファグは道の真ん中で立ち止まると、ドラゴンの動きを注意深く見守る。

 黒い竜が首をもたげる。
 翼を大きく広げて空中で静止する。
 宿の近くにいた人々が我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
 ───ドラゴンがブレスを吐くときの動作だ。

 なす術もなく見上げるしかないラルファグの前で、その竜が宿を焼き払おうと炎を吐きかけた、刹那───。

 建物を突き破って一頭の竜が飛び出して来た。
 黒い竜───カディス・カーディナルだろう。

 ドラゴンに変身したカディスはブレスを吐こうとした竜へ猛然と突っ込んで行くと、鋭い牙で相手の首筋に喰らいついた。

 鼓膜がやられそうなくらいの音量で悲鳴が轟き渡る。
 ドラゴンの絶叫───思わず耳を塞いだラルファグの視線の先で、仲間をやられた竜達がにわかに殺気立つ。

 カディスは首を振るようにして相手から牙を引き抜くと、太い腕で邪魔な身体をなぎ払った。
 竜は人間の姿に戻り───竜人間族はドラゴンの姿のときに大きなダメージを受けると人間に戻ってしまう───地上に落ちる。

「カディス…!」

 上空にいた竜のうち五頭が一斉にカディスに襲いかかる。
 多勢に無勢、おまけに長旅で疲れ切っているカディスに勝ち目などあるハズもないが…黒い竜は雄々しく咆哮すると敵の群れの中に飛び込んで行った。

「無茶だぜ、カディス!」

 叫んだラルファグの腕を、不意に背後から掴んだ者がいる。
 ハッと振り向くと、フードを目深に被ったアシェス・リチカートが立っていた。

「アシェス…! おい、カディスが…!」

「町から出るぞ。あの盗賊はどこへ行った?」

「おい、仲間を見殺しにするのか?!」

「町から離れるんだ。…力の調整が上手く出来ないからな…引きつける」

「…え?」

「行くぞ。カディスも長くはもたない」

 ラルファグはもう一度上空に目をやった。
 カディスの変身した黒い竜は一度に何頭もの竜を相手取って奮闘しているが、やはり身のこなしにはいまひとつキレがない。

「わかった。コランドとは門のところで合流する予定だ、急ごう!」

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