第13章−2
      
(2)

 都立図書館、正面入り口の前に立ち、コート・ベルは放心したようになって、ベル研究所によく似た外観のその建物をもうかなりの間ただ眺めていた。

 鉄枠にガラスのはまった扉の向こうには白い布のカーテンが引かれ、『閉館』のプレートが掛かっていて、中の様子は全く見ることが出来ない。
 その入り口の前はちょっとした広さの舞台のようになっていて、道路から石段を数段上がったその空間にはがっしりと太い御影石の柱で支えられた平たい屋根が覆い被さっている。

 夜の中でも一際暗い屋根の下に一人立ち尽くしていたコートは、やがてふっと息をつくと、扉の横の夜間・閉館時返却用のブックポストの口に斜めになって引っかかっていた分厚い文学全集を律義にも片手でちゃんと押し込んでやってから、ガラスのドアに背中を押しつけてずるずると座り込んだ。
 膝を両腕で抱え、その上に顔を伏せる。

 …この図書館に特別思い入れがあるワケではない。
 研究所に十分な量の蔵書があったからコートが利用することはあまりなかった。
 しかしメールはよくここに来ていたようだ。
 短い髪のメール・シードは。

 偶然図書館でメールに出会った所員は、入り口をくぐるなり開架図書には目もくれず滅多に人が立ち入ることのない地下の書庫へ姿を消した彼女のことを話してくれた。
 図書館地階の書庫には館内の倍近い冊数の書物が保管されている。
 その中からメールが手に取った本を見つけ出すことは不可能だ。

 一体、彼女がここへ何をしに来ていたのか知りたかったけれど…でも、もう手遅れなんだろう、きっと。
 もっと早くに調べていればよかった。不審は感じつつも…メール・シードが自分の前からいなくなることだけはあり得ないと、過信していた、何の根拠もなしに。

 その結果が───。

 さあッ、と冷たい風がコートの身体を包んだ。
 それでも顔は上げない。
 うずくまったまま、耳を澄ます。
 何か細かいものが地面を叩くかすかな音。
 湿った空気の甘い匂い。
 雨が降り出した…らしい。

 ついさっきまでは、月が綺麗な晴れた夜だったのに。
 天気なんて、いつどんな風に変わるか予測のつかないものだ。

 人の心も…そうなのだろうか。

 いや。
 コートはふと芽生えたその考えを自身で強く否定した。

 人の心はそんなに簡単に変わりはしない。
 メール・シードだってきっと前と変わらぬ心を持ち続けてくれているに違いない。
 彼女がメールさんでないと言うのなら……。
 メールさんがもう死んでいるなんて、…わたしは信じない。
 たとえそれが『彼女』の言葉だったとしても……。

 コートは膝を抱く腕にぎゅっと力を込めた。
 自分がこれからどうすればいいのかまるでわからなかった。
 自分の気持ちにどう決着をつければいいのか…考えてみることさえ、今は出来なかった。

 雨は次第に激しさを増しているようだ。
 冷えていく大気の中、天から降り注ぐ銀色の糸が街の石畳を弾く音に耳を傾ける。

 この雨が止むまでは…とりあえずここにこうしていよう。

 コート・ベルはそっと瞳を閉じ−すべての思考を、停止させた。

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