第13章−6
(6)
───瞬間、大気が破裂した。
すさまじい衝撃が来て、三人は吹っ飛ばされた。
フレデリックが事前に用意していたバリアをいともあっさりと弾き飛ばす、強烈なエネルギー波がチャーリー達を直撃したのだ。
敵は完全に気配を消して忍び寄っていた。
これだけの威力を備えた魔法を使えば呪文の発動前に必ず生じるはずの、空気中に満ちた魔力の微細な振動までもが完全に制御され消し去られていた。
相手は相当の実力の持ち主だ。
だが、襲撃された当の本人達にそこまで判断している余裕はなかった。
次の攻撃が来る。
雷撃のどしゃ降りだ。
地面をえぐり、周囲の建物まで破壊する派手で迷惑な魔法だった。
「このッ!!」
チャーリーは空の一角−呪文の主がいると思われる辺り−に向けて数十発の雷球を続けざまに撃ち込んだ。
手応えはない。
しかし、少しの間空が明るく照らし出される。
雨の中、中空に立つ、赤い衣の魔道士…。
「あッ!!」
「白い髪…?!」
チャーリーとヴァシルが同時に声をあげる。
相手は冷酷な表情でこちらを見下ろしている。
右手がふわりと動いた。
指先に火炎が巻き起こる。
魔道士は無造作な手つきでそれを放った。
炎の滝が地上に降り注ぐ。
恐れもせずに見上げるチャーリー。
片手を差し伸べ、氷の呪文で対抗する。
熱と冷気、相反する二つの力は互いを食い合い爆発を起こして消えた。
その爆発が合図だと決められてでもいたかのように、地上のチャーリーと上空の魔道士とはそれぞれ相手に向かって飛び出していた。
「おいッ?!」
叫びかけたものの、結局何も出来ずにヴァシルは上空に消える黒いマントを見送った。
白い髪…アイツは、ヤバいんじゃなかったか?
バルデシオン城を出て来る前の晩に皆で繰り広げたトランプ大会の際にコランドから聞かされた話によると、ガールディーを操っているのかもしれない−従って影の黒幕かもしれない奴が、白髪の魔道士だということだ。
アイツこそがそうなんじゃないのか?
だとしたら、迂闊に手を出すと痛い目をみることになる可能性もある。
チャーリーはそれに気づいてないんだろうか。
不意に攻撃されてアタマにきて、後先考えずにともかく飛び出した?
まさかそんなコトは…ないと思う…んだが…。
ダメだ。
言い切れないのが情けなくてタメ息が出る。
隣ではフレデリックが懐から引っ張り出した分厚い手製の呪文書を一心不乱にめくっていた。
極度の健忘症の彼は魔道士でありながら魔法を使うのに必要不可欠な呪文を暗記しておくことが出来ない。
それ故、自分の使える呪文をまとめた一冊の本を常に携帯している。
しかしどのページに何を書いたのかがわからない。
だから魔法を使わなければならない事態に陥ったときにはこうして一枚一枚手でめくって探すしかない。
普段ならめくっているうちに何の魔法を探しているのか忘れてしまうのだが、今回は切迫度が高いので何とか目的を達成出来そうだ。
フレデリックの手がぴたっと止まる。
上空の状況と手にした本のページとを見比べる。
「何かすんのか? フレデリック」
「黙って見ていられませんよ、向こうは強いですよ!」
フレデリック、きッとなってヴァシルに向き直る。
「お前にもそーいうのわかんのかよ」
「当然です、魔道士ですから」
どこか誇らしげである。
ヴァシルは小さく肩をすくめ、
「じゃあ魔道士の力を見せてみろよ。手遅れにならんうちに」
再び上に視線を投げる。
雨の夜空の一角に赤い光や青白い光が明滅する。
火炎魔法、雷撃魔法だろう。
結構遠い。
地上からでフレデリックの魔法は届くのだろうか?
ヴァシルの懸念をよそにフレデリックは呪文の詠唱に入っている。
かなりの早口だ。
さすが魔道士と言うべきか…感心して見守るヴァシルの目の前で、フレデリックは不意にぱたッと呪文書を閉じた。
真っすぐチャーリーと魔道士とが交戦中だろう方角を見上げる。
「イージス・メルディ・フラック!」
凛とした声に呼び寄せられたみたいなタイミングで、フレデリックの足元から天空の高みに向けて、猛烈な勢いで黄金色の輝きをまとった風が吹き上げた。
金の風は一瞬に消え…状況には一見何の変化もないようだ。
「…何だ、今の?」
「すぐわかりますよ」
のんびり言ったフレデリックの顔がにこっと笑み崩れる。
───確かにフレデリックには真面目なカオよりとぼけた笑顔の方が似合っているが、今笑われるとハッキリ言って薄気味悪いとヴァシルは思った。
☆
攻撃魔法が真っ向からぶつかり合った衝撃を利用して、相手との距離を空ける。
広げて伸ばした両手の平に、高温のあまりに白く輝く火炎の弾が一つずつ現れた。
視線を素早く相手に当て狙いを定める。
いくら視力が悪いと言っても、あの派手な真っ赤な法衣を見失うほどではない。
…相手もまた新たな呪文を用意しているハズだ。
この白い髪の魔道士こそがガールディー・マクガイルを操っている(かもしれない)影の黒幕(かもしれない)的人物なのだろうと(よく考えたら何一つ断定出来る材料がない)ちゃんと頭では理解しているチャーリーである。
それでも攻撃を仕掛けられたら−それが不意討ちならなおのこと−反撃せずにはいられない。
因果な性格だ。
しかし、この魔道士───それほど強く、ない。
先に左手の炎を、少し間を置いて右手の炎を相手に向けて投げつけながら、チャーリーは思った。
二つの火炎弾はチャーリーの意のままに動かすことが出来る。
一方の炎が敵を追い込み、もう一方の火炎の軌道上に捕らえる。
狙い通り火球は二つとも白髪の魔道士に命中したが、バリアに防がれダメージを与えるまでには至らなかった。
こと高位の魔道士同士の戦いとなると、このように魔法の威力をバリアで消されてしまうことがほとんどと言っていいくらいに多くなるので、大抵の場合は長期戦にもつれ込む。
自分の身体の周囲をバリアで覆っていることも出来ないほど精神力を消耗した者が結局は敗者となる。
相手の魔法を食らって、まともに張ったバリアが消し飛ばされてしまうようなら、両者の間には力の差があり過ぎるのだ。
そんな相手とは最初から勝負にならない。
だから、白髪の魔道士はチャーリー・ファインの相手が務まるくらいには腕が立つのだろうが───。
反撃として放たれた雷撃魔法を手刀の一振りで跳ね飛ばす。
そこまでのハナシだ。
予想していたような脅威は感じず、むしろ拍子抜けした気分だ。
本来の力を隠しているような素振りもない。
これなら確実にガールディー・マクガイルの方が強いと言えた。
一気にカタをつけてやる…!
後ろに飛んでさらに間隔をとり、チャーリーはそれまでより数段威力のある魔法を使うため呪文を唱え始めた。
白髪の魔道士は追って来ない。
向こうもこの間を利用して高位の呪文を準備するつもりだろう。
近眼の彼女には白髪の魔道士の表情はわからず、従って考えも読めなかったが、それで不安を感じるようなことはなかった。
もし彼女の目がもっと良ければ、彼女が下がったとき彼が不敵な笑みを閃かせたのに気づくことが出来たに違いない。
残忍な企みを宿した、凍りつくように冷え切った微笑だった。
白髪の魔道士は虚空に左手を差し出す。
その指先に『闇』が生まれた。
ガールディーが生じさせたものより、まだ暗く黒い『闇』…。
相手から完全に気配が消えてしまっていることに、うかつにもチャーリーは気づいていなかった。
だから、相手がどんな魔法を使おうとも大気中の魔力が微動だにしていないことにも気づいていない。
チャーリーには白髪の魔道士が今まさに使おうとしている魔法について何もわかっていない。
つまり彼女は油断していた−相手の力に騙され、本質を見誤っていた。
弱い魔道士が強力な魔法を使ってこない保証はどこにもない。
たまに一点豪華主義で高レベルの魔法だけを覚えたがる物好きもいるのだ。
魔道士としての力はまだまだ半人前に過ぎない魔物召喚士シーリー・ロシナッティが小生意気にも炎の精霊サラマンダーと契約を結んでいるように。
もっとも、白髪の魔道士の場合は少し事情が違っているのだが…。
とにかく。
『闇』は形をとり、一本の矢となった。
夜の闇の中に浮かび上がる真の『闇』。
軽く指を振る。矢はチャーリーの心臓を狙って一直線に飛び出して行った。
信じられない速度で。
☆
一瞬、のことだった。
どこからともなく出現した黄金色の輝きをまとった一陣の風が、柔らかな繭のようにチャーリーの全身を包み込む。
直後、彼女目がけて飛んで来ていた暗黒の矢がその風に突き刺さった。
何万枚ものガラスの板が一斉に砕け散ったとしたらこうなるに違いない、派手な音を、チャーリーは聞いた。
その音は不思議とうるさくは感じられず、それほどの騒音にも拘わらず耳が痛くなるようなこともなかった。
チャーリーの見ている前で、黒の矢がふわりと浮き上がり、方位磁石の針が振れるように先端を元来た方向へ向けた。
彼女を包んでいた輝く風が崩れ落ち、光の破片になって雨の中に舞い散った。
「『闇』の矢…」
そう呆然と呟いたチャーリーの言葉からまるで逃げ出すみたいに、矢は今度は白髪の魔道士を指して一直線に飛び去った。
「反射の魔法か…」
無感情に呟き、まっしぐらに迫り来る暗黒の矢を凝視しながらも、白髪の魔道士は顔色を変えもしなかったしその矢から身をかわそうという動きも見せなかった。
魔道士の左胸を黒い矢が貫く。
背中から飛び出した矢はそのまま夜空の彼方に消え、…魔道士は平然とチャーリーを見据えていた。
「あの矢に射抜かれて平気だなんて…」
思わず独り言を漏らす。
ガールディーに一度やられているから『闇』の魔法の恐ろしさは身に染みてわかっている。
『闇』が心臓を直撃しようものなら全身を暗黒の中に取り込まれてこの世界に存在していることさえ出来なくなるハズだ。
心臓にはその人の魂が宿っている。
肉体が滅んでも魂が残っていれば、その人は本当には死んでいない。
肉体が無事でも魂が無くなってしまえばその人はもはやどこにも存在しないことになる。
「アイツ…」
赤い衣が揺れる。
白髪の魔道士の姿が消える。
ハッとなって身を乗り出しかけたチャーリーの、すぐ目の前に突然さっき消えた赤い法衣が現れた。
「!」
反射的に身構える。
魔道士はすっと手を伸ばしてそれを制した。
すぐに攻撃に移るつもりだったのが、その落ち着き払った仕草に呑まれて動きを止めてしまう。
「…?」
「冷静に。突然襲撃した非礼は詫びましょう。あなたの力を試したまでです」
「力を…試した?」
露骨にカチンときた表情になるチャーリー。
いくら暗黒魔法の使い手とは言え、あの程度の力しか持っていないような奴に試したなんて言われると気分のいいものではない。
「そうです。あなたはどうやら我々の敵に回るおつもりのようですから…」
「ガールディーの指示か?」
「とんでもない、彼からの命令を受けることなどありませんよ」
魔道士は手を下ろすと、チャーリーから少し離れた。
チャーリーもほんの少しだけ警戒を緩める。
相手から敵意はすでになくなってしまっているようだったから。
それでも今度こそ油断はしない。
この至近距離で暗黒魔法を撃たれれば今度こそアウトだ。
「個人的な関心から確かめてみたくなっただけです。噂通りの強さで…さすが、ガールディー・マクガイルの唯一の弟子、とでも言いましょうか?
そういうことになっているんですものね」
「アンタは一体何者なんだ?」
険しい目で睨みつける。
「一体何者だと思われます?」
嘲笑するように相手は応じた。
「敵だろう」
はねつけるように言う。
魔道士は瞳を閉じて唇の端を吊り上げた。
「『闇』は本当にあなたの敵なのですか?」
「……何?」
「こうして実際にお会いしてわかりましたよ。そうではないだろう、と」
「……何の話だ?」
「実際に会わなければわからないことです。だからこうしてやって来たのです」
「………」
「一つだけ教えてもらいたいのです。すべてを知っていながら、それでもあなたは彼に刃向かう道を選ぶのですか?」
「!」
「彼が何故『闇』に選ばれたのか。あなたはおわかりのはずです。それでも、なお…?」
「…私は私の生きたいように生きる。ガールディーが何をしようと、何を考えてようと、こっちの知ったことじゃない。ただ、ガールディーが私の邪魔をするってんなら…どうしても世界を破滅させるってんなら…そんときは黙ってられない。それだけだよ」
「世界を守りたいのですか? 自分が何者であるかを知っていてなお、他の生命達を守りたいとおっしゃるんですね?」
揶揄するような響きを込めた魔道士の言葉に、チャーリーはハッと顔を上げ、壮烈な殺気をはらんだ視線を相手にぶつけた。
彼はその視線にはまるで気づかなかったとでも言うように、のんびりと夜空を見上げた。
気づくと、いつの間にか雨は小降りになっている。
雨雲も晴れてきていた。
このぶんだともうじき止むに違いない。
彼は白い髪を揺らして改めてチャーリーに向き直った。
「いずれまたお会いすることもあるでしょう。今回はこれで」
「?!」
移動魔法の放つ特徴ある青白い閃光と共に、白髪の魔道士は姿を消した。
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