番外編2−6

      

 

(6)

 朝の洋館…というものは、特に気味悪くも何ともない。
 廃屋になってようが幽霊が住んでようが盗賊のアジトになってようが、爽やかな朝陽の下では何も感じようがない。
 ただ、洋館だなあ、とそういう印象しかない。
 素晴らしい印象だ。

 ヴァシルはごく普通に扉を開けて入って行こうとした。
 …が。
 鍵がかかっている。

 盗賊のクセに鍵をかけるなんて生意気な。
 何だかよく分からないことを考えつつ…扉の前から一歩、二歩、後退り。

「はッ!」

 気合で一撃。
 鋭く繰り出したエルボーで、いともたやすく鍵は壊れた。
 二、三発軽く蹴りを入れると、ドアは勝手に内側に向かって開いて行った。

 中に入る。
 盗賊達が大勢で歓迎してくれるかもしれないと注意しながら入って行ったが、ホールはがらんとしていた。
 出迎えるように立っていたのはたったの一人。

「チャーリー! 何やってんだ、そんなトコで」

 少しばかり拍子抜けした様子で口に出すヴァシル。
 チャーリーがどことなくうらめしそうな目つきで二人を見る。

「チャーリーさん! また会えましたね!」

 にこおっと嬉しそうな笑顔で−笑顔は大体嬉しそうなもんだが−いそいそと近寄って行くフレデリック。

 そんな彼に向かって、チャーリーは左の手刀で前方の空間を水平に切るような動作をする。
 手刀の軌跡に沿って真空の刃が発生し、フレデリックに襲いかかった。
 風の刃は当然フレデリックの前でバリアに弾かれて消滅したが、彼の足を止めさせる役には立った。

 チャーリーは続いて後ろの方で無言で立って自分の方を見ているヴァシルに向かって、手刀を切ったのとは別の方の手の平を突き出す。

「テジャス・ド・ルーダ!」

 呪文と同時に、手の平から人間の頭よりも一回り大きい火炎の球が飛び出し、一直線にヴァシルの方へ飛んで行く。

「?!」

 咄嗟に横に飛んで避ける。
 火炎球はヴァシルの背後にあった扉を直撃したが、ドアを炎上させることはなくそのまま消えた。

「何のつもりだ、チャーリー!」

 厳しい表情で怒鳴るヴァシル。

「フッフッフ…かかったわね。アンタ達はまんまと罠にはまってしまったワケよ」

「…は、はあ?」

 一瞬にして厳しい表情は崩れ…間の抜けた声を出すヴァシル。

「私の真の姿を見てしまった以上、アンタ達を生きてここから帰すワケにはいかないわ。攻撃魔法で塵となってもらいましょうか!」

「真の姿って…お前は何を言っとるんだ?」

「問答無用! ヴァユ・ラ・ヴァイム!」

 広げた両手の平から発生した竜巻がうねりながら二人に向かって来る。
 フレデリックはバリアでそれを跳ね返し、ヴァシルはまたも身軽にかわした。
 着地して、しゃがんだ姿勢のままでチャーリーを見ながら、ヴァシルは考えた。

 アイツがもし本気でオレ達を消すつもりなら、もっと強力な魔法を遠慮会釈なく撃ち込んで来るハズだ。
 それに…。

 そこまでヴァシルの思考が進んだとき。

 唐突に、フレデリックがずいっと前へ歩み出た。
 そして、お気楽なその顔には似合わぬ苦悩の色など漂わせながら、

「まさかあなたが悪だったとは…意外な事実に私の胸は悲しみで張り裂けてしまいそうです。人は見かけによらないものなのですね」

 …お、おいおい…。

 どうやら『本気』のフレデリックの様子に、突っ込む言葉もなくすヴァシル。
 チャーリーも一瞬ア然となりかけたが、慌てて気を取り直し、

「…そ、そう、私は実は悪だったのよ! 魔道の力を使って善良な人々を苦しめる、悪の魔法使いの王道をゆかんとしているのがこの私だというワケ!」

 なんだかよく分からない切り返し方をしている。

「そうだったのですか…いえ、もちろん、チャーリーさんにはチャーリーさんの生き方というものがあります。あなたが悪として生きたいというのなら、その考えは尊重されるべきことなのでしょう」

 そんなことはないと思う、声にこそ出さなかったがチャーリーとヴァシルはほとんど同時にそう考えた。

 フレデリックがきッと顔を上げる。

「しかし! チャーリーさんに人間として間違った道を歩ませるワケにはいきません…この私が、あなたを愛してしまった以上!」

 大真面目に、粉ほどの恥ずかしげもなく堂々と胸を張って言い切るフレデリック。

 チャーリーはあまりと言えばあまりの衝撃が足にきて片膝つきそうになりかけたのをかろうじてこらえ、目一杯の大声で思いっきり突っ込んでやりたいのを懸命にこらえている。

 一方のヴァシルは…フレデリックの背中側で完全に崩れ落ちてしまっている。
 最早フレデリックの歯の浮くような台詞を笑い飛ばすことも、的確な突っ込みを入れてやることも出来なくなって、ただ倒れ伏している。
 世界屈指の格闘家をここまで打ちのめすとは、さっきの言葉はある意味恐ろしい攻撃呪文のようなものであった。

「あ…あ、歩ませるワケにいかなかったら、どうするつもり?!」

 ビシッと決めようとするチャーリーだったが、声に力が入らない。

「私がチャーリーさんの目を醒まさせてあげます!」

 言うや、フレデリックは懐から一冊の本を取り出した。
 かなり分厚い、革表紙の本で、どうやら自作のもののようだ。
 それをやにわにめくり始める。

 ぱらぱらと忙しく頁を繰った後、ある一ページでぴたりと手を止め…そこに書いてある呪文を読み始めた。
 …きっと、呪文を覚えられないのでそこに書いてあるのだろう。

 しかも、読みながらページの上をもう一方の手の人差し指でなぞっている。
 …きっと、ああしなければどこまで読んだのか忘れてしまうのだ。

 等と細かい諸々の事柄を検証している場合ではない。
 フレデリックがぼそぼそと呟き出した呪文を耳にして、チャーリーは顔色を変えた。

「あ、あんた、何考えてんのよ! こんなトコでそんな呪文…ダメだ、ヴァシル、こっち来て!」

 フレデリックが呪文を唱え始めたときから持ち前の勘の良さで不穏なものを感じとっていたヴァシルは、チャーリーの言葉にすぐに彼女の横へ並んだ。

 直後、呪文が完成する。
 フレデリックの身体を中心に、強烈な衝撃波がありとあらゆる方向に飛ぶ。

「う…わあッ!!」

 予想以上の衝撃に、チャーリーとヴァシルはバリアごと手もなく吹っ飛ばされ、後ろにあった階段にそれぞれ骨が折れたんじゃないかと思えるくらいに叩きつけられた。

「お…お前なァ…お前…」

 文句が言葉にならないヴァシル。

「ゆ、油断した…」

 起き上がれないチャーリー。

 フレデリックがパタンと本を閉じる。
 彼の魔法のおかげで洋館の入り口部分は半壊状態、左右の廊下も壁が崩れたガレキで三分の一ほどは埋まり、階段側もなかなかの有り様。

 …そこで、チャーリーはハッと気がついた。

 …あの衝撃は、前後左右の平面方向にだけ飛ぶんじゃなかったような…。

 …て、天井を見たくない…。

 そう思った矢先。
 チャーリーの頭の上に、パラパラと大きめの砂のような物が降って来た。
 跳び起きる間もあらばこそ。

 次の瞬間には、二階の床が魔法の衝撃に耐え切れずにまるごと抜けて…落ちて来た。

「う、ウソだろ〜ッ?!」
「でええ〜ッ!!」

 絶叫。
 チャーリーは咄嗟に自分のまわりをバリアで覆った。
 …ヴァシルのことはきれいサッパリと忘れていた。

 暗転。
 バリア越しに大小様々な大きさのガレキが降り注いで来る感触。
 身を潜めてただ崩壊のときが終わるのを待とうと決めていたチャーリーだったが、ガレキと一緒に二階から落ちて来たある物を見て、思わず飛び出してしまっていた。

 
       
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