番外編2−3

      

 

(3)

 日が落ちてから大分経った。
 酒場が賑わう時間帯である。
 一日の仕事の疲れをとり憂さを晴らすために、独身ものの男達が押しかけて来る。

 それとは別に、冒険者らしき旅装の男女のグループも、いくつかのテーブルに陣取って酒盛りを始めていた。
 向かいの席の人間の話し声は顔を寄せないと聞こえないほどの騒々しい店内の一角。チャーリーとフレデリックは小さな四人がけのテーブルに並んで腰かけていた。
 前の椅子二つには旅の途中らしい男性の二人組が座って声高に話し合っている。
 この二人、席について早々にチャーリーに声をかけてきたのだが、無言でひと睨みされてしまったのでそれから目を合わせないようにしていた。

 チャーリーの前には果実酒が三分の二ほど入ったグラスと、ナッツの盛り合わせの皿が置いてある。
 一方のフレデリックの前には…おれんぢ・じゅーす…。
 酒場に来たら酒を飲めと言いたかった。
 いや、それ以前に。

「それで、チャーリーさんはどうしてこの町にいらっしゃったんですか?」

 人懐っこい笑顔で尋ねて来るが。

「…あのねえ、それ、さっきも言った」

 そんな質問にはもう六回も答えているのである。

「あれ? そうでしたっけ?」

 悪びれた様子もなく言う。
 どうやら、からかってやっているのではなさそうだ。
 しかし、とすると…。

「フレデリック、私の名前は覚えてるんだよね?」
「チャーリーさんですよね」
「…それで、どうして他のコトは覚えらんないワケ…?」

 このフレデリックという男。
 とてつもない鳥頭、筋金入りの健忘症であった。
 三十秒前に聞いた言葉も覚えていない。
 大体、相手が答える頃には、自分が何を質問したのか忘れてしまっている。

 酒場が開く日没時から今まで、結構長い間話していたのだが、そのおよそ二時間にもわたる会話の中でフレデリックが把握したのは、チャーリーの名前と、彼女が魔道士であると言うことだけだった。

 何もチャーリーが話さなかったワケではない。
 彼女はフレデリックに問われるままに、出身地の名前から、今夜会うことになっている友人の名前、ライドに盗賊退治を依頼された話まで逐一語ってやったのだが…ざるで水をすくわせようとしているのも同然。
 チャーリーの目を見てしっかりと話を聞いているのにも関わらず、彼の頭の中にはなんっにも入っていなかった。

 一方、チャーリーがフレデリックから聞き出せたのは、名前と、同じく魔道士をやっているということと、特に目的もなくふらふらと放浪の旅を続けているところなんだという、見りゃあ誰にでも予測がつく程度の情報でしかなかった。
 驚くべきことに、出身地はおろか自らのフルネームでさえも、彼は覚えていなかったのである。
 だもんだから、この町に来る前にはどこで何をしていたのか、これからどこへ行くつもりでこの町へ来たのかというのも当然頭の中にはない。
 友人や知り合いがどっかにいるんじゃないのかという問いにも答えられなかったし…。

 あきらめた。
 それに、コイツの事を根掘り葉掘り聞き出しても仕方がない。
 興味はあったが…その興味も、フレデリックの並外れたトリアタマの前に雲散霧消してしまったのである。

「…まあ、どうでもいいけど、アンタも酒場に来たんだったらせめてエールくらいは飲んだら? 横でジュースなんか飲まれてるとこっちがヤな気分なんだけど…」
「え? 私、そう頼みませんでしたか?」
「それじゃ、今飲んでるのは何なの」
「オレンジジュースです」
「…張り倒すぞ」
「店の人が間違えたんですよねー。でも、今忙しそうでしょ? 取り替えてもらうのも何かと思って」
「アンタが頼んだんでしょッ! オレンジジュース下さいッて!」
「そーでしたっけ?」

 ───ダメだ。

 それにしても、こうなるということは大体予想がついているのに、どうしてそういう会話をしてしまうんだろう…コイツのペースに巻き込まれているような感じがして嫌なことこのうえない。

 そのとき。

 酒場のドアがバタンと開いて、薄汚れたマントで全身を包んだ男が入って来た。
 足首まで届く並外れた長髪。
 鋭く店内を一瞥する青い瞳。
 刃物のように研ぎ澄まされた彼の気配に、何事かと注目する酔客達。
 …カウンターで振り向いていた剣士風の男が呟いた。

「アイツは…」

「ヴァシル! こっちこっち」

 剣士の言葉を遮るようにテーブルで片手を挙げて振るチャーリー。
 その言葉を聞いて、店内が一斉にどよめいた。

「やはり、ヴァシル・レドア…」
「あれがあの有名な?」
「なんかイメージと違うな…」

 そんな囁きが交わされる。
 その中を、ヴァシルはマントを翻してチャーリーのいるテーブルへとやって来た。
 相席の二人が慌てて椅子を空ける。
 ヴァシルはチャーリーの向かいの席に腰を下ろした。

「おい、この店で一番強い酒と焼き鳥五人前! …なんか静かな店だな…」

「アンタが入って来るまではそうでもなかっんだけど」
「…お前がオレの名前を大声で呼ぶからだろうが…」
「まあいいじゃない。それより、何よその暑っ苦しいマントは?」

 全身をすっぽりと覆っている粗末な布切れに視線を合わせる。
 マントから出してテーブルの上に置いた両腕は分厚い布の手袋と長袖の服で隠されている。
 真冬の極寒期でも半袖の服で平気で歩き回っている彼とも思えない格好だ。

「ちょっとな…大ケガしちまって、全身隠さねーと町歩けねぇんだ」
「…どんなケガよ、それ…」
「見るか?」

 ヴァシルは手招きしてチャーリーに顔を寄せさせてから、手袋を手首の下までめくって見せる。

「………」

 無言で身を引くチャーリー。

「な?」

 手袋を直しながら言うヴァシル。

「…それで、平気で歩き回れるってのはスゴイね…」
「オレも無茶したとは思ってる」

 従業員のお姉さんが焼き鳥を山盛りにした大皿と酒瓶を持ってやって来た。
 店内にはそろそろ話し声が戻って来ている。

「ビンのまま飲むからいらねーよ」

 瓶の上に被せてあったガラスコップを手にとって、お姉さんに返す。

「え? あ…あの、ビンのままで…?」

 ビックリした顔になるおねーさん。
 今までそーいうことを言ったお客さんは一人としていなかった。
 それ以前に、この瓶を一人であけたお客さんもいなかった。
 だから、驚いてしまうのである。

「そ、ビンのままで」
「おねーさん、果実酒のおかわり持って来て。そんで、このヒトにエールと」
「は、はい。わかりました」

「…そー言や、コイツは何なんだ?」

 チャーリーの横にニコニコと座っているフレデリックの方を見る。

「ああ。フレデリックッていう名前で、どうしようもない健忘症の変なヤツ…何か言っても聞いた端から忘れて行くっていうザルみたいな脳ミソの持ち主だから気にしなくていいよ」

「…? まあ気にはせんが…そんで、どれくらい貯まった?」

 焼き鳥をパクつきながら問う。

「ノルマまであと一息ってトコかな…昼に引き受けた仕事と、あともう一つくらいやれば届くよ。そっちは?」
「それがなー…この怪我の治療代でかなり飛んじまって…あと三つか四つはやらんと間に合わんだろーな」
「…そんなに仕事見つかる?」
「だから、もっと大きな町の方へ出ようと思ってる」

 お姉さんがチャーリーの注文した物を運んで来た。
 本当に酒をラッパ飲みしているヴァシルに目を丸くしつつ、グラスを置く。

「でも、もうあんまり時間ないんだよ?」
「わかってるって、あと一月半だろ…どうしてもってなったら今まで貯金してた分から出すから心配ねえよ」

「だったらいいけど…それにしたって、厄介なものプレゼントにしようって思いついちゃったもんだね…」
「そーだな。それを途中で変えようとしないところがまた、オレ達ってスゴイよな…」

「あの、チャーリーさん」

 フレデリックが不意に会話に入って来る。

「なに?」
「このエール、誰が注文したんですか?」
「…私達の話が終わるまで黙ってて…」

 じとっと睨みつける。

「あーあ、普通の剣だったらこんなに苦労しなくても済んだのになァ」
「そもそも、他の物にしてたらもっとラクだったんだって」
「でもしゃーねぇか、予約も入れちまったし」
「そう。もう稼ぐしかないの」

 一カ月半後は、二人の共通の親友であるトーザ・ノヴァという剣士の誕生日なのだ。
 そこで、内緒で何かビッグなプレゼントを用意して当日ビックリさせてやろうという、ありきたりなアイデアを思いついたチャーリーとヴァシル。
 何がいいかと相談しているうちに、ふっと、最近トーザが愛用のカタナ、千早丸の鞘が古くなってしまったことを嘆いていたのに思い当たった。

 千早丸はトーザの父親の形見であり、一族の宝でもある特殊なカタナ(片刃剣)であったが、鞘は別に先祖代々伝わっているわけでもなく、特に価値があるということでもない普通のものだった。

 …そこで二人は考えた。
 誕生日プレゼントに、千早丸の鞘を贈ることにしよう。
 トーザが愚痴をこぼす気持ちがよ〜くわかるぐらいにみすぼらしくなった今のものの代わりに、ひとつ見栄えもつくりも立派な一流の品を使ってもらおうじゃないか。
 贈り物と言われればどんな物でも感謝感激して受け取るトーザだったが、これならなお一層喜ぶに違いない。

 そうとなったら、と早速腕のいいことで有名な武器屋に出向いて細かなことまで打ち合わせた結果、カタナの鞘のオーダーメイドには何やかやの理由で法外なまでの料金がかかるということが判明した。
 さてはボるつもりかと食ってかかろうとした二人だったが、現在ではカタナそのものが珍しくなっているので、刃や鞘を作る技術が失われており、製作が非常に難しいため、そんな値段になるのだと言う。
 真っ青になって震える声で説明する職人さんの姿に、これはどうやら嘘を言っているのではないようだということと、これ以上詰め寄ると単なる弱い者イジメの脅迫になってしまうということに気づいて、とりあえず気持ちを落ち着け、顔を見合わせる。

 …都合するのが絶対不可能、というほどの額でも、ない。
 値段を聞いてからやめにしたんじゃ何となくカッコが悪いし…それより何より、他ならぬ親友の為。
 ここは多少無理をしてでもそれだけ用意して、トーザに喜んでもらうことにしよう。

 というワケで、チャーリーとヴァシルはそれぞれ別々にオーダーメイド鞘の料金を稼ぎ出すために旅に出たのだった。

 …ただ、自分の誕生日二カ月半前に親友二人が揃って何の前触れもなく失踪してしまったということについて、残されたトーザがどう思うかまでは気の回らない二人であるが。

「…ところで、昼に引き受けた仕事って?」

 ヴァシルが不意に話を変えた。
 皿の上の焼き鳥はあと一人前分くらいしか残っていない。
 喋りながらもよく食べる。

「うん、盗賊退治なんだけど、孤児院の院長さんが…」

 そこまで言ったとき、またしても酒場のドアがバタンと開いた。
 今度はさっきよりもかなり慌ただしく…そして、転がり込むようにして入って来たのは…ライドだった。

「ライドさん!?」

 チャーリー、思わず声をあげる。
 ヴァシルはドアの方を振り向いた。
 ライドは声に彼女の姿をすぐに見つけて、慌てふためいたようにチャーリー達のテーブルまで走り寄って来た。

「たッ…た、た、大変です、チャーリー様」
「どうしたんです、落ち着いて…さあ、これでも飲んで」

 急いで走って来たらしくぜいぜいと息を切らしているライドに、チャーリーはフレデリックの前に置いてあったジュースのグラスを差し出した。
 ライドは頭を下げて受け取ると、一気に飲み干した。
 フレデリックは黙ってそれを見ている。
 …そのジュースが自分のものなのだということをもう忘れてしまっているに違いない。

「…どうもスイマセン…それより、大変なんです!」
「見りゃわかりますよ。何があったんです」
「と、盗賊に、子供がさらわれて…」
「子供が!?」
「助けたければ身代金を寄越せと、とんでもない額を言って来て…今夜中に払えなければ、子供を殺すと」
「何で、自分達が盗みに入って金なんてもうないってわかってる所に、どうしてそういう事を…」
「それが…チャーリー・ファインなんかに助けを求めた罰だと…」

「…あに?」

 チャーリーの表情がピタッと凍りつく。

「大人しくしていればそれ以上何もしないでやったものを、貧乏孤児院の院長風情がチャーリーを味方につけたのは許せんと言って…」

「…な〜るほど。それはつまり、私にケンカを売って来てるってワケか…」

「…え」

 チャーリーはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
 ライドが飛び込んで来たときから何事かとお喋りを中断して注目していた客達が息を呑む。
 …チャーリーの目が、すわってしまっている…。

「よくぞ私の所へ報告に来て下さいました、ライドさん。明日と言わずたった今から盗賊をブッ飛ばしに行って来ますよ。…あんな人の多い所であの話をさせた私にも責任がありますし…それに、私はね、罪のない子供に手を出す奴と私のことをナメた発言をする奴は叩きのめしてやらないと気が済まないタチなんですよ」

「…はあ…」
「叩きのめすのはいいけど、さらわれた子供のことは忘れんなよ」

 ヴァシルはついにこの店で一番強いという酒を一瓶飲み干した。

「それは大丈夫…多分」
「あ、あの…」
「というのは冗談ですよ。大丈夫、大丈夫。極悪非道の所業をなす下劣な輩はこの私ッ、世界一の大魔道士チャーリー・ファインが跡形残さず粉砕してくれようぞッ!」

 テーブルの上に片足乗せ、人差し指で四十五度上の前方を無意味にビシッと指さして、やたら元気に言い放つと。

「おおッ、素晴らしい! 皆さん、拍手です、拍手ッ!」

 ぱちぱちぱちぱち…横からすかさず合いの手を入れるフレデリック。
 彼につられて、わーッ、と盛り上がる店内。
 やんややんやの大喝采に適当に頭を下げて応じるチャーリー。

「…アンタまでどーして手ェ叩いてんだよ」

 焼き鳥の最後の一串を手に持って、呆れて呟くヴァシル。

「はッ…つ、つい」

 慌てて手を止めるライド。
 チャーリーは飛行魔法を使ってくるりと空中で一回転、ひと跳びに店の入り口の前へ降り立つと、

「フレデリック、ここの払いは頼んだよ! それでは皆さん、正義の為に戦って参ります!」

 いいぞーッ、行けーッ、という酔っ払い達の声援を背中に受け、颯爽と表へ出て行くチャーリー。

 …ちょっと酔っている。

 ヴァシルは少しの間だけドアの方を見ていたが、やがてフレデリックの方に向き直ると、手を伸ばしてぽんと肩を叩いて、

「そーゆーコトだ。フレデリック、オレの払いの方も頼んだぜ」
「あれ? あなたの分も私が出すんですか?」
「お前、今さら何言ってんだよ。さっきお前がそう言ったんじゃねーか」
「いやあ、そうでしたか。つい忘れてました」
「おいおい、しっかりしろよ。それじゃ、お前のオゴリッてことでもう一杯いくか、なァ?」
「そうですね、お近づきになった記念に…ところで、チャーリーさんは何をしに出て行かれたんですか?」

 
       
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