(2)
食堂を出て宿に一旦戻ることにした。
そろそろ夕暮れてきている。
昼食をとるには少し遅すぎるだろうかという時間に店に入ったので有り得ないことではないが、それにしてもかなり長くかかってしまった。
間にライドとの話が入ったことを差し引いて考えても、ビックリするくらいに時が流れている。
時間を吸い取る妖怪が現れたとしか思えない。
「…ちょっと寝とこうかなァ…」
呟きながら歩き出す。
家路を急ぐ人々で道は割合に込み合っていた。
忙しなく行き交う人達の合間を縫って、宿へ向かう。
と。
不意に後方から、妙にのどかな声が聞こえて来た。
「やあ、なんてきれいな人なんでしょう」
そのあまりに間延びした声にがくっとなりかけながらも、よくもまああんな台詞をあんな大声で言えるもんだ、と振り返ることもしないで考えるチャーリー。
「私、あなたみたいなすてきな人は初めて見ました」
…ナンパというよりは新興宗教の勧誘のような口調だ。
あんなのに絡まれてるヒトはかわいそーだなァ。
他の声が全然聞こえて来ないトコからすると、声をかけられてるのは見るからに内気そーな女の子で、何にも言えなくなって真っ赤になっちゃってるんだろうな。
「もしよろしければ、一緒にお茶でもいかがですか」
こんな…夕方の一日で一番慌ただしい時間帯にお茶でもいかがってのはないだろう。
なんて非常識でピントのずれたヤツなんだろう。
一度顔を見てみたいような気もするが、こっちに絡みつかれたりしたら厄介だ。
ここは前を向いて歩き続けるコトにしよう。
すたすたと歩きながら心の中で呟いていたら、いきなり後ろから肩を掴まれて、ぐるんと振り向かせられた。
「あなたのことですよ、お嬢さん!」
人差し指を鼻先に突きつけられる。
「………」
目は点、頭の中は真っ白になって、ア然と目の前に立った男を見上げる。
…年の頃なら二十二、三、ひょろりと細長い印象を与えるその青年、身長はチャーリーより頭一つ分くらい高い。
黒い髪の毛とマント、赤い石の飾りがついたヘッドギアに上半身だけの革の鎧−つまりショルダーアーマー−を身に着けている。
…その下にマントと同色のローブを着ているところを見ると、チャーリーと同じ魔道士のようだが…。
「あれ? どーかしました?」
彼はニコニコ笑顔でチャーリーを見下ろしている。
「…あの、さっきからアンタが声かけてたのは、ひょっとしたらひょっとして、私…?」
「そーですよ。他に誰がいるってゆーんです」
にこにこ。
「…とゆーコトは、アンタはこの私に向かって、辺りをはばからぬでっかい声であーゆーセリフを…」
「いやあ。私の正直な気持ちですから」
明るく言い放つ。
チャーリーは目の前で愛想よく笑っている青年をじっと見上げていたが…何だか突然無性に腹が立ってきた。
やにわに右手を振り上げると、すぱあん!
と威勢よく彼の横っ面を予告もなしに張り飛ばす!
「私はね、アンタみたいなカルい男がいっちゃん嫌いなの。二度と声かけてくんじゃないよ!」
キッパリと言って、くるりと背を向け、歩き出す。
…その横を平気なカオで並んでついて来る青年。
チャーリーは視線を前方に据えたまま、低い小声で、
「アンタ、なんでついて来てるワケ…?」
「お嬢さんのお名前は何て言うんですか?」
「…そーじゃなくてさ」
「私、フレデリックッて言います」
「それはどうでもいいから」
「甘いモノはお好きですか?」
「………」
チャーリーは物も言わずに垂直に飛び上がった。
飛行の魔法を使って、とにかく人込みの中から抜け出すことにしたのだ。
こんな男を従えてなんてとても歩き続けてられない。
当然のように、フレデリックも後を追って上昇して来る。
中程度以上の実力を持つ魔道士にとっては空を飛ぶことは泳ぐよりも簡単なコト。
見るからに魔道士といった感じの格好をしているフレデリックが追って来るだろうという予想はついていたが…ただただ、人の目を気にしただけなのである。
こんな頭の軽そうな男にのどかなことこのうえない間の抜けた声で言い寄られている図というのは、ちょっとどころじゃなく体裁が悪い。
「どうかしたんですか? いきなり飛んだりして」
相も変わらず笑顔を崩さないフレデリック。
頬にはチャーリーに引っぱたかれたあとがくっきりと赤く残っているというのに、平手打ちされたことなどまったく気にしている様子がない。
「…私、チャーリー・ファインッて言うんだけど」
腕組みして名乗る。
「やあ、チャーリーさんって言うんですか。すごくいい名前ですね」
にこにこにこ…。
チャーリーは少しだけ頭痛を覚えた。
「アンタ、魔道士なんでしょ?!」
「ええ、見ての通り」
「だったら、私の名前、聞いたことぐらいはあるんじゃないの?!」
「いいえ、一度も。そんな素敵な名前、一度でも聞いたことがあったら忘れませんよ」
「………」
どうやら本当に知らないようだ。
…知らないものは仕方がない。
広い世界にはそういう奴もたまにはいるだろう。
「まァいいわ。…とにかく、今すぐ私の目の前から消えて。私はアンタとお茶する気も甘いモノ食べる気もないッ!
さっさといなくならないと、魔法で吹っ飛ばすよ!」
「ヤだなァ、なんでそんなに怒ってるんですか?
こわい顔してると、せっかくのべっぴんさんが台無しですよ」
フレデリックはまったく動じる気配もない。
チャーリーははっきりと声に出して呪文の詠唱を始めた。
魔道士なら相手が唱えている呪文を聞けば魔法の威力が分かる。
分かったならば逃げるハズ。
チャーリーが使おうとしているのは、小さな村一つぐらいなら軽く消し飛ばせるくらいの威力を持った雷撃魔法。
魔法でバリアを張って防御しようとしても、トップクラスの魔力を持つ高位の魔道士ででもない限り、バリアごと吹っ飛ばされてしまう、それくらい強力な魔法だ。
呪文を聞きながら、フレデリックは平然とチャーリーの目の前に浮かんでいる。
…コイツ、何考えてるんだ…?
呪文が完成する。
同時に突き出したチャーリーの拳から、束になってほとばしる、青白いスパークをまとった電流。
一直線にフレデリックに襲いかかり───直後。
雷撃魔法はフレデリックの前で目に見えない壁に弾かれ、四散した。
「!?」
目を丸くするチャーリー。
…あの魔法を…しかも、私の呪文で発動した奴を、この至近距離で弾き飛ばした…!?
彼女のそんな動揺をよそに、フレデリックはしつこいくらいの笑顔でさっきとまったく同じ場所にいた。
「すごい魔法を使うんですねー」
のんびりとした、声。
チャーリーはいきなりの脱力感にとらわれた。
具体的に言うと、このフレデリックから逃げ回ったり、無理に追い払ったりしようとすることが急にどうしようもなく面倒くさくなってきてしまったのである。
…害があるワケでなし、いるならいるで、まあいいか…。
そんな心境。
「…で、お茶でも一緒にいかがですか?」
天下無敵のにこにこ笑顔。
これにはちょっとかなわない。
外見とは裏腹のその実力に何か得体の知れないものも感じるし…彼自身に対する興味もわいてきた。
「…いいよ。けど、甘いモノはいらないかんね」
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