(7)

「わッ、消えちゃった?!」

 思わず、といった感じでジル・ユースが驚きの声をあげる。

「すげえな、ここって一体どうなってるんだ?」

 ラルファグ・レキサスも好奇心を隠すことなく、オーサレル・リードアートが持つ薄い本に興味深げな視線を向けてくる。

 ティリア・シャウディンやジェン・ユースも、言葉には出さないまでも、その本に手を触れた瞬間コランド・ミシイズがこの狭い部屋から消えて何処かへ行ってしまったその仕組みを説明してもらいたがっている表情で、オーサレルに注目していた。

 黒眼鏡のギルド・マスターはちょっとだけ得意気な笑みを口もとに浮かべると、そちらに向き直り自らが管理する『罠の洞窟』について一同に解説するべく、気取った咳払いなどしてみせる。

 そういったことには一切関心がないと言いたげな様子のアシェス・リチカートとカディス・カーディナルの姿が視界に入って少し言葉に詰まるが、気にしないことにした。
 邪竜人間族だって、善竜人間族の自分に気にかけてほしいだなんて思わないだろうから。

 気を取り直して。

「ここはッスね、この洞窟全体の、空間のひろがりとつながりを司ってる部屋なんスよ」

 話し始める。

「空間のひろがりと…つながり?」

 簡潔に過ぎる表現にティリアが首を傾げている。

「そう、ひとつの部屋や廊下がどれだけの広さを持っているのか、とか、どの部屋の隣にどの部屋があって、どのドアがどこに繋がってるのか、とか。そういう空間の情報をここで制御してるんス」

「…よくわからん」

 ラルファグが率直極まりないコメントを述べた。
 すんなり理解してもらえるとは最初から思っていなかったが、何一つ伝わっていない様子にはちょっと途方に暮れてしまう。

「え〜と、つまりッスね〜…」

 そう言えば以前、お前の説明はさっぱりわからんとセンパイにも指摘されたことあったっけなァと何となく思い出した。
 本人はわかりやすくかつ丁寧に話しているつもりなのだが…オーサレル自身が設置したトラップの除去作業を他の人間に依頼するとき、罠の解除方法をどれだけ詳細に伝えても犠牲者が出てしまう事実を考え合わせると、やっぱりちょっとは説明下手、なの、かも。
 しれない。

 そんなことを考えながらも、左手を上げて四方の壁を取り巻く背の高い書棚達をぐるりと示す。

「この部屋にある本棚、それからこの本棚におさまってる本の一冊一冊が、『罠の洞窟』がどれくらい広いかとか、どんな構造になってるのか、ってのを表してるんスよ」

「………えっと…つまり、それって」

 ジル・ユースが慎重に言葉を選びながら、発言する。

「それって…たとえば、そこにある本を並べ替えたり、入れ替えたりしたら、洞窟のカタチが変わっちゃうとか、つまりそういうカンジの…?」

「そう、それッス! ものスゴく大雑把に言うとそういうコトなんスよ!」

 ジルの言葉に大声で同意しついでに大きくうなずくオーサレル。

「あっ、そっか…」

 一方で小さく声を上げたのはティリア・シャウディン。
 ほんの少しショックを受けたようにうつむいた。
 ティリアはコランドと二人でジル達よりも先にこの部屋にやって来て、オーサレルが本を引っ張り出して入れ替えて制御室を広くしたのを実際に目にしていた。
 にも関わらず、その行為とオーサレルの説明を関連づけて考えられなかったのが悔しいのだろう。
 彼女の表情の変化をそんな風に分析しつつもその変化には気づかぬふりで、オーサレルは台詞を続ける。

「もっとも、この仕掛け自体がかなり前につくられたモノなんで、正直なハナシがよくわかってない部分が多いんスよね。なンか、今では失われてるっぽい魔法の技術がどうとかで…」

「誰が作ったんだ? やっぱり有名な魔道士なのか?」

 ラルファグの問いに、オーサレルは肩をかるくすくめて応じる。

「じゃないかなァってハナシらしいんスけど。わかってないんスよ」
「わかってない? …こんだけの洞窟をつくった奴が誰なのかわかってないのか?」

 さすがに呆れたカオを向けて来る狼人間族に、オーサレルは短くうなずいて答える。

「誰が、いつ、何のためにこの場所をつくったのか、ひろがりとつながりを自由に操作出来るこの仕掛けはどのように動作しているのか…その辺のコトって一切わからないんスよ、今のところ」

「盗賊ギルドがシーフ達の腕試しのためにつくったんじゃないの?」

 ジルが会話に混ざる。
 オーサレルはその台詞にも肩をすくめる。

「違うみたいッスよ。世間的にはそんな役割の洞窟って見方をされてるんスけど。うちのギルドがこの洞窟を使い始めたのだってだいぶ昔のハナシなんで、そこんトコの経緯も今や曖昧になっちゃってる部分が多くて、そもそも───」

「あれッ? それじゃ、地図なんて意味ないんじゃないの?」

 ティリアが不意に大声をあげてオーサレルの話を遮った。
 それから、ギルド・マスターの説明を中断させた非礼に気づき慌てて口を閉じる。

「ああ、この洞窟の地図ッスか? いや、アレは有効なんスよ。ええっと、洞窟の基本的な構造そのものを激変させるような操作は通常やらないんス。と言うか、やれないんスよ、下手に大きくいじると、何がなんだかわかんなくなる可能性が高いッスから。さっきも言ったように、『罠の洞窟』の仕掛けについて全部が解明されてない以上、ボクでもあんまり動かせないんスよ、どうなるやらおっかなくて。普段利用してるつながりってのは、さっきやったみたいにある場所に立っている人間をこちらに移動させるとか、まあその程度で。そうそう、さっきセンパイに訊かれた、ここから皆さんを一瞬で外に送り出すってのも、あくまでその延長で…」

 そこまで言って、オーサレルはふっと言葉を切った。
 手にしたままの薄い本に視線を落とす。
 黒眼鏡のレンズ越し、薄墨色の世界の中で、本の表紙が鈍く明滅するのが見えた。
 どうやら、コランドの用事は済んだらしい。

「ま、それはそうと。センパイ、うまく回収出来たみたいッスよ」

 それだけ言うと、皆の反応を待たず、オーサレルはその本を裏表紙を上に向けて持ち直した。
 この部屋から消えたときと同様、まったく唐突に、本を挟んだ真正面の空間にコランド・ミシイズが姿を現した。

 卓越した罠の技術により盗賊ギルドにおいて確固とした地位を築くことに成功した善竜人間族のギルドマスターの自慢のトラップを、ことごとく看破しそして突破した数少ない盗賊(シーフ)の一人。
 オーサレル・リードアートが敬愛してやまない『センパイ』であるところのコランド・ミシイズは…何故かその頭の上にやたらとエラそうな雰囲気の黒い子猫を座らせて、左頬にはおそらくその子猫の爪にやられたと思しき赤い筋を数本走らせて、何故だかやたらと情けない表情でオーサレルの前に立っていた。

「………ただいま〜………」

「なっ、何がどうなっちゃってるんスか、センパイ…!?」

 ツッコミどころ満載のその姿に、かえってどこからツッコんで良いのやらわからなくなり、すっかりうろたえてしまうオーサレルであった。

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