(8)

「いやいや、何がどうとゆーか、別にコレと言って大したコトはあらへんのやけど…」
『コイツがあんまり情けないから悪いのニャ』

 頬についた真新しい傷を痛そうに指先で触れながら、いつものしまりのない声で弁解がましい説明を始めかけたコランドをきっぱりと遮ったのは、彼の頭の上にいる漆黒の子猫だった。

 オーサレルはその声を聞いた驚きのあまり無遠慮な視線を真正面から猫にぶつけてしまい、黄金色の瞳にちょっと睨みつけられて慌てて顔を背ける。
 ものを喋る猫など生まれて初めて見た。

 それにしても、コランドは地下の小部屋へ宝石を−猫目石の指輪を取りに行ったハズなのに、何故こんな子猫を連れて戻って来たのか…?
 この部屋にいる誰もがそのことを当然疑問に感じていると、思っていたのに。

「かッ…かわいいィ!!」

 突如あがった黄色い声、そちらに向き直る間もない。
 コランドの頭の上にいる子猫を両手で抱き上げたのは、オーサレルとは同族の剣士。
 ジェン・ユース。

『ニャッ!?』

「きゃあ、ちいさ〜い! 毛並がすべすべ!! とっても軽いわ〜!!」

 いきなりの振る舞いに混乱する子猫をジェンはしっかと胸にかき抱き、つやつやとした黒い毛皮に頬擦りなどしている。
 猫好きらしい。

 しかしながらこの場合、その黒猫がタダのネコでないコトは明らかなのだから、そう言った子どもじみた対応の仕方はいかがなものかと思われる、の、だが。

「きゃー、手がちいさーい!! 肉球!! にくきゅう〜!!」

 聞いている分にはまったく同じ声による発言だが、こちらはジェンの双子の妹であるジル・ユースのものだ。
 ジルはジェンが抱いた黒猫の前脚をとってそのちいさな肉球を指先でかるく押し、子猫の爪を出したり引っ込めたりして遊び始めた。
 猫好きらしい。

「あ、あの、ジェンはん、ジルはん? そ、その猫はタダの猫やのうて…」

 さしものコランド・ミシイズもこの展開にはついていけなかったようで、善竜人間族の姉妹の手でもみくちゃにされている黒猫を咄嗟に奪取することもかなわず、一気に盛り上がる双子の前でおろおろとしている。

「コランドさん、このコ、お名前何て言うんですかッ?」

 そんなコランドに、目を輝かせてジェンが詰め寄る。

「な、名前? いや、それはワイもまだ…」

『ニャー! いー加減にするニャッ!! 吾輩をすりつぶす気ニャ?!』

 さりげなくスプラッタな表現を用いて黒猫が抗議の叫びをあげた。
 その大声に驚いた双子姉妹の隙を突いて、二人の手から飛び出す。
 コランドの頭の上にすたんと着地する。
 頭上の子猫を落とさないようにバランスをとるのに苦慮するコランドにはまるで構わず、黒猫は金色の瞳を光らせて、誇り高く名乗りをあげる。

『吾輩は猫目石の精霊、<探索者の黒(シーカーズ・ブラック)>なのニャ! おマエ達、宝石の精霊に対するソンケーとかイフの気持ちがなさ過ぎニャー!!』

 背中の毛を逆立てて、立てたシッポを目一杯膨らませて、威嚇するように言い放つ。

 黒猫の下ではコランドが涙をこらえていた。
 頭皮にツメを立てられてでもいるのだろう。

「シーカーズ・ブラック…」

 オーサレルが反復すると、猫目石の精霊は満足げにうなずいた。

「…というコトは…愛称は、しーちゃん、で決まりかしら?」
「ううん、ココはオーソドックスにクロちゃんと言うのも捨て難いと思う。ブラックだし」

 猫好き双子の反応に黒猫がコランドの頭からずり落ちそうになった。
 はっきりと名乗られ身分を明かされてなお対応にかけらほども変化がないところは一貫していると褒めるべきなのか、それともただ単に状況が理解出来ていないだけなのか?

「えっと…つまり、コランドがここまで来た目的は、果たせたってコトよね?」

 姉妹以外の全員が呆気にとられて沈黙する中、気丈にもティリア・シャウディンが現状をまとめにかかった。

「せやな、そうなるわ」

 ティリアの台詞にほっとしたように−これで話を先に進められると思ったのだろう−うなずいて、

「宝石はこうして無事手に入ったコトやし、この次にどうしろとかはチャーリーはんもまだ言うてへんかったから、一旦バルデシオン城に戻ろと思っとるんやけど」

 そこまで言ったところで、部屋の隅にいる邪竜人間族二人の不機嫌なカオに気づいた様子。

「まあまあ、もちろん、アシェスはんとカディスはんにはなるべく近寄りたくないトコなんやろなとはわかっとるんでっけど、そこはちょっと我慢してもろうて。ここで一度戻らんと結果として勝手な行動をとるようなコトになろうモンなら、チャーリーはんにナニ言われるか知れたモンやありまへんからな。そう思いますやろ?」

 きっちりとそしてすかさずフォローを入れるコランドを感心して眺めやる一方で、あんな連中放っておけば良いのにと苦々しく思う自分がいる。
 かすかな苛立ちを、オーサレルはうまく黒眼鏡の奥に隠し切った。

 しかし、ジェンとジルの姉妹は…さっきまでのハイテンションとは大違いに黙り込んで、アシェス・リチカートとカディス・カーディナルに気まずそうな視線を控え目に向けている。

 ティリアとラルファグ・レキサスが戸惑ったようにコランドを見つめ、コランドはそれでも常と変わらず人懐こい笑顔を浮かべたまま。

「ワイらよりも先に戻っとる組があるかも知れまへんし、あるいは新しい情報が掴めるかも知れへんしね。いずれにせよバルデシオン城で仕切り直すんが最善やと思いますわ。───シーカーズはんもそれでよろしいですやろ?」

『ニャッ?』

 急に話を振られ、宝石の精霊はコランドの頭の上であからさまに狼狽した。
 が、すぐに威儀を正し、もっともらしい咳払いなどしてから、

『うム。よきにはからえニャ』

 尊大な口調で承諾してみせる。

「ほな、そーゆーカンジで決まりですな。アシェスはん、ジェンはんも、それでええですな?」

 コランドの、問いのかたちをとった確認に。
 ジェン・ユースは遠慮がちに、アシェス・リチカートは無表情に、それぞれ同意を示した。

 善竜人間族(バハムート)邪竜人間族(ドラッケン)、二つの種族の間にある感情は単純であるが故に複雑で、そしてひどく扱いづらいものだ。
 人間族(ヒューマン)狼人間族(ウェアウルフ)には理解し難いものだし、真実の意味で理解するのは不可能な問題でもある。

「…ったく、竜人間族はめんどくせェなァ…」

 微妙な空気が満ちたその部屋の中に、聞こえよがしな呟きが落ちた。

 オーサレルははッとその台詞の主に−ラルファグに−険しい目を向け、無礼に過ぎるその発言を咎めようと発しかけた…声は、けれど、狼人間族の剣士の悲しげな様子に押し止められて、胸の奥に戻った。

 尻尾を垂れ、耳を伏せて、ラルファグ・レキサスはひどい落胆を隠そうともせず、その場の誰からも視線を外して書棚の方を睨んでいた。

 狼人間族は人間よりも狼に近いその容姿のために他種族と比べると表情がわかりにくい種族なのだが、なのにラルファグの悲しみ…あるいは失望といった感情がありありと伝わって来る。

 オーサレルと同じタイミングで顔を上げたジェンも…驚いたことにアシェスまでもが、ラルファグ・レキサスに対して何も言えずにいた。

 痛いほどの静寂の中、ラルファグのそばに立っていたティリアが、彼女自身も何とも言えない表情のままラルファグの袖を少し引っ張る。
 狼人間族の剣士は大きく頭を振ると、ため息混じりにまた呟いた。

「こればっかりは、どうにもしようがねェんだろうけどなァ…」

「───バルデシオン城への帰りはフェデリニからここまで来たときみたいにジェンはんとジルはんに乗せてってもらうコトになりますけど、またお願い出来まっか?」

 今しがたのラルファグ・レキサスの発言も、それによってもたらされた重苦しい空気も、両方とも最初から存在しなかったものであると言い切るような朗らかな口調で、コランド・ミシイズが双子姉妹に向き直る。

「えッ? え…ええ、もちろんよ。あたし達はアンタ達に協力するようにって、陛下から言われて来たんだもん」

 答えたのは、ジル・ユース。
 ジェン・ユースも隣でこくこくと首を縦に振っている。

「せやったら、今夜はここで休んで、明日の朝イチで移動する、ゆーコトで。あっちこっち走り回ったり追い駆け回されたりで、皆もくたびれてるやろうし、ワイも今日はちょっとお疲れですわ」

 コランドの笑顔はいつだって愛想良くともすればだらしないものであるが、自らの言葉を聞く者に受け容れさせる不思議な説得力を秘めてもいた。

 誰からも異論は出ず、オーサレルはこの人数が床で横になれるスペースを確保するために、再び書棚の操作にとりかかる。

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