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 『罠の洞窟』の最下層にはこのような小部屋が無数に存在している。

 盗賊達は全部でいくつあるのか誰にもわからないような−おそらく、ギルド・マスターでさえ正確な数字は把握出来ていないのではないかと思われる…何せ、小部屋の個数は『盗賊の洞窟』が出来てから、すなわちシーフ・ギルドがつくられてからここに出入りした盗賊の数と同じか、ことによるとそれ以上になるのではないかと言われている−膨大な数の小部屋の中から、まだ誰も使用していない自分のためだけの一室を見つけ出して、そこに自分自身にとって最も思い入れの深い『戦利品』を運び込み安置する。

 それを最初に始めたのは誰だったのか、その行為に本当のところどのような意味があったのか、詳しいことは誰にも何もわからないまま、何故かそうすることだけが長い年月シーフ達に受け継がれ、いつの頃からかそうして自分にとって特別なお宝を『罠の洞窟』の最下層に置いておけば仕事でドジを踏みにくくなるとかもし何か失敗するようなことがあっても捕まったり怪我をしたりしにくくなるという噂がどこからか広まって、今となっては盗賊達のほとんどが自分だけの小部屋を持つようになり、結果として『罠の洞窟』の最下層には莫大な量の財宝が貯め込まれることとなった。

 小部屋にしまわれている他人の宝に手をつけた者は裏切り者とみなしシーフ・ギルドが総力を挙げて相応の処罰を下す、という規則に守られているその一画は、およそ考え得る限りこの世界で最も安心かつ確実な保管場所であるため、盗賊達はこぞって高価な品物を持ち込んでいたが、コランド・ミシイズが『罠の洞窟』の最下層に置いて来た品物は二つだけ。
 個人的な資産は複数の隠し場所に分散させて別にきっちりと貯めてある。

 確かに『罠の洞窟』の小部屋群は同業者に狙われる心配がまずないという点では優れた金庫であったが、万が一自分が不慮の事故その他の出来事で命を落とすようなころがあればその金庫の中身はそっくりシーフ・ギルドの所有物となる仕組みになっているのだ。
 盗賊稼業を本格的に始めてまだ日が浅いコランドとしては、コツコツ地道に(?)蓄えて来た戦利品をまるごとギルドに没収されるのは自身の死後であれ面白くない。
 ので、小部屋に置くのは最低限の品物に厳選しておいた。
 思い入れはあるが手元になくても支障がなくて、あまり必要になるとも思えないものに。

 駆け出しの盗賊だったコランドがレセッシーのとある大金持ちの屋敷から盗み出したのは、石の中心に白い光の線がくっきりと一本走っている蜂蜜色の宝石のついた小さな指輪。

 モノを手に入れて引き上げるとき、ほんの気まぐれで指にはめてみたら何故だかいつもよりカンが冴え渡り身のこなしも軽くなり、格段に調子が良くなったのがはっきりとわかった。
 その後数回指輪をはめて仕事をしたが、いずれの場合もはめていない状態とは比べるまでもなく頭の回転が早くなり身体が軽く感じられる。
 あわやの危機も不思議とうまく切り抜けられる。

 並の盗賊なら自分の仕事を手助けしてくれる魔法のアイテムを手に入れたことを素直に喜び、絶えず身に着け愛用したところだろうが、コランドはこれではつまらないと考えた。

 指輪の力で全てがうまくいっているように思えてしまっては達成感も充実感も何もない。
 便利な物には違いないが盗賊としての腕をあちこちで試したいと思っている自分にとっては不要なものだ。
 不要なものだけれど、便利な物には違いないから、いつかどこかで役に立つときが来るかもしれないから、手放したくはない。

 というわけで、とりあえず、という感じでここに置きに来て以来、バルデシオン城でラルファグ・レキサスから「ネコの宝石」という単語を聞かされるまでその存在をすっかり忘れ去っていた猫目石は、今コランドの足元にあるひと抱えほどの大きさの宝箱の中で眠っている。

 小さな指輪ともう一つの品物をしまうのにその箱は不釣合いなほど大きかった。
 使えそうな箱がたまたまそれしかなかったから…ではなく、箱の大きさはコランドがそこに仕込んだ防犯用のトラップによるものだ。
 彼だけが知っている決められた手順を踏まずにその箱の中身を誰かが取り出そうとするなら、宝箱はその瞬間爆発炎上して、命は奪わないまでも不届き者に重傷を負わせる仕掛けになっている。

 爆発炎上を避けるための手順を頭の中で反復しながら、コランドは宝箱の前に片膝をついて屈み込んだ。

 一見何の変哲もないその箱を無言でじっと見つめたまま、ベルトのいくつか提げてある小袋のうちの一つに片手を滑り込ませて、ちっぽけな金属片を取り出す。
 拳の中に握り込んですっぽり隠してしまえそうなぐらい小さな長方形のプレート。
 ちょっと見た限りでは無数の引っかき傷にしか見えないような無秩序な模様が表面の片側にだけ彫り込まれているそれを、指先で保持して鍵穴に軽く重ねる。
 金属片がほのかに発光して一瞬だけ鍵穴に貼りついた。
 微かな光はすぐに消え去り小さな長方形の板はぽろりと鍵穴から剥がれ落ちる。

 落ちたそれを片手で受け止めると素早く腰の袋の中に戻し、金属片をしまったその手で次は細長い針金のようなものを取り出す。
 だらしなく愛想笑いを浮かべている普段の彼からは想像出来ないくらい真剣な表情で、コランド・ミシイズは腰の袋から次々に取り出した複数の道具を駆使して宝箱にかけられた鍵と仕掛けられた罠とを解除した。
 十五ほどの手順を一分弱で間違いなくこなして最後に使用した道具を袋に片付けると、コランドは片膝をついた姿勢から一旦立ち上がって軽く屈伸運動をした。

 作業を開始したときは、解除し終えると同時に一気に開けてしまうつもりでいたのだが…それが何によるものかを特定出来ない違和感をふと覚えたのだ。

 自分が何故そう思うのかはよくわからないが、いきなりこの箱を開けるのは良くないような気がする。
 どのような不測の事態が起きても的確に対処出来るよう十全に気をつけて中身を確かめるべきだ。

 自分の設置したトラップに幾重にも守られていた自分のものをしまってある箱の中に自分を脅かすモノが入っているとは思えなかったが、とりあえず己の勘に従っておく。

 ほとんど習慣となった動作で小部屋を見回し万一の場合の逃走経路を確認する───が、この小部屋に出口はない。
 唯一の出入り口である扉は外側から厳重に施錠されていて、部屋の内側からその鍵を開ける術はない。
 コランドがそのようにしたのだからわざわざ振り向いて見るまでもなくそのことは理解出来ている。
 それでも逃げ道をチェックしてから次の行動を起こそうとしてしまうのは職業病のようなものなのか。

 そんな自分にやや呆れてしまいながら、コランドは改めて宝箱の前に屈み込んだ。
 両手で箱に触れる。
 違和感の正体はまだ掴めない。
 ただ、それが殺気や悪意の類いでないのは、何となくわかった。

 両手でフタを持ち上げる。

 ───箱の中にいたモノと真正面から目が合った。

 黄金色の瞳がまっすぐにコランドを見つめていた。
 コランドがフタを開けた格好のまま固まっていたら黄金の瞳はぱちぱちといやにはっきりとしたまばたきをして見せて、宝箱の中にいたモノはそれから「にゃあ」と鳴いた。

 眼前の光景を処理し切れなかったコランドはとりあえず箱のフタをゆっくりもう一度閉めると、おもむろにその上に腰を下ろして頭を抱えた。

「おっかしいな…ネコなんか箱に入れた覚えあらへんのやけど…」

 突拍子もない展開に苦悩するコランドに自己の存在をアピールするかのように、箱の中からはくぐもった猫の鳴き声が「にゃーにゃーにゃー」と聞こえ続けている。
 うるさいぐらいに。
 見間違いではなかったようだが幻覚や幻聴の可能性はまだ否めない。

「それにネコのユーレイにとりつかれるようなコトした覚えもあらへんし…」

 解除方法を少しでも誤れば即大爆発の過激な罠に守られて長らく閉ざされたままだった箱の中に黒い子猫が一匹。
 コランドに生きた猫を閉じ込めた覚えはないし箱を閉めるときに紛れ込んだとは考えにく過ぎるし、となると残る可能性は…?

 猫の鳴き声がいつの間にかどんどんと内側から箱を叩く音に変わっていることにも気づかず深刻に考え込んでいたコランドだったが。

『いー加減にそこをどくニャ!!』

 宝箱の中からまったく思いがけなく怒鳴られて文字通り飛び上がるくらいビックリした。
 コランドの体重が箱の上から外れた瞬間、内側から勢い良く開かれたフタに弾かれて床に転がってしまいそうになって、慌てて踏み止まる。

『まったく、しょっぱなから失礼な奴だニャア』

 恐る恐る振り向いた先、完全に開き切った箱の中にすっくと立ち上がってコランドを見据えていたのは、黒い髪と黄金色の瞳に黒ずくめの服装をした一人の子供。
 人間族であれば十歳ぐらいに相当する容姿を持った、けれど性別不詳のその子供は、驚きのあまり声をなくして見つめることしか出来なくなっているコランドに可愛らしくも挑戦的な笑顔を向ける。

『無礼に重ねて驚き過ぎニャ。それじゃ第一印象サイアクだけど、まあ我慢してやるニャ。吾輩ココロが広いからニャ。そんじゃま、今後ともヨロシク頼むニャ、宝石の勇者サン』

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