(3)
盗賊としてこれまで様々な場所に忍び込み防犯のための色々な仕掛けをかいくぐってきた経験を持つコランドだったが、たった今目の前で起きた出来事はにわかには信じられないようなものだった。
部屋が広くなるだけなら、ことさら驚くまでもない。
可動式の壁により室内の面積を必要に応じて調節出来る部屋など、いくつも目にしたことがある。
侵入者を左右の壁で押し潰して始末するタイプのトラップにその仕組みは応用されている。
どこに行ってもあるというものではないが絶句する程に珍しくはない。
しかし、この部屋では…部屋が広くなると同時に、四方の壁を埋める書棚もまた、その大きさを変えていた。
部屋の面積に合わせて伸縮する素材で出来た棚であったとも考えられるが、問題は大きくなった書棚のいずれの段にも書物が目一杯詰め込まれたままであることだ。
部屋や本棚の広さや幅は大がかりな仕掛けや材質を工夫することで変えられても、一瞬で書物の冊数を何倍もに増やす方法などないハズだ。
方法がないハズのことが…しかし現実に目の前で起きてしまった。
これにはコランド・ミシイズもただ呆然としてしまう。
「はい、どーもありがとうございました〜。重かったッスよね、スンマセンね」
オーサレル・リードアートが二人のそばに戻って来る。
ただごとではない重量がある黒い本をひょいと自分の両手に取り戻して、五人がまだ通路を移動中なのを確かめてから、コランドとティリアの顔を交互に見た。
「そんじゃ、お客様方をココにお招きしましょうか。あ、ボクが呼びかけてもあちらさんには何がなんだかわかんなくってかえって警戒心を抱かせちゃう結果になると思うんで、声かけるのはセンパイにお任せしてもいいッスよね?」
この部屋と本棚の秘密を尋ねてみたい衝動を一旦抑え込んで、コランドはオーサレルの台詞にうなずいた。
今はとにかく、より緊急度の高い問題から解決していかなくてはならない。
「ああ、もちろんそのつもりや。で、こっからフツーに話しかけたら向こうに声が届くんか?」
「そッスよ。あ、その前に、『道』を開ける必要があるんスけど」
言いながら、オーサレルは黒い表紙の書物のページを一枚だけ、右から左にめくってみせた。
その行為が『「道」を開ける』ということだったらしく、オーサレルは黒眼鏡をかけた顔を上げてコランドの台詞を待っている様子。
ひとつ小さくうなずいて、コランドはオーサレルが持つ分厚い本を身を乗り出してのぞき込む。
☆
カディス・カーディナルはふと立ち止まり天井に目を向けた。
ごく小さく、誰かが咳払いをするような音が頭上から聞こえてきたように感じたためだが、わざわざ見上げるまでもなくそんなところには誰の姿もない。
カディスにつられて足を止めた後続の善竜人間族姉妹が何事かと問いたげな視線を投げかけてくる。
アシェス皇子とラルファグ・レキサスはカディスと同じく何かを−おそらくは同じ物音を−聞きつけたようで、目線だけを動かして周囲を警戒している。
男三人の行動の意味がさっぱりわからないらしいジル・ユースが単刀直入にそれを尋ねようと口を開きかける、よりも早く。
《…って、コレッてどない呼びかけるのが自然なんや…?!》
力一杯聞き覚えのある声が発した間抜けな台詞が突然耳に飛び込んできた。
《センパイ、もーちょっと気の利いたコト喋った方がいいッスよ〜? むしろもうあっちに声聞こえてるッス》
《気の利いた、言うたかて、こういうんで声かけるとき何言うたらええか咄嗟にはわからんやん。キンチョーするわぁ》
《全然緊張してないじゃないスか。めちゃくちゃフツーの口調ッスよ、いま現在も》
《それはやな、一流の盗賊たるもの、ビックリしたり焦ったりしてもそうそう声やカオには出んように日頃から…》
《そんな展開じゃいつまでたってもハナシが前に進まないでしょッ?!》
カディス達まで反射的に耳を塞いでしまいたくなるような剣幕のティリア・シャウディンの声に怒鳴られて、コランド・ミシイズと誰のものかはわからないもう一つの声がぷつりと沈黙した。
一体何が起きているのかさっぱりわからず、カディス達は呆気にとられた顔を何となく見合わせる。
《みんな、大丈夫だった? 見た限りでは平気そうだけど、誰もケガとかしてない?》
一拍置いてティリアが問いかけて来る。
どこから話しかけているのかは今もって判然としないが、どうやら向こうからはこちらの姿が見えているようだ。
「コランドさんに、ティリアさん? よかった、ご無事だったんですね」
ジェン・ユースが天井の一点に目線を固定したまま安堵したように言った。
そこに何か見えるのかと思わず同じ方向に顔を向けてしまうカディス。
もちろんそちらを見つめても変わったものは何も見えない。
なのにジェンはコランドとティリアの二人が実際に目の前に立っているのだとでも言いたげなくらいの、何もかもが解決したような表情を浮かべてしまっている。
つくづく妙な善竜人間族だ。
「何処にいる?」
アシェスが短く尋ねる。
《この『罠の洞窟』の『制御室』なんですわ。ワイらギルドマスターと一緒におるんです》
コランドの声が戻って来て簡潔に答えた。
《ここやったらこの洞窟ん中でも安全は確保されとりますさかい、とりあえずアシェスはんらにもこっちへ来てもらいますわ》
どうやってそこへ行けばいいのかと質す間もなく、五人の足元の床が青白い光を放ち始める。
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