(2)

 コランドの台詞を耳にしても、ティリアには彼が何を言わんとしているのかすぐには理解出来なかった。
 わからないまま、何となく周囲を見回す。
 五歩も歩けば行き止まってしまうような狭苦しいこの部屋、前後左右いずれの方向も棚自体の幅を最初から考えに入れてなかったとしか思えない強引さで書物をぎゅうぎゅうに詰められた本棚で塞がれていて、外の様子をうかがえるような隙間がどこにもないことは一目見れば明らかなはずだが…。

「えッ?」

 自分自身の耳にも届くか届かないかの小さな声を発して、ティリアはほんのちょっとだけ動転した表情を見せてしまいながら、それとなく頭上と足元とを確かめる。

 足の下にあるのは何の変哲もない床。
 頭の上にあるのも、特に変わったところは見られない平凡な天井。
 天井そのものが柔らかな光を発していてものを見るのに不自由のない明るさが部屋を満たしている。

 だから気づかなかった…窓も、扉も、通気口のようなものさえ、この部屋にはないのだということに。
 出口や入り口はおろか、外部に向かって開かれた部分が一つもない、完全に閉じられた空間。

 自分が今いる場所の異常さを知って、急に息苦しさにも似た不安を覚えて、ティリアは思わず一歩───いや、本人の認識では半歩だけ、コランドに身を寄せる。

 そんなティリアの様子にはお構いなしに、オーサレルは外していた黒眼鏡をかけ直すと部屋を横切って書棚の一つに歩み寄り、目線の高さに並べられていた本の一冊を無造作に引き抜いてからこちらに向き直った。

「見られますよ、当然。ここは『制御室』ッスからねえ」

 軽い口調で言いながら手にした書物を開くと、ぺらぺらとページを繰り始める。

「あれ、さっきの二人組はもう出ちゃってるな」

 三分の一ほどめくったところでそう呟いてぱたんと本を閉じて、オーサレルはもう用済みになったらしいその書物を書棚の元の位置にねじ込んだ。

「ええっと、何か結構大勢出入りしてたみたいで、今日は」

 誰にともなく言いながら、オーサレルは別の棚の前に立つ。

「まったく、ボクがちょっと昼寝してる間に一体何が起きたんスかねえ」

 黒眼鏡の青年は書棚の前に屈み込み、最下段に並んだ書物の背表紙を端から端まで指先でなぞる。
 その背中に、コランドがからかうような明るい声を投げた。

「昼寝? ギルドマスター様ともあろうお方が呑気なモンやなァ」
「いやまぁ、ほんの半日ほどッスよ〜」

「「半日…」」

 意図せず同時に呆れた声で反復して、ティリアとコランドは顔を見合わせ、それから揃って肩をすくめる。
 半日も睡眠をとることを普通「昼寝」とは言わないのではないか。
 夜ベッドに入ってきちんと就寝するときでさえ、半日も眠ればそれは寝過ぎだ。

「いやいや、別にいつもいつもそんなに寝てるワケじゃあ…大体、仕事が続くときは四、五日徹夜とかザラにあるんスよ、だからたまにヒマなときぐらいは、思いっきり寝とこうと…」

 弁解のような独り言のような台詞を並べ立てていたオーサレルがふと口を閉じた。
 中指で触れた黒い背表紙の分厚い本をじっと睨みつける。
 何事かとティリア達が覗き込もうとした瞬間、ついさっきまでの軽い彼の様子からは想像も出来ない乱暴さで黒い本を棚から引っこ抜き、何故だかひどく腹立たしそうに立ち上がった。

「どないした?」
「『赤の竜』が入り込んでんスよ」

 コランドの問いに吐き捨てるようにそう応じて、オーサレルは苛立たしげにその本を開きページを素早くめくり始める。
 そうしながら今発した自分の声がティリア達に感じさせたであろう嫌悪や憎しみの感情を恥じるように複雑な表情を浮かべ、それでも視線は本から離さないまま、すっかり元の調子に戻った声で付け足す。

「まあ、そりゃ、ドラッケンにだって盗賊はいますし盗賊ならこの洞窟で腕試ししてくれても全然いいんスけどね。そういうんじゃなくて、もっと…」

 ページを繰る手が止まった。
 何をどうしようと絶対に信じられないものをそこに見い出したように、オーサレルが黒い表紙の本を凝視する。
 ティリアとコランドが立っているところからは、オーサレルが何を目にしているのか、何に驚愕しているのか、見ることが出来ない。

 それでも何とか推測してみようとしたティリアに比べると、コランドのとった行動は段違いに素早くかつ的確だった。
 何のためらいもなくオーサレルの背中に回りこむとその肩越しに本を覗き込んだのだ。
 自分も当然そうするべきだった。
 ティリアも慌ててオーサレルのそばに行く。

「アシェス・リチカート…」

 ティリアが顔を寄せた瞬間、オーサレルが抑えた声でそう呟くのが聞こえた。


 オーサレル・リードアートは『窓』を両手で持っていた。

 一瞬言葉の意味を見失いそうになるような言い回しだが、その表現が一番ぴったり来る。
 黒眼鏡をかけた金髪のギルド・マスターが広げる紙面にあったものは、文字でも図面でもなく。

「どっ、どうなってるの、コレ?!」

 ティリアが実に素直な反応を示している。

 黒い表紙の書物の中には、洞窟の通路を進むアシェス達の姿があった。
 斜め上から見下ろす視点で、ひとかたまりになって移動する仲間達が見える。
 カディス・カーディナルを先頭に、アシェス皇子、ジェン・ユースとジル・ユース、最後尾を歩くのはラルファグ・レキサス。

 全員が揃って無事でいるのを知って、コランドはひとまず安堵の息を漏らした。
 が。

「何で『闇』の竜の皇子がこんなトコロに…さてはこの洞窟に保管されている様々なお宝を狙って? いや、でも皇子とかって人種が物欲のためにわざわざ盗みを働くなんて考えにくいって言うか…」

 本の中を歩く五人を見つめたままオーサレルがぼそぼそと囁き出した。
 不穏なものを感じてギルドマスターの様子をうかがうコランド。
 黒眼鏡のせいでその表情はとても読みにくいのだが…。

「はッ?! そう言やこのコ達バハムートじゃん! 何故ドラッケンの皇子なんかと行動を共にして…───脅されてるッ?! そうか、後ろのウェアウルフもグルなんだな?! 三対二、かよわい女の子達にはどうすることも出来ない危機的状況じゃないか!!」

 …なんだか盛り上がり始めたようだ。

「いや、オーシィ、あのな」

「何てコトだ…! だがしかしッ! このオーサレルがそれを知ったからには、ボクの管理するこの場所で悪事を行うようなことは、断じて…ッ!」

「いやいやいや、ちょっとワイの話を」

「幸い三日前に開発したばかりのとっておきの新罠がこの近くに…よしッ、このチャンスを逃さず悪党どもを一網打尽で決まりだな!」

「一網打尽ダメーーー!!」

「えええッ!? 突然そんな大声でどうしたんッスかセンパイ?!」
「どーしたもこーしたもあるかい、んな物騒なコト言ってんと」
「大丈夫ッス、任せて下さい! 悪者の方の三人だけ見事に撃破してみせますから!」
「撃破すなッ!! あのなぁオーシィ、今ここに見えとる五人ともワイらの仲間なんや」

「へ? センパイの?」
「せや、事情があってな、一緒に動いとるんや」
「『闇』の竜の皇子と? センパイが?」
「とにかくワケを説明したいから、まずはあの五人もここに呼んでくれんか。この部屋は間違いなく安全みたいやし、ワイらはいつ追っ手がかかるかわからん状況で…」
「すると…この五人は、人さらいの悪党とかどわかされた気の毒な少女達ではなくて…」
「…ホンマにそういう風に見えとるんか、お前には…?」

「センパイのお知り合いだったら、立派なお客様じゃないッスか!!」

 オーサレルが一際大きな声を突然張り上げた。
 ティリアがびくりと身を引いている。
 コランドも表には出さなかったけれど少々どころでなくビックリした。

「もう〜ッ、そゆコトはきちんと早め早めに教えといてくれないと、困るッスよ。危うく大事なお客様方を、自慢のトラップでひと思いに亡き者にしちまう五秒前でしたよ?」

「五秒前?!」

「いやいや、だったらもちろん、即座に皆さんをこの部屋に案内するッスよ〜。あ、ちょっと申し訳ないんスけど、ほんの少しの間だけこの本こうして開いて持っててくれます? ああ、重いんでお二人で」

 書物の右半分をコランドが、左半分をティリアが持ったのを確かに見届けてから、オーサレルは黒い本から手を離した。

 途端、本一冊のものとしては有り得ない重量が伝わって来て二人ともがよろめいてしまう。
 分厚くても所詮本一冊だからと片手で持っていたものを両手で持ち直す。

 ティリアと二人がかりでようやく胸の高さに保持しておける重さ。
 オーサレルは普通に片手で本を支えてもう片方の手でページをめくっていたのに。
 彼が人並み外れた怪力の持ち主であったなんてコランドは聞いたこともないのに。

 金髪の青年はコランド達に背を向けると、書棚の一つに歩み寄ってそこから何冊かの本を抜き出した。
 抜いた本を床に積んでおいて別の棚に向かい、そこからも何冊かを引き抜く。
 引き抜いた本を最初に向かった棚の先程つくったばかりの隙間に詰め込んでゆく。
 それを終えると、二番目に向かった棚に出来た隙間に、床に置いてあった本を取り上げて同様にねじ込んでいった。

 オーサレルがその作業を終えると、がこん、という何か大きくてとても重いものが外れるような音がして、一体何をしているのかと見守るコランド達の目の前で、狭苦しかった部屋が一瞬にしてふた回り以上も広くなった。

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