《第二十一章》
(1)

 ふわり、と浮き上がる感じがあった。
 直後、視界が暗転する。

 魔法による移動を経験したことがないわけではないけれど魔法による移動につきものの浮遊感や光の喪失に慣れるまでにはまだ至っていないティリア・シャウディンは、思わずきつく目を閉じて全身に力を入れてしまう。

 そんな自分を不甲斐ないとか情けないとか分析してしまうより早く、しっかりとした足場に静かに下ろされる感覚と共に、周囲に明るさが戻って来たのがわかる。

 はっと目を開けた。

 平然とした表情のコランド・ミシイズが特に緊張した様子もなく真横に立っているのをすぐに見つけて、まずはほんの少しだけ安心感を取り戻してから、出来る限り冷静に見えるような動作で自身の置かれた状況を確認する。

 ティリアは狭い部屋の中にいた。
 その部屋の東西南北、四方を取り囲むように、様々な色の背表紙の書物がぎっしり詰まった背の高い書棚がそびえ立っている。

 まるで書庫のようなその部屋に残ったわずかな空間の中央で、一人の青年が両手を後ろに組んだ格好でこちらを見つめていた。

 丁寧に丁寧に紡がれた上質の糸のような素晴らしく美しい黄金色の髪を無造作に一つに束ねて、九割の白に一割の濃紺を効かせてデザインされた動きやすそうな衣服に身を包んだ、ティリアにとっては謎の人物−おそらく、コランドが先刻『オーシィ』と呼んだ人間なのだろう−は、室内にいるにも関わらず真っ黒くて大きなレンズの色つき眼鏡をかけていて、相手の瞳の表情を読み取ることが出来ないことからもたらされる不安感以前のところでティリアにただならぬ胡散臭さを感じさせたのだった。

「いや〜、スマンなァ。おかげさんで助かったわ」

 ティリアがあからさまな不審のまなざしを向けてしまっている相手に、コランドは気さくに話しかける。
 ティリアのあからさまな警戒の表情に気づいているはずのその人物も、朗らかにコランドに笑いかけた。

「いえいえ、まぁホントのところは何が起きてたんだかよくわかんなかったんッスけどセンパイのお役に立てたんだったら良かったッスよ」

 『オーシィ』が返す声は柔らかくてハッキリしていて好感を持つに十分のものではあったけれど…。

「何そないに睨んでるんや、ティリア」

 コランドが呆れたようにティリアを振り向いた。

「カオ合わせたことなかったんか? そんでも師匠から名前ぐらいは聞かせてもろてるやろ、ここにいるコイツがオーサレル・リードアートやで」

「えッ? …ギルドマスター!?」

 こんな得体の知れないおニイちゃんが? みたいな感情をたったそれだけの短い言葉にマトモに込めてしまって、ティリアは慌てて口を閉じた。

「いやいや、とてもそうは見えない外見で申し訳ないッス、ティリア嬢」

 かなり無礼なティリアの反応を目の当たりにしておきながら、金髪に黒眼鏡の青年…オーサレル・リードアートは、変わらず穏やかな微笑を浮かべている。
 その笑顔に安堵すると同時に、ふと頭にひっかかる一言。

「わ、私の名前…?」

 どうしてこれまで一度も顔を見たこともないあなたが知っているのかと口に出して問う前に。

 細く美しい金髪をさらりと揺らして、黒眼鏡の青年は背中で組んでいた手をほどくと、ごくごく自然な動作で、けれども思わず目を見張るほどに優雅で完璧な礼をして見せた。
 いきなりの出来事に立ち尽くしたティリアが呆気にとられて見つめる先、下げた頭を上げるついでに、オーサレルは強烈な印象を残す黒いレンズの色眼鏡を外してみせた。
 何気ない風に、何でもないことのように。

 黒いレンズに隠されていた瞳は、澄んだ緑色。
 黄金の髪に緑の瞳、つまり、オーサレルは…。

「ワイトマン老にはずいぶんお世話になってるッスから、お孫さんのハナシぐらいは聞かされてて当然ッスよ。それに、まるっきり初対面ってワケでもないんスよ。ただボクがティリア嬢に会ったのが、ティリア嬢がまだほんの赤ちゃんの頃だったから全然覚えてなくてもそれは仕方ないッスね」

 ───善竜人間族が、盗賊ギルドの、ギルドマスター?

 自分は盗賊であるハズなのに、それも盗賊技術の腕前においては世界に並ぶ者がいないとまでかつて言われたワイトマン・シャウディンのただ一人の孫娘なのに…何だって私はこんなことを今初めて知ってビックリしなきゃならないんだろう、そんなに迂闊に生きてるつもりは全くないのに…。

 ティリア・シャウディンは本日何度目かの軽い自己嫌悪に、またも陥るのだった。


 秩序と平和を好む『光』の一族、善竜人間族(バハムート)

 種族全体の特徴として正義感と責任感が非常に強い人間が大多数を占めるバハムートは、ほとんどの者が他人の持ち物を盗んで自分のものにするようなことはそもそも思いつきさえしない。
 もしやむにやまれぬ事情で他人の所持する物がどうしても欲しくなるようなことがあれば、きちんとした場で話し合いをもち正当な手続きを踏んで両者合意の上での譲渡を求める。
 求められた側も余程の事情がない限りそれを拒んだりはせず、よりその物品を必要としている仲間に快くその品を譲り渡す。

 そんな善竜人間族の中にあって、他種族の人間に育てられたワケでもないのに盗賊の道を志し、史上初にしてもしかしたら史上最後かも知れない善竜人間族のギルドマスターとなることでその道を究めてしまったオーサレルの存在は稀有中の稀有、話に聞いただけの人々にはそれは何か出来の良くない冗談なのかと思わせてしまうぐらい、有り得ないものであった。

 ただし、やはり善竜人間族、オーサレル・リードアートは他人の財産を不当な手段で我がものとするようなことには一切興味を持たなかった。
 それどころか他の盗賊達がそういったやり方で罪なき一般市民の生活を脅かすのを抑制するにはどうすれば良いのか…ただその一点にのみ多大なる関心を寄せ、尋常ならざる熱意で防犯技術の研究にあたり、ついには『主婦の方にも簡単に設置していただける手軽さにも関わらず、一度それにひっかかったが最後大抵の盗賊が盗賊稼業そのものから足を洗いたくなるぐらい深刻な打撃を受ける罠』の開発に成功。
 盗難被害と盗賊人口双方の減少をもたらして善竜人間族と人間族の指導者からそれぞれ直々にお褒めの言葉とそれなりの恩賞を賜る。
 と同時に、その類いまれなるトラップ開発のセンスを先代のギルドマスターに見込まれ「オーサレルの作り出す罠を突破出来てこそ一流の盗賊」というかたちでもって盗賊ギルドの中で重く用いられるようになったのが、オーサレルが今日の地位を築くことになったきっかけである。

 という、ティリア・シャウディン個人にとっては結構どうでもいい感じのサクセス・ストーリーを、コランドが三十秒程度に圧縮して語ってくれた。

「ふ〜ん……」
「うわ、ものすっげ投げやりな雰囲気の反応ッスね」
「まあ、そないに感動的なエピソードでもないしな」

「何言ってんスか! 今はそんな風にセンパイがまとめちゃったから感動的じゃないだけでもっとちゃんと時間とってたっぷり脚色して話せばそれはもう感涙モンの」

「脚色してどうすんのよ」
「脚色せなあかんのかい」

「うわーダブルでツッコまれたー」

「…そんなハナシしてる場合とちゃうんやったわ」

「ああ、そう言えば、さっき一緒にいた二人組は一体何なんス? ボクが見た限りでもあんまり友好的なムードじゃなかったッスけど」
「実はなぁ、かくかくしかじかこういうワケなんや」
「なぁるほど、そんな事情があったんッスね〜。って、かくかくしかじかこういうワケじゃさすがにボクもわかんないッスよ〜!」

「………」
「………」
「………」

「つ、突き刺さるような白い視線を感じたところでハナシを前に進めるとやな」
「何にもコメントもらえないのが一番つらいッスね、いくらベタなやりとりだったとは言え」

「とりあえず悠長に説明しとる暇はあらへんのや。オーシィ、こっからこの洞窟全体の様子を見たりは出来るんか?」

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